スカーレット手帖

機嫌のいい観客

なんにもない家への驚愕 ‐わたしのウチには、なんにもない。(ゆるりまい)

2013-06-26 | 
結婚式がおわり、新婚旅行がおわり、
わたしはいま、人生がひと段落している。

(新婚旅行についてはまた折をみて何がしか記入したいと思う。
 スペイン行ってきました)


それと同時に、わたしはまた、
めっちゃくちゃ服を買いまくっていた時期を通りすぎ、
憑きものが落ちたかのように、とくに服飾にかける無駄な物欲が
減少してきている。気がする。
(逆に、観劇には行きまくっているけど)


振り返ってみれば、ひとりぐらしをはじめてこのかた10年、
ひとりぐらしの部屋の中でわたしはいつも焦っていた。
そして、いろんなものを買って過ごしてきた。
とくに就職して働き始めてからはその傾向が強まった。
(使えるお金も増えるし)

思えば、それは精神的に不安だからなんだろうなと思う。

だって、
気ままに過ごしているけど、やっぱりひとりぐらしはちょっと不安だ。
仕事への不安。(ストレス?)
健康の不安。(太る。食うからですけど。)
将来の不安。(目標とか見つからない。大人なのに。)
なまじいまが若くて元気で働いているだけに、
逆に一歩先がどうにも見えなくなる気分に陥ることはよくある。

そんで、そんな甘い自分なんですが、
どうにも不安だからものを買い集めて、
好きなものでとにかく自分の空間を満たしてみると、アラ不思議。
なんか、達成したような気分になるんですよ。
買っただけなのにね!

そんなこんなで20代を過ごしてきた。
外からみたらぜんぜんそんな感じはしないだろうけど、
自分としては、ひりひりするような気分のときもあったよ。


だけど、最近。

外に出歩いて、観劇やライブなどの「経験」にお金をはらう面白さに気付いたことや、
なにより結婚してちょっと自分の「うしろだて」が出来た気になったこともあり、
ちょっと、その「物依存」の考えから抜け出せそうな気がしている。



要するに、

部屋を片付けたい気分が史上最高に高まっている状態。


(まあ、まだひとりぐらしなんだけどさ)



そんな中、先日驚愕のブログに遭遇した。


こちら

なんにもないぶろぐ


この人の家、みてびっくり。

もはや「片付け上手」とかの域ではない。
どうやってこの状態で暮らすのか、
意味がわからないおうちである。

どうやってこの状態に至ったのか。
ネタなのか。

それで、(ものを減らしたいという欲求の逆を行くが)
この人のブログ本を買いました。
ブログとちがってコミックエッセイであったが。
それもなかなか興味深いものがあった。

この方は、
「物依存」を逆に振り切った
「物がない状態依存」なのだと思う。
全員真似できるわけがない。
これもまたひとつの異常なのだと思うので。

だけどこの極端な嗜好のその後ろには、
東日本大震災での体験もあったりして、
単純に
オッシャレッツもの~のないくらし♪ というのとは
なんかちょっと違うような気もする。
クウネルリンネル的な、趣味から来る「ほっこりしたくらし」とも
微妙に異なっていると思うし。


まあ、あまりにもstrictすぎるので、
ここまで行くことはできないが、
しかし「厳選した好きなものに囲まれて暮らす」状態に敏感になることは、
かなり幸せをもたらすものと察する。

モノがもたらすしあわせを、
自分の中で咀嚼して、消化して、
最終的にはじぶんの頭のなかに全部収納して、
それでしあわせを感じられる状態にまで至ることが出来れば
すんごくイイ感じになれそうだな~

と、この本とブログをみながら
自分のこれからの行く先を考えることが最近増えている。



ヒューマン宮藤 -え、なんでまた?(宮藤官九郎)

2013-06-19 | 
映画ドラマまんが…

と、ひとくくりにしていたくせに
「本」のカテゴリがなかったので、いま作ったよ。


本といっても、わたしはさほど、読書家ではない。

文学部だったくせに、本は、とくに名作みたいなものは
あんまり把握してない。
なのに、「把握しているふり」がしたいので、
とりあえず買ってみた本とかは家にいっぱいある。
夏目漱石とか芥川とか。
青空文庫で読めますがな。
また、ザ・名作以外にも、「軽妙なエッセイ」「知る人ぞ知る佳作」なども
把握しておきたいので、家にいろいろ文庫本はある。
読んでない向田邦子や内田百の文庫本、これみよがしに積んである。
その本棚のラインナップ、だれも見ねえよ。
いろんな人が現代語訳した源氏物語、いっぱいもってる。
宇治十帖まで読めたことない。

そして最近いちばん読んでるのはおもにBL漫画である という始末である。
(BLについてもいちおう好みはありますよ)

そんな中、
宮藤官九郎の文春のエッセイ本が好きである。
昔やってたじぶんの娘のことをつづった「俺だって子供だ!」
単行本で買って読み、実家に置き忘れてきてしまい、
次帰った時に取ってくればいいのに、どうしてもすぐ読みたくて文庫本まで買ったものだ。
お父さんの愛情と、脚本家(ギャグ作家というほうが近い?)のするどい目線が
入り乱れたおもしろ観察日記という体裁。
えらい、泣けました。
宮藤官九郎はやはり、ヒューマン宮藤であると思ったよね。

こども連載が終わった後、同じ枠の連載として、「いまなんつった?」という
日常生活の中で聞く「ん?」というフレーズについて書くエッセイ本が1冊出たのだが、
たしかにいつもどおりたいへんおもしろかったのが、
前作がよすぎたせいか、あまりぐっとくるところが個人的になく、
買ったけど売っちゃいました。このリサイクル感。

そして先日ふらりと立ち寄った本屋で偶然見つけ、
今週から節約しようと思ってた月曜日だったのに買ってしまったのが
新刊「え、なんでまた?」でした。

おもしろかったです。

くわしくいいたいんだけど、
全体的なこととして、思ったことです。

宮藤官九郎は、おもしろおかしく破天荒で若者の代表のような、
エンタメ界でいうと「風雲児」「異端児」的な扱いを
相対的に受けている、いや、受け続けてはや10年、いつまでも「若者」を背負わされる兄さん
という感じがあるのですが、
落ち着いて文章をよんでみると、すっごくおもしろいんだけど
非常に冷静な書き手ということに気づきます。
丁寧に、ことばを砕きながら、わかりやすくひきつけながら書いているので
まどわされますが。
気取ってないところがステキです。
ことばづかいもきれいです。(スラングは使ってるけど、文章内のリズムってことで)

いっかい読んだ方がいいとおもう。
クドカンのエッセイ、読んだ方がいいとおもうよみんな。


かんぱちゃん(娘)の話も入っていて満足した。