SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

1990年のショパコン入賞者(外国人編)

2007年01月16日 00時16分49秒 | ピアノ関連
★モーリス・ラヴェル ピアノ作品集
                  (演奏:ケヴィン・ケナー)
1.プレリュード
2.鏡
3.高雅で感傷的なワルツ
4.ラ・ヴァルス(ケナー編曲)
5.亡き王女のためのパヴァーヌ
                  (2001年録音)

先日ケヴィン・ケナーのリサイタルがあったそうな。。。
高橋多佳子さんのブログに書いてあったんで知ったんですけれど。

また、先般リストの特集でサジュマン(Sageman)をそれと知らずに取り上げたら、ショパコン入賞者だと教えていただいたので、他のディスクも聴きなおしてみました。


 ↑ 以上のように最初書いたのは昨年12月半ば。ちなみに今日は1月の14日です・・・。

実はこのブログの記事は時間があるときに書き溜めしています。
ネタを思いついたら冒頭写真とタイトルだけつけて草稿としてアップしておき、記事を入力してストックしておいて公開するときに見直しや手直しをして出しているのです。

それがリストの特集を年末していたり、時事ネタを旬にこしらえたり(そんなものあったかと言わないように)、新年で思いつきの特集記事を先に出してしまったりしているため未だに日の目を見ていません。

さあこの文章が、いつみなさんの目に触れることになるのか楽しみです。
と書いたものの、いよいよ仕上げざるを得なくなり今になりました。(1月16日午前零時記)

ホントに記事のネタはいっぱいあるのですが、特に今年に入ってから入れ込んで書きすぎちゃうので完成させるのは青息吐息・・・。完成記事のストックは殆どなく、なかなかラクになりません。こういうところでも、学習効果を積み上げないといけないのでしょうがねぇ・・・。

さてさて、ケヴィン・ケナーは1990年のショパコンで第一位がなかったけれども最上位に入賞した人です。
まあ15年以上も経ってれば、当時の順位なんてあんまり関係ないんでしょうからこの記事では順位は抜きで語っていきますけど。

このディスクは私が彼の演奏に触れた初めてのディスクでして、凄く音色への感度が高い繊細な感性の持ち主で、演奏自体はオーソドックスな構成の中にそのようなセンスの煌めき(閃き?)みたいなのが魅力的な人だという判断をしました。
別に査定のシートをつけたわけではなく、そういう人だというイメージができたということです。

しかぁし多佳子さんが彼のコンサートを聴いた第一印象は“ダイナミック”であるという・・・。
そはいかに?
というわけで、企画したんでしたよね確か。
自分で思いついておきながらその中身を忘れちゃってるくらいなので、草稿で残してなかったらこの記事なかったですね!間違いなく。 

それで検証するような感じで聴き始めたのですが、“前奏曲”はやはり恐ろしいほどの響きのコントロールというか、響きを立体的に聞かせるためにどのような強度・色彩で発音するか熟慮しているという印象を受けます。
そりゃそうです。そういう曲ですから・・・。わかってますって!

“鏡”もそう。
“蛾”も“悲しい鳥”も粒立ちの良い音やそうでない音を見事に使い分けて、時折閃きを見せることでぐっと音に注意を向けさせられます。特筆すべきは、音が硬質なのに生々しい。
指捌きや身を翻す音たちは“フレデリック・チュウ”の演奏などにもどことなく似ているように思いますが、チュウがつや消しならケナーはちゃんと光沢仕上げがしてあるという感じです。
“道化師の朝の歌”では、確かにダイナミックな側面も感じられるけど、録音の加減があったとしてそう取り立ててそういうこともないんじゃないかなぁ~。

ところが自分で10年以上にわたって楽譜に手を入れてきたという“ラ・ヴァルス”の1P編曲版を聴いたらわかりました。
そう、確かにダイナミック。間違いありません。
それにしてもこの曲だけテンション違いすぎないというぐらい、思い入れを感じる内容に仕上がっています。めくるめく情景が描き出されていて、またその雰囲気を熱っぽく伝えていて秀演だと思いました。

ショパコン最上位入賞者といえども、優勝じゃないということでDGからお声はかからなかったのかしら?
特に我が国で今をときめくピアニストがわんさか入賞しているこの回に限って、海外の入賞者でメジャーレーベルで活躍している、したことがある人っていないんじゃないでしょうか?
なかなか難しいものですねぇ。

そんな中、本盤は我が国の新星堂が主催するオーマガトキレーベルから発売されています。
気鋭のアーティストのこんな思い入れを形にし、世に問うてくれたことに感謝します。
こういう仕事こそレコード会社にまっ先に求められる仕事なんじゃないかなぁ・・・。

★ショパン:4つのバラード、舟歌、ノクターン
                  (演奏:ケヴィン・ケナー)

