人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

魂の兄弟たち

2018-08-04 11:15:18 | スピリチュアル
30数年前、著しい精神的目覚めに与ったのですが、よくよく思い返してみると、それは全く思いを超え、言い表すことが困難なものばかりでは無かったのです。
その内容は、16年6月24日の「僕は一人じゃない」という記事で、書いているようなものなのですが、それは徐々に日常意識に戻ろうとしつつある意識状態にあったことなのでした。
ただ、それは又言葉に置き換えられないことには変わりなく、視覚などの、感覚機能を通さない認識であったと言うことは出来ます。
それでも私はその模様を"思い描いて"、言い表すことは出来るのです。
この点が全く対象化を許さないあの"現臨"について表すことと異なることなのです。

私は微睡んだ意識の中で、3人ぐらいの未確認存在?と出会ったのでした。
といっても具体的にこの目で見るように見た訳ではないのですが、それが所謂霊的存在なのか、どうかはともかく私と全く等しい人格を持った"人たち"であるのは確かなことです。
それは明らかに何らかの対象化を通して認識されたから、このように表現が可能なのです。
彼らとは今生で会ったという記憶は無いのですが、実際に見てもいないのに何で分かるのかは私にも説明が出来ません。
言葉も交わしています。これも具体的になされた訳でなく、あるいは、それはテレパシーと呼ばれるものなのか、何とも言えません。
印象に残っているのは、初対面?なので、人見知りな私が少々よそよそしくしていたところ、「何だ、水臭いじゃないかi 我々の仲じゃないか...」と、3人とも実に屈託なく接しようとしていて、私はすぐ打ち解けることが出来たことでした。
"我々の仲? この人たちとは、本当に始めて会ったのだろうか? あまりにも旧知の仲すぎるではないかi 実によく覚えているのに、どこで会ったかが分からない...この人たちには一切が明け透けなのか? 強い信頼で結ばれているのか?"
後にも先にも、今生で味わったことの無い、人間関係?がそこで交わされていたのです。
私の脳裏に浮かんだのは、彼らは"魂の兄弟たち"ではないかということでした。
我々?はあの"見えざる導師"と結び付いた兄弟なのだろうか?
そして、"僕は一人じゃない、彼らとはずっと絆で結ばれている"らしいことも告げられたのでした。
彼らがもしかして前世(があるとして)からの関係があるのかも、今生で出会うべき運命のものかも、元々霊的存在なのかも定かではありません。
否、そもそも幻なのか、どうかも定かでないと言うべきなのでしょう。
その今生に無いような人間関係は、幻想だったかも分かりませんが、ずっと私の内奥にリアルに息づいているのは確かなことです。して、これは...確かに身に覚えがあります。

そもそもは、その交流は、私に日常意識が戻り始めた時、導師から"お前に会わせたい者たちが居る"ということで、示されたことなのです。
これは、その事自体からして、こうして思い描くように記せるとおり、私が現実世界に戻り始めていることを物語っていると言えるでしょう。
こうした経験というのは、この例しか無いですが、変性意識状態にもある程度までの思考機能が及んでいる、現実世界に近い状態というものもあると思われるのです。
ただ、それでもあの意識状態の根本にある原初的な愛とリアリティがずっと息づいていることは言うまでもありません。
コメント
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