人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

沈黙の諭し

2018-08-13 10:58:02 | ガイダンス
"このままではもう二度と現実世界に戻れなくなるかもしれない..."

私が人生の裏側に入り込んだ時、こんな思いが過ったのでした。
死の恐怖から解放されたのでしたが、別の恐怖がもたげてきたと言ってもいいかもしれません。
こういうことになっていること自体、もう現実に戻ることになることが決まっていたということなのでしょう。
私の意志でか、あの御方の意志でか...
しばし、彼方に追いやられていた日常的な思い、感情が戻り始めていたからです。

"あのバカバカしく、呪わしく、ヘンテコなシャバよ...
スッたやヘッたが恋しくなるとは、こちとらよほどヘンテコに違いない..."

一方でこんなことも過っていたのです。

"私がずっと望んでいた、もしかして、生き代わり、死に代わりして、やっと巡りあったあの至福の時...日常に戻ってしまったら二度と与ることが出来なくなるかもしれない..."

その時です。見えざる導師からの沈黙の諭しを受けたのは...

"お前がお前の世界に戻って、どう生きようと、どういうハメになろうと自由だ...だが、この事は絶対に忘れないで欲しい...お前がどこにいようと私と共にあるということを..."

"神的なもの、そのものと共にあること"...実に、ジッツにこの事があの愛と平安に与ることの中枢ともいうべき事だったのですi
それらは、そのものと離れては無いのです。
そして、程なくしてそれらは、幻想の彼方に消え、元の木阿弥となった...この事実が何よりもそのことを物語っているではありませんかi
私は眩いばかりのその体験の境地的なものに酔いしれ、とらわれてしまったのです。
その失ったものの回復への思いも絶ちがたく、幾度かその方面の道に携わろうと試みたこともあり、もしやクスリなどにも手を出していたかもしれないのです。
神的なものと切り離された、歪んだ、無軌道な道に赴き、本当に失地の事態(切り離されるに至るであろう)に自らを追いやるくらいならば、ずっとフタ閉めされたままになっていた方が、どれだけ救いになるか知れようというものです。
あの沈黙の諭しこそは、見えざる導師からの、私がこの世に戻ることに際しての最大の"はなむけ"だったと今にして感じざるを得ません。
そしてその響きは、表側と裏側を一つに鳴り響いているのです。



コメント
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