スカーレット手帖

機嫌のいい観客

1789 バスティーユの恋人たち  ー接しやす~いー

2016-04-17 | 観劇ライブ記
新時代到来ということではないのでしょうか。
帝国劇場に、東宝舞台作品に触れはじめて数年程度の私ですが、
これは完全に、「いままでここで見てきたものたちとは違う」ものだ 
という感覚に最初から最後まで包まれていました。


1789 バスティーユの恋人たち
を見てきました。

んもー、わっかりやすすぎてびっくりした

この帝劇ミュージカル
接しやす~い


余談ですが「接しやすい」は最強コント集団ロバートのギャグです
私、大好きです
接しやす~い



何が接しやすいのか。

これほど単純明快なシーンの積み重ねの舞台、みたことない。

・父親が兵士に殺される→怒りに燃えパリに出て行く主役
・肉親を失った娘→兄を追ってパリに行って娼婦に
・平等に燃える若きプチブルジョアイケメンズとの出会い→歌って仲間に
・マリーアントワネット→フェルゼン
・ルイ16世→錠前とギロチン
・公園での冤罪扱い→なんだあの女
・牢獄から助ける→あっというまにフォーリンラブ  などなど


出会いと別れ、恋と革命、身分と対立、ベタだなあ。
なにもかもにひねりがない。
そうなるだろう、というように場面が帰結して、
それがどんどん積み重なっていく。
しかし。決してその単純をバカにすることができない。
その単純明快こそがわかりやすい!!
それでよいのだ!!!
少年漫画で、少女漫画だ!

なんか、去年みた「ワンピース歌舞伎」なみのわかりやすさだ。
じゃんじゃん場面は展開するけど、
何もかもが予測の通りで、スイスイ飲み込める。
これが酒なら、気づかぬうちに一升空けてた、という具合にスルッと入ってくる。

それを後押しするのが全編にわたる曲調だ。フレンチロックらしい。
エリザベートやモーツァルト!の独特なシルヴェスター・リーヴァイとも、
レミゼラブルの難解な音型とも、
ディズニーの愉快なアランメンケンとも、
王道アンドリューロイドウェバーとも、
全然ちがう。

なんというかメッチャ、佐橋俊彦先生がよぎる。

いや、というか、90年代に、
素直にJPOPにはまっていたころの自分の気持ちを思い出す
ミュージカルじゃなくて、ミュージックステーションなんじゃないか、
という思いが湧き上がる。
歌いやすくて聴きやすい。セリフでなくて、歌である。
わかりやすくて、接しやす~い。


演者も全般的に、接しやすい。
主役は面白いダブルを組んだなと思う、加藤和樹と小池徹平。
今回は、徹平ちゃんを見ました。
小池徹平って、昔からアイドルポジションにしては謎の歌うま能力を
持て余していたよな、という気がしていたんだけど、
去年のデスノートでも思いましたが咲くべきところで咲いたんだな、と思いました。

そしてヒロインは神田沙也加と夢咲ねねのダブル、
今回は沙也加でしたが、この人はメルヘン本当に似合うよ。
顔はキツイ方だと思うけど、声がまあ本当に可愛いのと
声優も経験しているので滑舌もよい。
デビュー以来いろんな路線を走っているのを横目で見てたけど、
この人も咲いたな、と。(えらそう)

アニメっぽくてふたりとも若く見える組み合わせの徹平と沙也加の雰囲気は、
この少女漫画のような「ザ・ベタ物語」にすごく合っていた。
声もポップな感じで、ふたりがよく合ってた。
(逆に加藤和樹の場合はどんなスナフキン野郎になるのだろうという興味も生まれたのだけど、、、)

そして、余計な話だけれど、
もう本当にただただ楽しくなってしまうテニスサブリミナルもあるので、
そこは積極的に楽しんでいきたいと思う。
まーとにかくもうびっくりするほどテニミュOBがメインを占めるこの演目、
ロベスピエール(古川雄大)とデムーラン(渡辺大輔)は若手活動家の仲間同士という設定になっているのだが
冒頭ロナンと出会い、印刷所の屋根裏に連れていって、
この印刷機で新聞刷るんやで、これからは平等が大事なんやで、と主張しながら歌うシーンの曲調が
完全に「負けず嫌い」を思い出させる。
ほんとに連想せざるを得ないのよ。フレンチロックはすごいな。

そして2幕開始と共に、球技場に集まり抗議を行う第三身分の民衆。
統べるはロベスピエール、演じるはこの人、古川雄大。
古:「ネットを片付けろーーー!」(的なことをいう)
「ふ、ふじせんぱいのご命令なら^^」(客席の心の声)

