このところめっきり日が暮れるのも早くなってきましたが、都会の夜はまだまだ暑いです。
そこで、生きた化石ミスター・レトロこと”すぎた”とレトロな喫茶店でしばし音楽談義です。
店内で懐かしいムーディーなメロディが流れてきたと思ったら彼が切り出しました。
「近頃”この感じ”が全く聴かれなくなってしまったのは、何とも寂しい限りだよ…」
―”この感じ”?
「これは、マルマン深夜劇場(60年代前半放映されていた洋画番組)のテーマ音楽で、ジョルジュ・ジューバンの”夜は恋人”だよ、何となくラテンっぽいアレンジだ。あとは…そうだなあ…ペペ・ハラミジョのラテン・ピアノ、トリオ・ロス・パンチョス…」
―ああ、もう分かった!…君の言わんとしていることが…あの頃はテレビでも巷を歩いていても、ごく普通にそんなものが流れていたな…夏だとハワイアン…これは一年中というのは、ちとシンドイ…マンボとかラテン系は一年中、真冬でもオーケーだ…でも君が言う”この感じ”というのは夜のしじまにシッポリと流れる抒情的な調べの事だろう…しかし、君はまさかその時分からそんなのを熱心に聴いていた訳じゃあるまい! いくらなんでも早熟過ぎていずれは仙人になるしかないだろう…
「ハハハ…ご他聞に漏れず、私が意識して自分でレコードを集め出した頃ロック・ポップスが怒涛のように押し寄せていて、当然その洗礼を受けたものだ。だけど…どうしたってあの頃のメロディーが細胞レベル?で染み込んでしまっているんだな…郷愁と共にね…」
―郷愁ねえ…単に古いからって事じゃなく、その旋律自体がノスタルジアという感じだ…タンゴとかボレロ(ラテン歌謡)とか、ああいうのは日本人の感性に会っているなんて言われているけど、そういう血が呼びさまされるのだろうか?
「ウーン…そう言う風に言われていたのは昔の話なんじゃないかな?でも根底にはそういう感性も眠っていると信じたいが… 60年代を通じて日本でもラテンリズムが浸透していた。ボレロなんかは歌謡曲に絶対影響与えている筈だよ。伊東ゆかりさんの”小指の想い出”とかね…」
―ザ・ピーナッツの”ウナセラディ東京”!
「そうそう…その頃は確かに日本人向きだった…しかし70年代になってからロック世代に浸透したのはレゲエであり、サルサだった」
―中村とうよう思想カブレだ!良くも悪くも…
「その通り!だからあの時代からのオールド・ラテン愛好家と、最近のクラブ系?ダンサブル愛好家とではかなりの温度差があるだろうね」
―今のクラブ系と”東京ナイトクラブ”の違いと言ったら分かり易いだろうか?
「余計なんのこっちゃサッパリ分かるまい! しかしこういう話は何時もながら誰にピントくるんだろ…我々はよっぽど異端な人種なんだろうな…」
―断るまでも無いが、こういう話で盛り上がるのは我々よりずっとオールド世代の筈だ。我々は考えてみればずっと日の当たることは無かったんだな…地下室の住人と言うか…ま、しかし異端だろうと、表通りの人間だろうと誰しも心の故郷に引き付けられるのさ!究極のノスタルジアは”生まれる先の自分”にあるんだしな…
「なるほど…もうお盆の季節だな…」
と、外はすっかり漆黒に包まれていました…夜は我々を踊るような表側から郷愁漂う裏側へと誘ってくれる…
”この感じ”と言うのはどんな感じ?
oGeorges Jouvin/ Mea Culpa
(前記フランス系のトランペッターによる懐かしのテーマ音楽。)
oVirginia Lopez/Por Equivocacion(あやまちゆえに)
(ビルヒニア・ロペス。60年代日本でも人気の高かったプエルトリコ出身のボレロ歌手。おそらくその歌唱スタイルは日本人歌手にもかなり影響を与えたと思われます。)
oJaime Llano Gonzalez/Llamarada
(ハイメ・ジャノ・ゴンザレス。つ、ついに幻のお宝開顕!なんてこった! 知る人ぞ知る南米コロンビアのオルガン奏者。私の20年来の愛聴盤。)
そこで、生きた化石ミスター・レトロこと”すぎた”とレトロな喫茶店でしばし音楽談義です。
店内で懐かしいムーディーなメロディが流れてきたと思ったら彼が切り出しました。
「近頃”この感じ”が全く聴かれなくなってしまったのは、何とも寂しい限りだよ…」
―”この感じ”?
