スカーレット手帖

機嫌のいい観客

超★超歌劇 幕末Rock

2015-08-23 | 観劇ライブ記
さいしょにゲームのCMかなんかでビジュアルを見た時からなんなんだこれは、というのはずっと思っていた。

去年アニメも数回チラ見したんだけどやっぱりなんだかなこれは、と思って、
年末に舞台をやるって聞いて「えっ、まじか」と思いながらなんだろうなー と思い、
話題盛況で幕を閉じて早くも再演と聞いたときには、「ほんとに!?なんなのいったい」
との気持ちが止められなくなっており、
ええい、なんなのよ幕末Rockって!! 一体!!!
という強い気持ちで、ようやく今回「超★超歌劇 幕末Rock」を観劇してきました。
(「ちょう・ウルトラミュージカル・ばくまつろっく」 だそうです)


==

「幕末の有名な志士」
「江戸幕府」
「新撰組」
「アイドル」
「さまざまなタイプの美青年(美少年)だらけ※もちろん男だけ」
「音楽(ロック)」
「イメージカラー」
「男の友情(反発からの理解による)」
「戦い(それぞれの正義のぶつかりあい的な)」
「個の成長」
「新たなる仲間の獲得」
「人気声優」
「キャラソン」
「ペンライト」
「音ゲー」



とかいう、今熱い・鉄板で売れる(そして私たちの大好きな)要素の数々を
ぜんぶアリアリでぶっこんで豪快にミキサーにかけた、
とっても無節操なコンテンツ = 幕末Rock

それを舞台化。若手俳優か。
ジャニーズ東宝四季無双の人を主役に持ってきているのには注目だが、
あとはテニスの人とテニスの人と、テニスの人とテニスの人と
テニスの人とテニスの人とテニスの人!!!
と、劇団の人とアンサンブルの人たち。

テニスも幕末も好きだけど、
元コンテンツの全部乗せ加減も相まって
ハンドリングを間違うと大暴発を起こすだろうなあ~ という
おネガな気持ちをもっていた時代が私にもありました。


が、ただただ幸せの大花火大会として真夏の空に大輪の花を咲かせていました。超歌劇。
「ポペペ…ピピペ…プペポォォォォ―――ッ!!」
(燃えて…散って…花火ーーーーー!!)(参考:新テニプリ「ツベ共和国」の人の技)


話としては、ざっくり、
「志のあるやつ集まってバンドやろうぜ!」

っていうことなんだと思うんだけど(めっちゃざっくりすぎ)
そこに江戸幕府と幕末志士の戦いの構造があったり、
上に「アイドル」という見立てがかぶさってきたりと(「天歌」(ヘブンズソング)て…)
微妙に設定が入り組んでいる。


けど、なんかよく見てたら、
倒幕VS佐幕
の違いとしてのrockというわけではないところがすごいなー、というところで、
今に不満を持っていて、新しい時代への希望がある人がRockの心を
を持っているということになっているようだ。(個人的解釈によると)

そんなわけで坂本龍馬(単体ヒーロー型偉人)も新撰組(体制お抱えグループ)も
桂小五郎(生き延びて新政府行った人)も高杉晋作(奇兵隊の変人)も
全員まとめて「ピースソウルの持ち主」という設定になってるところが手っ取り早い。
それならばバンドも組むだろうな、という妙な説得力がある。

だいたい、幕末系の創作ものなんて、
いかに新撰組とその他人気志士を出来るだけ多くからめながら、
漢のロマンと称しつつ友情の陰にかすかに感じさせる男色風味を描くかが勝負
みたいなもんなのに(断言)、
その組み合わせを設定を表現を繊細にうんぬんするんじゃなくて、

「ロックぜよ(=バンドやろうぜ)」で一発、ぱんぱかぱーんとまとめてるところがまあ、ひどい。
っていうか、逆に痛快だ。
100%創作だ。夢と希望を搭載だ。
ロックやってバンドになって、思いを叫べばいいじゃない!
音楽にのって歌えばいいじゃない!
シンプルなところがとてもよい。歌えばいいじゃない。
新撰組はお上公認唯一アイドルっつーことでいいじゃない。
ピースソウルがあったら、覚醒(パージという名の脱衣)して、バンドやろうぜ!!!