さらに、
お前達、2人、同じ学校だったんだって?と言われるシーンに至っては、
「せ、青春学園のことだ!」(客席の心の声)

とはいいつつ、
テニス卒業生の卒業後の大人の舞台でよくある、テニスメタネタいじりとはまた一線を画しており、
「ここで笑ってねというサービスシーン」ではなかった。
笑いや反応は起こっていなかったので、連想する層の人々はみんな、じっくり噛み締めていたのかもしれない。

そして、若手のみずみずしさと接しやすさが爆裂するなか、
影の主役は完全に坂本健児だった。
もーびっくり。橋下じゅんさんかと思った。
三バカすばらしい。
ハナフサマリさんはもう、自宅からやってきた女王様という感じで高貴さに自然しか感じない。
ソニンはびっくりする。歌うますぎる。何やっても火の玉お龍みたいな感じになるのが彼女の魅力ですね。
うますぎるといえば上原理生だ。男性陣若手で彼だけずば抜けて歌がうますぎる。7割ぐらいでやってそうだけど、
それでもうますぎる。持て余していた。


最後に、一番のオススメシーンは、なんといっても

「同時多発キス」

ぜひ、ご覧いただきたいです。
1789、新鮮に楽しませていただきました。
とにかく接しやす~いから、見てほしい。後味ゼロ。いい意味で。

観劇趣味と私の消費

2016-04-06 | わたくし
観劇を趣味にすると、お金がかかる。
それは勿論そうなのだが、
観劇それ自体+「もっとよく楽しむための活動費」部分にかかる金のほうが多いような気がしてきたのである。

私が見ている規模感の舞台の話で言うと、大体、「観劇1回1万円」である。
これは、「その現場に行って座席に座るためにかかるお金」という意味での1万円で、
チケット代(手数料が多いと1000円ぐらい発生する場合もある)+交通費(都内近郊)
で、これくらいで見ることになる。
これでもそこそこ金がかかるぞ、ブルジョアの遊びめ、という見方もあるだろう。
1万円とは1000円が10個、100円が100個の集団である。
私は中学生の時の小遣いが月に3000円、高校生の時が6000円だった。
1万円とは年に一度正月に会える人々だ。それを思うと遠くへ来たものだなあ。

ただ、席に座って1万円なのだが、たいてい「よし!もっとよく楽しむぞ」という
「意識の高い客」然として劇場にやってくるのが常であるため、
まず演目に興味のない家族の分までチケットを買って備えて当日に臨み、
劇場についたらパンフレットを買う、写真を買う、グッズを買う、DVDを予約する、
そして劇場の周辺で飲食をし可能であれば周辺施設も見物する、
さらに時には帰宅後に原作を買い揃える、関連商品を購入する、等、
意識の高い行動については枚挙にいとまがない。

もっとよく楽しむ、というよさげな言葉は恐ろしいのだ。
悪いことはしていないよ。楽しむだけだよ。よく知りたいだけなのよ。だからお金がかかるのよ。
むしろもっと楽しみたい際に飲食の数百円を圧縮してみても焼石に水だ。
行くのをやめるしかない。オールオアナッシングである。
そんな中、時折、
「チケット手数料込7500円+交通費300円+パンフレット1500円+ランチ800円」
など、1日の満足度を1万円に収められることもある。
この場合は大変ありがたいという気持ちになる。コンパクトに動くとこのようなことも可能である。
しかしなかなかこのような事態には至ることは少ない。

それはそうだよ、
学生のときだって、学校の教科書は安くても副教材にどれだけ金かかったのか、ということである。
買った参考書の一体何割を本当に参考にしたのか、そして「参考にしない参考書とは、書なのか」
「書とは人なり」「花に水、人に愛、料理は心、神田川俊郎です」といったような無駄な連想が発生してくる次第である。

しかし、補足しておきたいこととしては、
高い副教材を使っている人が必ずしも勉強ができるかというとそうではない ということである。
兄弟にもらった青チャートで医学部受かる人もいれば、
無理やり家庭教師に来てもらった挙句センター数Ⅱで赤点を取る人(私です)もいるのである。
前情報があってもなくても、ファン意識があってもなくても、先行で取ろうが当日券で取ろうが、
2時間そこに都合をつけて座っているという意味では平等なのである。

結局、「どんなに感動して入りこんでも、観客は舞台上には、でられない」という
最高に痺れる平等を味わいに行きたいだけなのでである。
舞台も、客席でも、それだけでは成り立たない哀しい装置である。
一万数千円とともに、刺激という名の何がしかの傷と希望を負うために集うのが観劇という趣味である。
現実生活では、傷も希望も、なかなか綺麗には負えるものではないので虚構は大切である。
そういうわけで、私は引き続き観劇と消費の渦の中で生きていくつもりなのであります。