私は関西時代の終わりの2001~3年にかけての二年間、キリスト教の一派とされる、フレンド会ー通称クエーカーの月一回の大阪集会に定期的に通っていました。
この頃は既に"意識が向いたら、ジンジンと例のものが臨んでくる..."という特異体質?になっていて、"クエーカーの礼拝会では、神に感応して身体が震え出す"ってー話は本当なのか、どうか確かめねばなるまい..."という思いもどっかにあったのは確かでしたが、回りを見るまでもなく、自分がそういうことになってしまうこともしばしばでした。
さほど、意識していた訳でもないですが、こういうものを私の個人的なただのヘンな体質に留めず、公の場に踏み出す必要を感じていたのかも分かりません。
又、"キリストとは一宗教のみで信奉されるものなのか、普遍的キリストというものは伝えられているのか?...そしてそれは直接経験から導かれるものなのか?..."
といった問題も私にはずっと関心があったことで、クエーカーとの関わりも必然があったように感じています。
大阪のクエーカー集会は、当時同じく通っていた道院の神戸集会と同じくらい...ショボかったi...平均5、6人ってとこか。
ただ、こちらも言葉が交わされずとも、寛容の精神が伝わってきました。
日本のクエーカーには、戦時に、日本キリスト教会に併合されたことに起因する、正統的?福音派と超宗派的伝統派とにその在り方が別れる(これは端的に形式的か否かということで見分けられる)という問題もほとんど感じさせませんでした。
これはより後者が主導だった、という観方もあるでしょうが、それは直接経験を重んじることとつながるものと言うことは出来るでしょう。
真に寛容精神があるところ、如何なるセクト主義も乗り越えられるのです。
私が通い始めた頃と時を同じくして、四国からはるばるTさんという人が熱心に定期的に見えました。
この人はキリスト教に関心があり、入信したい気持ちもあるようなのですが、キ教を取り巻く、大概の人は感じているであろう、例えば"イエスのみが神の子なのか、それを信じなければ救われないのか?"というような疑問がネックとなって、踏み込めないでいるようなのでした。(東京の集会では、こういう人がいつも出入りしています)
それで、寛容でルーラルなクエーカーに接近したそうですが、先の日本のクエーカーに横たわる問題がやはり引っ掛かっているようでした。
ある集会で、そのシンプルな礼拝に臨む際にも、彼は理屈ばかり言って、真っ直ぐに礼拝に臨もうとしないので、私はこう苦言を呈したことがありました。私はいつも寛容でいる訳じゃないのです。
「あなたが言っていることは、外野席でヤジを飛ばしているようにしか聞こえないi 私はプレーヤーになりたいのですi」
プレーヤーは"Prayer"と引っ掛けたつもりですが、彼も私も正規のクエーカーの会員ではありません。
しかし、私はクエーカーとして、キリスト教徒として、他の信徒として祈りに臨むのではないのです。キリスト、アラー、老祖(道院)...どんな名で呼ばれようと、自分を超えた御方にゆだね、その臨在に与ろうとしているのです。
諸々の思いを脇に置かなければプレーヤーにはなれません。
とはいえ、彼が積極的に問題を投げ掛けようとするのは、それ自体は意義があるでしょう。それはよりいっそう東京集会に向けられるべきでしょう。(彼は実際にそれをしていた)
大阪集会はある面それで活気づいていたとも思えます。私はその事自体を非難した覚えはありません。
しかし私がある集会で、彼が昔のクエーカーのことを批判し出したので、語気を強めてこのように言ったことがあります。
「争いの種になることを礼拝に持ち込まないで欲しいi」
もし、それが私が主催したものだったら"出て行けーっi"と怒鳴っていたかも分かりません。寛容精神など吹っ飛びそうです。
それは、まさに礼拝が始まる直前のことだったからです。あれはヒドかったi 折角の平安の一時になるはずが険悪なムードになってしまいました。
Tさんは、それっきり見えなくなってしまいました。多分、私のその言葉を彼の問題提起自体に向けたものと取ったからでしょう。
この事を弁明する機会もなく、申し訳ないと思っています。
ともかく、各々忌憚なく自由に時空間を共有したこと、私に熱心に"裏側に入り込んだ"件について尋ねてきたD大学のSさんのこととか、得難い思い出です。
この頃は既に"意識が向いたら、ジンジンと例のものが臨んでくる..."という特異体質?になっていて、"クエーカーの礼拝会では、神に感応して身体が震え出す"ってー話は本当なのか、どうか確かめねばなるまい..."という思いもどっかにあったのは確かでしたが、回りを見るまでもなく、自分がそういうことになってしまうこともしばしばでした。
さほど、意識していた訳でもないですが、こういうものを私の個人的なただのヘンな体質に留めず、公の場に踏み出す必要を感じていたのかも分かりません。
又、"キリストとは一宗教のみで信奉されるものなのか、普遍的キリストというものは伝えられているのか?...そしてそれは直接経験から導かれるものなのか?..."