とにかく、もうわかってたけど、コンテンツとして、
キャラクターも、設定も、装置が全体的に素っ頓狂なんですよね。幕末Rock。

しかし真正面から全力でトンチキなので、逆に、突っ込みの入れようがない。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損 ということばが
頭に浮かんでくる。

そして、それを全部やりよう次第で呑み込めるのが舞台のよきところというか、
ぜんぶ創作なので、荒唐無稽も想像次第。
よく考えたら、
坂本龍馬がrockでパージ(脱衣)してバンドやってアイドル という異様さなんて
日本人なのにロンドンの劇場に住む怪人やってる異様さと
あまり差がないかもしれないよ。
でも人間がやってると、このトンチキさにも、
なぞの説得力が生まれるところが、いいんですよ。


そう、役者さんがよかったです。

主役は良知真次くん。
この人のキャリアで育んできたものをぐっと凝縮させて
見せてもらった感すげえ。

まず、華やかさとかわいさ。
今回のキャラクターの坂本龍馬はほんとに全力まっすぐバカという
少年漫画の典型みたいな人物像だったのだけど、
コミカルに演じる良知くんの表情にしぐさに、
目を細めれば浮かんでくるのが、
金田一時代のどつよさんのはにかみとキャラクター取り込み力にも似た
永遠の少年性が香るよ。

そしてどう考えても鍛えられてるプロ発声。
腹から響いてる。
四季と東宝の訓練の賜物か。

そんで、客操縦がうまい。
クライマックスで(ネタばれですが)
客がハミングを行わねばならぬ部分があるのですが、
ハーメルンの笛吹のように客席をいざない歌わす良知パワーどないやねん。


そして太田基裕くん。
2013年からしか彼を見ていないことを私は最近後悔している。
彼の道行を見ておけばよかったわ。
品があるんだよね。
育ちがいいことが何をしてても前面に出てくる。
美青年、好青年は彼の地なので、もう鉄板にできるとして、
ガラッパチみたいな役をいかにやっていくのかみたいなことなのかしら
と思ったりしていたのだが、
今回は見事に吹っ切れた高杉さんでした。「高杉ネットワーク」って言いながら歌ってました。
着物姿が良く似合う。
あと、作品で見ていくたびにどんどん声出てきてる。

矢田ちゃんは、生き生きしていた。
カラオケ仕込みのビブラートとガッッッと見開いた目は健在でした。
彼は華があるなあ。
ドラムセットのシンバルが外してあるのが面白かったですね。

完璧だなーと思ったのが、ヒデ様でした。
最初の羽の付いた台でおりてくるのから目の下にラメ貼ってあるのから
マント型の衣装から片側アップの髪型から、似合いすぎでした。
たぶん原作通りの再現なのでしょう。沖田総司(そーちん)の役でしたが。
不思議だよな、本人も、もちろん綺麗だけど、そんなに飛び抜けて美しいというタイプでは
ないと思うのに、(個人的に)
作り込んだビジュアルを作るのが本人も好きだし似合ってしまうタイプなのだろうな。


いつも、舞台を見ながら、
面白いのか面白くないのか、期待値だけでチケットを取りながら、
座席に着いたその瞬間に、どんな裏切りを見せてもらえるのかを期待している。
もしかしたら伝説の場面の証人になれるかもしれないと思いながら、劇場に向かっている。

幕末Rock、この舞台、
私は思いがけず引き込まれて見続けながら、
これは、、、ことによると、新世代の歌舞伎なのでは、、、
という気持ちがわいてきた。

私たちは「成駒屋!」「高麗屋!」と、声をかけるタイミングを知りませんが、
「What's this?」のゆるメロディをハミングすることはできる。
「Rockぜよ」と答えることはできる。
このトンチキに全力で応えて、
最終的にはちょっと泣いた。
めちゃくちゃかぶいていると思うんだよ。
次作も是非みたい。



