スカーレット手帖

機嫌のいい観客

ALTAR BOYZ -突然の魂浄化体験-

2014-12-05 | 観劇ライブ記
テニミュ2ndシーズンの幸せな幕引きから1週間。
涙と拍手で見送った爽快なゴールシーンから日が経つにつれ、
なんだろう、腹にめりこんだ拳の痛みが時間差で次第に感じられてくるかのように
(雰囲気だけでこういうこと言ってしまう表現シリーズ)、
なんともいえない喪失感がわたしを包んでいました。

足りない!

正直足りてない。ドリライ2日前に朗読劇も見たけど、心躍ってない。
アルカドニアにもなれなかった。八犬伝では犬の評論家みたいになってしまった。
ああ、痛快でハッピーなエンターテイメントが観たい。


そして、気づけば新宿東口、歌舞伎町の中にあるライブ会場「FACE」に私はいた。

アルカードショー と名前似てるな、と思いながら
ああこれも再演だったよなたしか、とチケットを取った「アルターボーイズ」
私が行ったのは11/28金夜、RED公演だったのだが、

やってしまった。

私はまた新たな扉を開いてしまった感がある。


前情報をほぼ何も持たずに行ったことが今回は良かった。
なにしろ、
・歌がキャッチーで楽しい・ダンスがダイナミック・生ロックバンドの抗えない魅力
に加えて、
とにかく
5人のキャラクターが身動きがふるまいがとてつもなくキュート
すごく近い距離で汗振り乱して、圧倒的なパフォーマンスを全力で繰り広げる
エンターテイナー5名を前にして、
喋っている内容とかテーマとかと関係なく、
もう頭で考えるより先にクラップアンドシャウト状態に突入させられてしまった。

魅力的。キュート。
これまでいろんな作品の感想をいうときに、無計画にこの言葉を使ってきたけど
まさしくアルターボーイズREDの5人がこの言葉にズバッとはまる者だという気がした。

・ マシュー
・ マーク
・ フアン
・ ルーク
・ アブラハム

マシューは演:大山真志。
グループのリーダーという役どころでした。
この人やっぱすごいわ。ものすごい大黒柱っぽかった。
Twitterでも書いたけど、
「1人で踊ってるのに5人ぐらいの群舞をやっているように見える」ような、ダイナミックな動きをする。
あと歌がうまい。マジで聞き惚れレベルでうまい。もちろん芝居もうまい。安心安全信頼の大山印、という感じ。
この距離で大山真志の全力パフォーマンス観れるというだけでも、複数回通いたい気持ちになる。

同じく、フアン役大久保祥太郎くんのなんでも出来る感にも心から仰天した。
テニミュの映像でしか観たことなかった(あ、運動会で観てるか)し、
D2の中でもあまり注目してみたことがなかったけど、
スペインなまりの英語を話すという設定の和訳版、
関西弁を話す衣装担当の陽気な少年をものの見事に演じてらっしゃいました。
ダンスもうまい。歌もうまい。ひいっ

そしてマーク。法月康平くん。初見でした。
なんか… びっくりした。この子、だれ? なんだか目が離せない気になる。
法月マークは、なんとも私の友達に顔が似ていて、
しかもその子もなんというか、ズバズバ言うけど割と繊細な女で、
やぶれかぶれを乗り越えて掴んだやさしさ、みたいな雰囲気がソックリだったので
なんだか観ながら妙な感情移入をしてしまった。

「僕は… カソリック!」
と歌うところが一番のクライマックスなのかな、と思ったんだけど、
プロテスタントの中で自分だけがカソリックだ、とカムアウトすることの切実さ
というのが実感値としてわからないので、一瞬乗りきれなかった感はある。(翻訳物の宿命。)
でも、もし観るときに引っかかった人が居たときには、頭で考えないことをオススメしたい。
いったん言語を無化して聞いたほうがすなおに感動できる。
ひっかかった気持ちを振り切ってしまえば、彼の表情と歌の強さが
私から涙を引き出していた。
掘り下げはきっと、複数回観る時のために取っておいたほうがいい。
これはこれできっと美味しい作業。わかる。考察沼の入り口はこのあたり。