「これは、マルマン深夜劇場(60年代前半放映されていた洋画番組)のテーマ音楽で、ジョルジュ・ジューバンの”夜は恋人”だよ、何となくラテンっぽいアレンジだ。あとは…そうだなあ…ペペ・ハラミジョのラテン・ピアノ、トリオ・ロス・パンチョス…」
―ああ、もう分かった!…君の言わんとしていることが…あの頃はテレビでも巷を歩いていても、ごく普通にそんなものが流れていたな…夏だとハワイアン…これは一年中というのは、ちとシンドイ…マンボとかラテン系は一年中、真冬でもオーケーだ…でも君が言う”この感じ”というのは夜のしじまにシッポリと流れる抒情的な調べの事だろう…しかし、君はまさかその時分からそんなのを熱心に聴いていた訳じゃあるまい! いくらなんでも早熟過ぎていずれは仙人になるしかないだろう…
「ハハハ…ご他聞に漏れず、私が意識して自分でレコードを集め出した頃ロック・ポップスが怒涛のように押し寄せていて、当然その洗礼を受けたものだ。だけど…どうしたってあの頃のメロディーが細胞レベル?で染み込んでしまっているんだな…郷愁と共にね…」
―郷愁ねえ…単に古いからって事じゃなく、その旋律自体がノスタルジアという感じだ…タンゴとかボレロ(ラテン歌謡)とか、ああいうのは日本人の感性に会っているなんて言われているけど、そういう血が呼びさまされるのだろうか?
「ウーン…そう言う風に言われていたのは昔の話なんじゃないかな?でも根底にはそういう感性も眠っていると信じたいが… 60年代を通じて日本でもラテンリズムが浸透していた。ボレロなんかは歌謡曲に絶対影響与えている筈だよ。伊東ゆかりさんの”小指の想い出”とかね…」
―ザ・ピーナッツの”ウナセラディ東京”!
「そうそう…その頃は確かに日本人向きだった…しかし70年代になってからロック世代に浸透したのはレゲエであり、サルサだった」
―中村とうよう思想カブレだ!良くも悪くも…
「その通り!だからあの時代からのオールド・ラテン愛好家と、最近のクラブ系?ダンサブル愛好家とではかなりの温度差があるだろうね」
―今のクラブ系と”東京ナイトクラブ”の違いと言ったら分かり易いだろうか?
「余計なんのこっちゃサッパリ分かるまい! しかしこういう話は何時もながら誰にピントくるんだろ…我々はよっぽど異端な人種なんだろうな…」
―断るまでも無いが、こういう話で盛り上がるのは我々よりずっとオールド世代の筈だ。我々は考えてみればずっと日の当たることは無かったんだな…地下室の住人と言うか…ま、しかし異端だろうと、表通りの人間だろうと誰しも心の故郷に引き付けられるのさ!究極のノスタルジアは”生まれる先の自分”にあるんだしな…
「なるほど…もうお盆の季節だな…」
と、外はすっかり漆黒に包まれていました…夜は我々を踊るような表側から郷愁漂う裏側へと誘ってくれる…
”この感じ”と言うのはどんな感じ?
oGeorges Jouvin/ Mea Culpa
(前記フランス系のトランペッターによる懐かしのテーマ音楽。)
oVirginia Lopez/Por Equivocacion(あやまちゆえに)
(ビルヒニア・ロペス。60年代日本でも人気の高かったプエルトリコ出身のボレロ歌手。おそらくその歌唱スタイルは日本人歌手にもかなり影響を与えたと思われます。)
oJaime Llano Gonzalez/Llamarada
(ハイメ・ジャノ・ゴンザレス。つ、ついに幻のお宝開顕!なんてこった! 知る人ぞ知る南米コロンビアのオルガン奏者。私の20年来の愛聴盤。)