俺とお前の夏の陣

2015-08-09 | 観劇ライブ記
久しぶりに感想を即まとめて放出します。
着物姿が素敵だったからね。

8/8銀河劇場「俺とお前の夏の陣」(朗読劇)行きました。
気になってたけど行けるかどうかわからなかったので前売り買わずでしたが、
なんとか目処がついたので直前で当日引換券を買って劇場に乗り込み。
(前日まで再演&新キャストでやっていた「僕とあいつの関ヶ原」との連作ということなので
 できればこちらも見たかったです。)

作:吉田恵里香
演出:中屋敷法仁(柿喰う客)という布陣。
出演者は4名。
玉城裕規、細貝圭、鈴木勝大、宮秋人 でした。
なんだかなじみの人たち。

若手俳優が朗読劇をやるのっていいよなー
何がいいかというと、
自分の学生時代の同級生の男子って、基本的に真面目に朗読しなかったよな、
という記憶が思い出されて、それに比べて、この人たち一生懸命だし、うまいな
ということを感じられて楽しいからです。
(仕事なんだから当たり前だが)
(大変上から目線で申し訳ない)
役の服着て虚構を演じているより、距離が近い気がするところがいい。
という錯覚もありつつ、実際は距離だらけなところもいい。
物語と、俳優の身体と、自分の日常との関係のバランスが、
いつもの芝居と違うのがいいということです。

というのも、特に今回、
当日引換券で入ったら、最前列(激上手)だったんですよ。
最前列はなんだかんだでここ数年いろいろ劇場に行ってる中でも
初めてだったかも。
そんなわけで、ほんの目の前で狭間を演じる人たちを見て、臨場感ありました。

タイトル通り、夏の陣までの武将のあれやこれやの人情劇でした。
主役は伊達政宗、そして片倉小十郎で、
戦国鍋テレビ「NOBUママ」の、伊達ママシリーズを熟知している身で臨むと
ふむ、あれだなあ~~ というエピソードの数々が挟み込まれていました。
関ヶ原とか夏の陣とかは超メジャー大戦なので、話の大筋について考えなくていいからいいよ。
純粋に演技を楽しみました。

玉城裕規の存在感はすごいな~~~ 主役の伊達役でした。
声がまあ独特だし、妖艶だ。
しかも衣装の着物姿がとても似合っていた。グレー着物・ピンクパープル袴・紫足袋
というスモーキーカラーがまさに伊達者。シックなのになあ。
「三つ指ついて」のシーンが、美しい横顔だった。

それを受ける芝居の多い片倉小十郎は細貝くん。
この人、去年の帝一とマルガリータぶりに見たんだけど、
前回もそうだったし体格がいいのになぜか「たおやめぶり」を感じるんだよ。
不思議ですね。顔の印象かな。
今回も丁寧にしゃべるな~と思いましたが、
なんとなく、はっちゃけ西洋人の役とかも見てみたいです。

最強だなと思ったのが宮秋人くんでした。
いろんな役やりすぎ。八面六臂。敵から味方から、演じ分けまくってた。
そして朗読劇なのに、運動神経を発揮していた。
出演を切望していたという中屋敷演出にしっかりハマっている気がする。
中屋敷氏も、1回も会ったことなかったけど、キャスティング方針会議で
「宮くんなら(主要3名以外の役全員)やってくれると思いますよ」
という話をしたということで(アフタートークより)
今後中屋敷作品レギュラーメンツになるのでは、
という予感だけ書き残しておきます。

鈴木かっちゃんは若いね。
小十郎の息子の役だったのですが、
彼もそこそこもう20代中盤ぐらいのはずなのにまあ若い。
フレッシュさとも言え、技巧派ではないとも言え、
魅力の軸をどこにとるべきか戦略が難しいなあ、とマネージャー目線で見ました。