オフブロードウェイ作品ということで、翻訳物のよさを活かしつつ、
日本人テイストに消化してあるんだなあというところが多々あって、いい意味で違和感を感じながらも飽きない流れだった。
ルーク(川原一馬)が何かにつけてラップで歌って「ストレスのせいだ」というところも、
いかにもバタ臭い翻訳物という感じがして私は結構こういうの、好きなのである。
ルークはビジュアルがすごい韓流っぽい!
アブちゃんことアブラハムの山下翔央くんは、「神州天馬侠」以来2回目、だけど初めてじっくり観ました。
なんという整った少年的なビジュアルをしているのか。ひとり異質なユダヤ人という設定の彼。
でも屈折した感じがあまりしなくて、
産み落とされたばかりの人、というような印象の表情だったのが印象的。そつなくダンスをこなしていたイメージ。

あとは、バンドの人たちがまた微妙に演技を入れこんでくるのもおもしろいんだ。
こう比べると、前列の俳優はやっぱりプロの人たちなんだわー と思う次第である。

**
なんでしょう、この作品、全般的にとにかくパフォーマンスと笑顔が魅力的で、
なんだかよくわかんないうちに、とにかく楽しくて、そして感動して、泣いてた。
今の私の気分にほんとうにぴったりで、
最終的には彼らがいうところの目標「魂の救済」の恩恵にあずかっていたのかもしれない。
これはまさしく『チャージされに行く舞台』だと思った。

あ、なんか話がそれるんだけど、
舞台を観るようになってから、魅力的に感じる作品を大別したときに、
観て『奪われる』タイプの作品と、『チャージされる』タイプの作品があるよなあと思うのですが、
今回は確実に後者です。個人的に。
超ざっくり分けると「奪われる」系は東宝。「チャージされる」系はテニミュ。
でも男がいっぱい出てたらチャージされるわけでもないんで、なんというかな。

とにかく、大満足で帰ってきたのでLEGENDもどうしても観たくなり、
通常公演はさすがに無理だったのでクリスマス公演に行くことにしました。
豪華メンバー。ソウルセンサー♪ ハモってくれるかな。

次回はもうちょっと作品へのお勉強もしつつ、盛大に全力で浄化されてこようかなと思います。

こういう出逢いがあるからやめられねーんだわ。

ドリームライブ2014 -「おわり」-

2014-12-03 | テニミュ
思い返すと、自分のことながら面白い。
3年前は、ミュージカルテニスの王子様、それはただの色物だと思っていた。
「イケメン」を、ほんとうにただの「顔面の良いだけの若者」だと思っていたし、
演目自体、子供だましだと思っていた。
もちろん、テニミュサポーターズクラブにも入っていなかったし、
地方遠征なんか思いつきもしなかった。
というか、1演目の複数公演鑑賞自体というものが、時間とお金の無駄で、視野の狭さのあらわれだ とすら思っていた。

2014年11月、そのすべてに私はNOと言おう。
価値観はかくもあざやかに変容する。


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いよいよ終幕の時が来たセカンドシーズンの、最後の姿を見届けてきた。
さいたまスーパーアリーナ最終日、ドリームライブ2014に行ってきました。

ドリームライブに行った人累計何十万人かの中で感想を述べた人のうち
8割以上がそのように語ったであろう表現で表してしまうが、確かにそうだから言うしかない。
本当に夢の空間だった。

出演者、衣装、音楽、構成、演出、カメラワーク、客席、すべてが協力的だった。
すべてがこの日のこの時を見届けるために集まっているのだった。

内容に関してはもういちいち細かい事は言わない。(覚えてない)
この日のために購入したペンライトに加え、公演グッズの「ドリームライト」を購入し
首にはドリライタオル、両手で持ったライトの色を曲目に合わせて
カチカチカチカチ変えまくった3時間は幸せでしかなかった。もちろん、泣いた。