1.バラード第1番 ト短調 作品23
2.バラード第2番 ヘ長調 作品38
3.バラード第3番 変イ長調 作品47
4.バラード第4番 ヘ短調 作品52
5.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
6.ノクターン 嬰ハ短調 (遺作)
                  (2005年録音)

ケナーがダイナミックに弾ける人だとわかったので、本稿の目的の大部分は達成されてしまいました。
このバラード集へのコメントは以前にも(ほんのちょっと)採り上げたのでさらっと書きますが、全てのの曲の性格を明確に描き分けて適切な技巧で弾き上げられており、ちょっと聴きとても好感の持てるものです。
霊感の閃き・音色の煌めきってのも少なからず感じられる瞬間があって、素晴らしい演奏だということに異存はないのですが、手放しで礼賛するのには何か少しためらいを覚えるのも確かなのであります。
ケナー独自の味わいも十分に感じるディスクなのになんでだろうと自分自身で思いました。

無理やり理由を探した結果を一言で言うと“客観性が勝った演奏”だからではないかという思いに至りました。
バラードは本来叙事詩なので客観的にお話くださるということで結構なのですが、どうも私にはもう少し物語にのめり込んでもらって、自分自身がその世界の中でそのトピックスに出くわしているように感じて弾いてもらいたいと思うのです。

簡単に言えば「バラードの曲世界にトリップしてないんじゃないか?」ってことです。

判りづらい言い方かもしれませんが、水戸黄門の芥川隆行さんやちびまるこちゃんのナレーションのように、お話の世界の中ではあっても別人の声で進行を話すのではなく、水戸黄門なら里見浩太郎さん(助さん、格さんの代理でも可)、まるちゃんだったらTARAKOさんが自分の声でナレーションしたようなバラードが聴きたいということです。
舟歌もそれに近いかな?遺作のノクターンはとてもいい演奏です。気品高いし。

どうもルックスとも相俟ってか、自分の心の乱れに当惑している女性に対して、深い洞察力と感情表出力を心得たケナーが寄り添って、その心のケアを買って出ているような演奏に思えてしまって・・・。

ちょっと聴きはホントにいいんですけどね、よくまとまっていて。却ってまとまりすぎてるために、カウンセラーみたいに聞こえちゃうんでしょうか?

★ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 作品35 & スケルツォ集
                  (演奏:カロリン・サジュマン)

1.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35
2.スケルツォ第1番 ロ短調 作品20
3.スケルツォ第2番 変ロ短調 作品31
4.スケルツォ第3番 嬰ハ単調 作品39
5.スケルツォ第4番 ホ長調 作品54
                  (1999年録音)

冒頭で「聴き直してみた」と書いたのですが、1カ月以上記事にしなかったために忘れちゃったのでまた聴きなおすことになりました。

以前リストの“ロ短調ソナタ”で採り上げたときのサジュマンについて、大家然としてじっくり弾き進めると書いた気がしますが、まったくここでもそのとおり。
リストでブラヴォーって言ったのは、ショパンでもそのとおり・・・。

極めて自然にじっくりと、弾き残しは一切なく演奏に伴う感情をもれなく伴って、聴き手をともにショパンワールドに誘ってくれます。さらにその感情が厳選され演奏を通じて非常に見通しのよいものになっているので、聴き手が非常に居心地がよい。よっ、名ガイドってな感じでしょうか。

彼女の演奏について以前の記事ではアラウを引き合いに出しましたが、中低音の“ひきずりかた”がホロヴィッツのそれを髣髴させる瞬間があって、それがまったく浮いちゃわないことも大家然としたというように申し上げる所以のひとつ。

時折普通聴くのと違う内声の単音を強調したり、ごくわずかなテンポの変化で深みを出したり色合いを変えたり、いろんな工夫をしているのですがそれはショパンワールドの中に入ったうえでの街並みの景観の工夫。
そんなことをしなくても、間違いなくショパンの世界にいるということを実感させてくれるところこそがなによりも素晴らしいです。

もしひとつだけ注文をつけるとしたら、ソナタ第1楽章の提示部の繰り返しを省いていることぐらいでしょうか。レコ芸の月評子ではありませんが、これは努めて繰り返してほしいですね。
アカデミックな理由は何もないですけれど、私の場合“慣れ”の問題で。

しかしそのソナタ第2番も慌てず騒がず名演が繰り広げられています。ことに葬送行進曲のトリオの気高さは予想通りを超えるものですし、第4楽章のあのうにょうにょしたユニゾンも彼女なりのペダル、音の強調でそれまでの曲の雰囲気を壊さないで曲を終えるへく、特徴的な4つの楽章が有機的なつながりを持ってひとつの統一された曲であるかのように意識して弾かれています。
このソナタの演奏の中でも、かなり幸せな解釈ならびに奏楽をしてもらった例であるといえましょう。

お二人とも独特の持ち味を誇る凄いピアニストに成長されたものですね。

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