また作品よりも俳優の話をしてしまった。
作品は超いいとか悪いとかいうよりも、
話的には正統派というか、順当な内容だなという感じだったので、
俳優もさることながら、
演出が飽きさせてないということなんだと思う。
やっぱり柿喰う客をちゃんと見に行かねばならん、と改めて思った。

エリザベート2015の記憶

2015-08-05 | 観劇ライブ記
いやあ、仕事が修羅場で精神がキリモミ状態で、
帝国劇場まで徒歩圏なのに会社出るのがめちゃくそギリギリになって
タクシーに乗り開演直前に到着したと思ったら入場直前に切羽詰まった電話かかってきて
頭が真っ白になりそしてオープニングに間に合わない
さらに言えば一幕終了後の休憩も同様に電話かかってきて再開のキッチュに間に合わない

そんな時期に見ました。楽しみにしていたはずのエリザベート2015。
お花さんで見られなかったけど、それ以外のメインキャスの組み合わせは
城田・育三郎・古田で希望通りの回だったのに。まさに不幸の始まり。黄泉への誘いだったのか。
キャスト表を撮影する余裕もなかったよ。


結論からのべようか。
エリザベート2015すばらしい。

ひとこと言っていいか。
私も城田優に生涯ストーカーされたい。
城田優は何者だ。
帝国劇場の客席1階・2階だけでは受け止めきれない色気と危険さが
たっぷんたぷんに溢れかえる黄泉の帝王、、、というか圧倒的美貌の死神ストーカー。
ロミジュリで見たとき、一介の苦悩の青年では決してないクセモノ臭しかしなかったけど(褒めている)、
今回のように「人外」は本当にピッタリもピッタリ、彼のための演目では? という感じだね。
5年前の初登板時も話題になったとのことだけど、
新演出の1枠に入って、もう今回は城田優による、城田優のための黄泉ワールドだった。
なんというかwonderful、そしてmarvelousである。
そんな死神ストーカーが、四六時中食らいつくように追いかけつきまとい、
心もとろかすボイスで自分だけを見つめて歌いながら
隙さえあればキスしよう(=死を受け入れさせよう)としてくるんだぜ。
んもう、がまん、できなああい!!!!(別の意味で)

ここにこってりとからまる、育三郎ルキーニ。
なにこれ。なにこれなにこれ。
私、2010年に帝国劇場で初めてみた演目が育三郎のモーツァルトだったんだけど
あのときの物足りなさと顔だけ王子感(←すみません、観劇経験が薄すぎて育さんのことも知りませんでした)が
嘘のよう。
なんだこのハマり役。おいおい。
高嶋兄の10年仕事、盤石のストーリーテラーのバトンを軽やかに受け取って、
手のひらで転がすような若さでめちゃ楽しそうにルキーニをやってました。
てか、オシャレ。あのボーダーオシャレに見えるもん。すごくね??アニエスベーじゃね?セントジェームスじゃね?的な。
この人、素直な王子様より絶対悪役がはまるよね。ちょっと困り眉だからかもしれませんが。
(皮肉屋さんに見えるのね)
育三郎ルキーニのために農家の嫁になって一生牛の乳絞り続けたい。

そんで来た、彼が来た。三段重ねだよ。
開眼した本物の王子、古川ルドルフ。
はい、美しいーーーーーーーーー
はい3年ぶりーーーーーー 相変わらず壮絶に美しいよーーーーーーーーーー
古川くん、身が詰まりましたね。
細い身体に、しなやかに舞台経験が積み重なりまして、
まじめに舞台に取り組んだんだねええええ
という気持ちにものすごくなりました。(上目線すみませんです)
ほんとに、3年前は怯え怖がり、万一部屋の外に出て日光に当たったらパリンと割れそうな風情でしたが
今回は歌もセリフも響きが一層美しく、
「俺は後継ぎやで」の自覚が強くなった、次期皇帝ルドルフ様でした。
もう一方が京本くんだったので、相対的な比較イメージとしても
余計そういうとこあったかもしれないけど。(私は見てないけど、彼も好演のもよう)
ルドルフの水色の衣装と金髪がとても似合っていた。
舞台上で随一のカラフルな色味の男性キャストなんだけど、
この水色が、滅びゆく王家の中で最後の、みずみずしい希望(野望)という感じがする。
でも革命を起こせず、死ぬ前にその水色をはぎとるのよね。そして白シャツになります。(シャツもはだけるけど)
なんか、象徴的なんですよここ。
闇が広がるところは、すんごかった。綱引きダンスなくなったけど、
ナチュラルでとてもなんというか、ありがとうございます。新演出、ありがとうございます。
ありがとうございました。そうきたか。