といった問題も私にはずっと関心があったことで、クエーカーとの関わりも必然があったように感じています。
大阪のクエーカー集会は、当時同じく通っていた道院の神戸集会と同じくらい...ショボかったi...平均5、6人ってとこか。
ただ、こちらも言葉が交わされずとも、寛容の精神が伝わってきました。
日本のクエーカーには、戦時に、日本キリスト教会に併合されたことに起因する、正統的?福音派と超宗派的伝統派とにその在り方が別れる(これは端的に形式的か否かということで見分けられる)という問題もほとんど感じさせませんでした。
これはより後者が主導だった、という観方もあるでしょうが、それは直接経験を重んじることとつながるものと言うことは出来るでしょう。
真に寛容精神があるところ、如何なるセクト主義も乗り越えられるのです。
私が通い始めた頃と時を同じくして、四国からはるばるTさんという人が熱心に定期的に見えました。
この人はキリスト教に関心があり、入信したい気持ちもあるようなのですが、キ教を取り巻く、大概の人は感じているであろう、例えば"イエスのみが神の子なのか、それを信じなければ救われないのか?"というような疑問がネックとなって、踏み込めないでいるようなのでした。(東京の集会では、こういう人がいつも出入りしています)
それで、寛容でルーラルなクエーカーに接近したそうですが、先の日本のクエーカーに横たわる問題がやはり引っ掛かっているようでした。
ある集会で、そのシンプルな礼拝に臨む際にも、彼は理屈ばかり言って、真っ直ぐに礼拝に臨もうとしないので、私はこう苦言を呈したことがありました。私はいつも寛容でいる訳じゃないのです。
「あなたが言っていることは、外野席でヤジを飛ばしているようにしか聞こえないi 私はプレーヤーになりたいのですi」
プレーヤーは"Prayer"と引っ掛けたつもりですが、彼も私も正規のクエーカーの会員ではありません。
しかし、私はクエーカーとして、キリスト教徒として、他の信徒として祈りに臨むのではないのです。キリスト、アラー、老祖(道院)...どんな名で呼ばれようと、自分を超えた御方にゆだね、その臨在に与ろうとしているのです。
諸々の思いを脇に置かなければプレーヤーにはなれません。
とはいえ、彼が積極的に問題を投げ掛けようとするのは、それ自体は意義があるでしょう。それはよりいっそう東京集会に向けられるべきでしょう。(彼は実際にそれをしていた)
大阪集会はある面それで活気づいていたとも思えます。私はその事自体を非難した覚えはありません。
しかし私がある集会で、彼が昔のクエーカーのことを批判し出したので、語気を強めてこのように言ったことがあります。
「争いの種になることを礼拝に持ち込まないで欲しいi」
もし、それが私が主催したものだったら"出て行けーっi"と怒鳴っていたかも分かりません。寛容精神など吹っ飛びそうです。
それは、まさに礼拝が始まる直前のことだったからです。あれはヒドかったi 折角の平安の一時になるはずが険悪なムードになってしまいました。
Tさんは、それっきり見えなくなってしまいました。多分、私のその言葉を彼の問題提起自体に向けたものと取ったからでしょう。
この事を弁明する機会もなく、申し訳ないと思っています。
ともかく、各々忌憚なく自由に時空間を共有したこと、私に熱心に"裏側に入り込んだ"件について尋ねてきたD大学のSさんのこととか、得難い思い出です。