私はドリライ前に総復習をしようと思い、セカンドシーズンの最初のころのDVDを見直してきていたのだが、
目の前のドリライの舞台上ではもはや、初期の倍くらいの速さと手数のダンスが繰り広げられているようにずっと感じていた。
これはおそらく、全員でちょっとずつ、上に前に進んで来たということなんだろう。
演じる人々が入れ変わっても、「テニミュセカンド」という入れ物が進む速さは変わらない。
本当にレベルアップした演目を全員がこなしてどんどん加速してきた。そんな感じがする。

しのぎを削ってきた数十人の出演者のすべての青春空間。
そして、弱冠二十歳のリーダーが、心の芯を強くもち、舞台という名のコートで己を鍛えてきた、唯一無二の人生劇場。
彼らが動いて、舞台上の世界に命が吹き込まれ、躍動して、光を浴び、そして役目を終えた。
そして輝かせ続けたスタッフのプロフェッショナリティに感服する。
世界観が徹底して守られ、統率が取られていることがどこでも当たり前ではない、ということは、
テニミュ以外の演目を観に行くようになって気づいたことだった。
この市場の開拓者として蓄積されたノウハウの賜物なのか、安定した運営はすべての基盤だったと思う。

本当に、すごい4年間だったのだろう。
私が見届けられたのは後半の2年半ほどではあったけれど、
いつの間にやら身と心を乗り出し、全力で夢中で応援するものとしての楽しさを味わう人になっていた。
私にとっても、人生において非常にまれなる熱い時間だったと思う。


今日で本当に最後。
ぜったいにもう、全員は集まらない。
たとえもし叶ったとしても、いまと同じ価値観を持っては集まれない。
そう思うとどうしようもなく感傷がわいてくるけど、

「離ればなれになるんじゃないよね ただ目指す道が違うだけ
 いっしょに過ごした日々に押されて 前に進もう」


という前向きな歌詞を聞かされれば、たとえ応援席の一員としてだって、
べそべそしているのはテニミュの画にはそぐわないということが身につまされる。
一期一会のすばらしさ、袖振り合うも多生の縁、
仲間の絆と競い合いの美学、
闘志を持つ意味と、自分自身に挑む姿勢、
そして勝負がつけば笑顔で潔く終わり、次の世界へと足を踏み入れる勇気。
なんだこれ、なぜなのかはわからないが、
相変わらずテニミュには、人生への希望と前向きに挑むことの素晴らしさを教え続けられてしまう。

公演終了後にはキャストがぞくぞくと、自分たちの心のこもった言葉で、
演じたキャラクターやテニミュにお別れを告げているようすが伺えたけれど、
彼ら出演者にとっても、テニミュが与えている作用がすさまじいことがわかる。
だって、正しすぎる。
言ってることがまっすぐすぎて、嘘がない。
スポーツのプレイヤーというキャラクターを、身をもって演じているうちに、
彼ら自身が自分の人生のプレイヤーとして、意志を持った人間になっていったんだなあ
ということがよく伝わる。
(どの公演だったか、「これからの役者人生、大きく言えば人生、、、」
 というスピーチをしていた和田琢磨くんのことをふと思い出した)


うらやましいことだ。
私もそんなの、身をもって体験してみたい! 
観念的な感想書いてる場合じゃない!! テニミュ出たい!!!
来世での野望としてとっておく!!!


アンコールの挨拶、「これでもう最後になります」という言葉に対し、
終わってしまうことへの戸惑いで返答のできない客席に、
「あれー? 返事がないなあ」
と笑った座長。
最後まで明るく涙の無い、完全に消化しきったかのような、
さわやかなぬけがらにも思えるようなスピーチと、
全力のファンサービス(ウインクと投げキッス)だった。
最後まで「テニミュ好きな人みんなで」過ごせて、ほんとによかったね。


「今の俺 突き抜けたところにいるから 別世界にいるから
 新しい時の流れが ここから始まるから」


という歌詞そのままに、完走の笑顔とともに手をふってくれた、
会場を駆け抜けてくれたキャストたちのことを私は忘れはしない。
すばらしいテニミュセカンドシーズンの、幸せすぎる幕引き。
前向きに走り続けた男たちと、それを見守る女たちの素晴らしい世界に溺れられたことで、
自分の中の新しい扉が開いた、ほんとうに、そう思う。


ありがとうテニミュ。
きっとまたお会いしましょう。