そんなこんなで、この人たちを見つめているだけで、

うひゃー!蓬莱軒のひつまぶしの横にまるはのエビフライと矢場とん同じ皿に乗って出てきたし
〆は味仙の台湾ラーメンで行こうと思ってたのにその上サービスでコメダのシロノワールついてきたー!

てかんじ。(名古屋喩え)
要するに大満足。おなかいっぱい。
チケット代は完全に、還元された。


ちなみに、
蘭乃エリザベートのけちょんけちょん言われ具合もハンパないな、という感じだけど
技術はともかく、若い、高慢ちきなお嬢/若奥様
という印象だけはものすごいあったのでそこは特筆しておこう。
ここだけは、さすが20代登板の意味あり、という感じか。
ブリブリお姉さんを出し抜いてフランツに一目惚れされる説得力もあるぞ。
ただ、決して偉大な女王ではなかった。
ファッションリーダーになるぐらいはなったかな、という気がしたけど
決して国は負わなかろうな という感じだった。(あれ、ある意味ハマり役?)
ハンガリー行ってもエーヤンいわれなさそう。Facebookでいいねボタンは集められそうだけど。
姑が嫌になったら無理して居座らずに逃げていきそう。ゆとりエリザと呼ぼう。

そんなわけで、主役が完全にトート、そしてルキーニだった。エリザに感情移入できねえ~~~
娘役トップのときにもエリザベートやってたんだよね、蘭さん。
そのポジションのまま行ってしまったのではないか。
まあそのバランスもなくはないよ。城田の光り方がすごいから。
ていうか、やっぱり娘役の人は自分が発光するのは苦手なのだろうか。
こじんまりするよな。黒木瞳ぐらいオラオラでいかないと無理か。

いやあ、ハナフサマリ見たかった~~~~~~~~
どうですか、美熟女でしたか??
というか彼女こそ日本の初演エリザさんですもんね。見たかったですわ。
レディベスの時の、あの戴冠式のひざまづきたさを思い出すにつれ、見たさ高まる。



てなわけで、主要キャストの話をがっつりしてしまったけど
そればっかりではない。
エリザベート2015、なんといっても、セットがものすごくいいよ。
頽廃した絵本の中に入りこまされるような気分。
そして傾く机、3台。これが可変で、舞台の中でいろんな意味を持つ。(最後には墓標になるし)
中央にはほろびゆく王家の紋章。多用される映像演出。
これらがあいまって、まあ不安定な世界と権威と、不幸のおとぎ話感満載。
マダムヴォルフのコレクションの額縁つかった演出もよかったし。
エリザベート2015には、なんか演劇賞の「セットすごいで賞」をあげてください、ぜひ。

あと、トートダンサーがオシャレだった。かびるんるんがイケメンズだった。
なんか、衣装も全体的に垢抜けませんか。演者が若くなったからか?
トートダンサーオシャレだしイケメンだし、力持ち(亡くなった人を担ぐ・受け止めるシーン多し)
なんつうか、いかにも東宝ミュージカルだああ、というようなもっさり感が、
今年はセットも衣装も見た感じからはなくなっていたような気がする。とても好みでした。
4月にここでレミゼも見たけど、レミゼより全然世界に入り込めた。
映像化してほしいぜ・・・。音源は出すようですが。

今回、ほぼ総入れ替えで引きの強いキャスト(東宝常連組ファン、ヅカファンジャニーズ陣営、若手俳優クラスタ)と
地方なし東京のみ公演ということもあり
チケット完売の報を聞いてはいたものの、ふつうに作品としてとても見ごたえがあったし
新しくなった演出の数々も、ぐっと若返った主要キャストの血の通い具合もすばらしくて
ぜひいろんな人におすすめしたい演目だと思った。
世界観すごいからよ。
でもチケットないんですよね。
どの演劇もこういう商売できるとウハウハだろうな~~~~~

ということで、振り返りまとめ、以上です。

<2012年のときの感想  

東京喰種

2015-08-03 | 観劇ライブ記
君(観劇の記憶)が思い出になる前に、思い出そうあの日。
スピッツと不動峰中学が交互に行き来する私でございます。


7月にトーキョーグールを観ました。
めちゃ原作が売れてるの、昨年アニメをやってるのは横目で見ていた。
一応漫画の1巻だけ読んでから行きました。
最近kindleですぐ買うからね。
kindleめちゃ便利。

…ていうか、最近自分のこういう流れ(舞台化をきっかけに原作読む)、
面白いコンテンツを見つけるのに楽してるなーという気持ちになる。

でも学生時代は

「あの小説が映画になります」→小説増刷、店頭平置き
 →まんまと購入→原作を把握したうえで映画鑑賞

というサイクルに生きていたわけなので、
本質的にはいっしょなんだよな。
舞台になって単価あがっただけで。
やっぱり私は基本的にはわかりやすいメディアミックス戦略をそのまま受け取る者だな と思います。
まあ、それはそれでしゃあないので(作り手になりたいわけでもない、大変だし)
その分、いい観客になりたいとは思う。

そんなわけで、
事前リサーチにより、なかなかのグロテスクだ、ということを了解して
観に行ったトーキョーグールでしたが、
すごい、【佳作】という感じがしました。
NARUTOもそうだったけど、よくまとめたよ。
物語の始まりを衝撃に描きながら、
ちゃんといろんな今後のキーパーソン(たぶん)を
お弁当の彩りのように散らばしてありつつ、
主軸は主役の苦悩というところで筋が通ってた。

主役の小越くんがよかった。迫真の演技でした。
人間でもない、喰種でもない者になってしまった葛藤がすごかった。
人間の食べ物が受け付けなくなって、吐き戻すシーンがあるのだけど、
このシーンについてはプロジェクションマッピングに特化する方向の
演出の中で見せるにはもったいないなと思うくらい。(舞台上暗くなるからあんまよく見えない)
この役は体力を使うと思いますよ。
もっと絶望の淵に突き落とされまくって
苦しむ姿を観たいなと思った。
翻弄されて、「ぷちっ」とつぶされるところまで観たい、
と思わせるかんじ。(そんなシーンがあるのかどうかは知らぬが)
小劇場とかの、センターステージなんかの会場で観たいですね。
キャラクターものが多いけど、
なんやかんやで演じてるのは孤高の存在ばかりだから
もうそういうイメージが板についてるのかもしれないけど。

小越くん、今後楽しみですね。
質感がいいから、映像だったらドラマよりかは映画に出てほしいと思う。
あと身のこなしがいいので、身体能力も観たい。それはできれば舞台で。
まあとにかく若いうちに、彼が青年期の苦悩の体現するのを
出来るだけ大目にぜひ観たいものだ。
恋愛ものもこんなにぎこちなく…! と感じるぐらいに演じそうだ。
テニミュ後の2作とも、惚れた女が人に非ざる存在であまつさえ命を狙われちゃう系の役で、
早く女運がいい役をやってほしい気もする。

あと、宮崎秋人くんはタンポポのような存在感でよかった。
ニシキ先輩(鈴木くんもうまかった)から暴力を受けるシーンで、
すごい高いところからローリング飛び降りをかましており
さすがの運動能力だと思った。


全体を見ると、この作品自体、けっこう文学作品みたいなところもあると思うんだけど、
脚本の人がアニメもやっていることもあるのか
アニメをよりどころしてる感もあって、
おとしどころとしてアニメにしたのかなあ という気がした。
オープニングもアニメの再現だったというのはなんか斬新だった。
凛として時雨の曲は合ってるなあと思いました。


最後に、今回会場は、
割と本気の憎しみを、インターネッツ特有の皮肉な表現たちでくるんで
ネタ劇場として扱われていることで(私の中で)おなじみ、
アイアシアターでございました。
席の簡易感と、舞台の横幅がえらい長いの気になるのはある。
あと舞台の上でもの移動させるとガタガタすんの気になるよな。

まあそれはともかく
男女トイレの入口のところの導線はどうにかしたほうがいいと思う。
休憩中長蛇の女子トイレ待ちをしていたら、
ふと横に、あふれ出るきらきらオーラをOFFにしようと努めている(ように見える)
スターニンジャーさんがいて、びっくりした。
背もそうだけど、首が長いから目立つ。あんなに首元がすっきりした男性はふつういない。


31才

2015-08-01 | わたくし
31才になった。

よいか、皆の者よ、
Facebookで今年同級生たちが意味ありげにやっていたように
サーティワンアイスクリームを食べたりするようなわたしではない。
僕は君が思うような人間じゃない そうさ そんな人間じゃない

過去を振り返ってみると、

30才を迎えたわたし
 節目を迎えた達観というか調子乗り度★★★☆☆
 精神的余裕★★★★★

29才を迎えたわたし
 短文中に込められた己は際立っているという自意識★★★★☆
 精神的余裕★★★★★

こんな人間であった。
過去の自分の記録はいつでも、見るもおぞましい成分をはらんでいる。
しかし同時に自分にしかわからない懐かしさも秘めている。
(つまり、ブログをやっているといいな ということだ)


せっかくなのでこんな人間として、
誕生日のタイミングぐらい、前向きなことを書きたいものだが、
残念ながらここ最近、30年かけて得たものが、順々に目減りしていくような、
無力さだけを噛みしめているのが昨今のわたしだ。

 シャレにならない空回り度★★★★★
 精神的余裕★☆☆☆☆

日々、とても効率の悪い感じの疲れがたまる中、
探究心は弱まり、表現力は鈍り、実行力は雲散霧消、顔面の毛穴は広がるばかり。
態度は図太くなっている気がするが、変わらず中身は非常なる小心者である。
人のふんどしで相撲を取りに行くどころか、
人が相撲を取っている後ろで相撲に参加しているかのようなふりをしている。
むしろ30年で得たように思っていたものは、思い込みの産物だったのかもしれない。

自分には何があるのか。ほんとうに。
なければ希求するかもしれないけれど、結婚も仕事も飾りにすぎない。
そして、ないものねだりは止まらない。あれもないこれもない。もうなんか、要るものが全部ない気がする。
ただ、健康は享受している。そうだ余すところなく健康だけは享受している。
精神の乗り物としては、丈夫めにできている。(はず)
一方中身は、目減りとグレードダウンを繰り返し、そしてかといってもう自分の本質は変えられない。
これと付き合うしかない32年目がはじまる。

もはやほっとくだけで垂直的な成長はできない自分をどう叱咤激励していくのか。
日々の無力ぶりをある意味の成熟と呼ぶか、それとも劣化の始まりか。はたまたなにかのきっかけ待ちか。自分。
外から見たら器だけは大人、逃げ場なき30代、
わたしの道はどこにあるのか。
探すしかない。そうだ。探すしかない。
どうやってもいいけれど、すべては自分でやるしかない。
わたしに興味があるのは、ほぼ、わたししかいないからだ。
どう転んでも、回収するのはわたしだ。とりあえず享受するこの健康を、薙刀のようにふりまわして。

自意識の擦り傷まみれで32年目を走る。必死のパッチであります。