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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

陰謀論の陰謀

2015-11-29 13:23:27 | スピリチュアル?
パリ同時多発テロの後、またぞろ出始めましたよ、陰謀論が…
9・11の時でもそうですが、あれは自作自演だったとか?
して…その黒幕は?…ユダヤ人、フリーメーソン、イリュミナティ、レプリカント異星人???それとも全部つるんでるの?…何時の時代にも死の商人と言われる軍需産業とつるんで、戦争を仕掛けて儲けている人たちはいます。
国際社会を脅かす憎っくきテロ集団。国際平和のため奴らに制裁を…という大義名分のもとにイラクなどに民間人を巻き込んで無差別に空爆をし続ける大国。やってることは無差別テロと変わらないですね。
そして今、旧年来の宿敵ロシアとトルコが…おさまっていた火種を新たに発火させているのは誰だ!

私はここで事の真偽については触れません。分からないですから。
分かる訳ないでしょう! ネットなどの仮想現実を通してしか接してないんですから…
ただ陰謀論者は色々と根拠を持ち出して、”ホラ真実はこうなんですよ!”と相変わらず断定口調です。
(私が人を騙そうとするなら、根拠となり得て、人がそれに飛びつくようなものをアチコチにバラ撒いて置きますけどね。)
まるで何かの宗教、スピにハマっている人たちそっくりです。
彼らの危うさというのは、マスコミ、新聞などの情報は信じない、しかし陰謀論は容易く信じ込んでしまうところにあります。
もし、ネットなどでそうした関連の情報に接したければ、”陰謀論のウソ”についても読んでみたらいいと思います。
でも根強い陰謀論者はおそらく見向きもしないでしょう。陰謀論は自分たちが信じ込んでいる教説ですから…要するに彼らもA新聞やNHKが伝えていることは正しい、という人たちと同じく信じやすい人たちなのです。
そして、陰謀論にはこれ又真偽のほどなど確かめようのないオカルト的言説も付いてまわります。
私はそれらを頭ごなしに否定するつもりなどありませんが、巨大地震も人工的に操作出来るんですか…ハア…
限られた情報だけで何かが”分かっちゃった”という人たちはおそらく、例えば地震などの悲惨な現場とか、今わの際に迫る恐怖というものを経験したことが無いのではないでしょうか? 現実でどういう事が起きているのか! ”これにはきっと影の黒幕が…”だって…”バッカ!”考えてるうちに洪水に飲まれるだろう…
情報というもには操作というものは付き物ですし、”全てウソだ”などとも思ってませんが、それは基本的に編集などして作られるものでしょう。(ねつ造という意味じゃない)
それでも私は少なくとも、マスコミその他の情報の方に陰謀論よりもずっと良心的なものを感じています。
現実で何が起きているか、という事も伝えているから…(ハ、あれも演出?…)
陰謀論者はずっと仮想現実で真偽のほどの分からない情報を無責任に拡散し続けるだけです。
もし黒幕たちの意図が真実を隠し、人々に幻想を見させ続けていることとしたら、彼らこそそれに加担していると思いませんか?
これは反陰謀論者についても言えるかと思います。要するにテロ集団の仕業だろうと、巨大帝国、あるいは超国家的闇の組織の仕業だろうと、国際間で無差別殺人が行われているのです。
そして仮想現実の中でいくら”真実に目覚めよ!”と唱え続けていても…闇の正体とは? 分かったとしてもどうなるの?
いくら客観的根拠を並べようと…我々は客観的事実こそ真実だという幻想を抱いているだけです。
(そうは言っても…客観的事実によって、ノーベル物理学賞も与えられ、死刑も無罪も確定してしまうのもこの世なのですが…)
狂信的陰謀論者、宗教、スピ信者は、彼らが信じている世界的陰謀の黒幕にも、なにかの神サマにも絶対にたどり着くことなど出来ないでしょう。
それらは教説、信仰というバーチャルな世界に”あるかのように”しか実在しないからです…
もっとこれ以上ないという現実に目を向けるべきなのです。
それはいつも正しく、清く、凡俗の人間でなく、真実に目覚めていて、やがてアセンションするであろう…と思い込んでいる貴方自身のことです!

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そうは言っても…

2015-11-28 20:10:00 | 詩的文章
ミーハ―何て大キライ…
そうは言っても…ヤッパリ野球は巨人…

ヤッパリ、この日本に生まれてよかった…
そうは言っても…ずっと洋楽ばかり聴いてきた…

移り気、目敏い…
そうは言っても…何十年も忘れたことが無い…

物静かで、目立ちたがらない…
そうは言っても…机をぶったたいて、何ごとか吠えた!

人生は短い、一分一秒だって無駄にしたくない…
そうは言っても…ゆったり各駅停車がいい…

人間関係は煩わしいので、一人がいい…
そうは言っても…”朝まで付き合ってもいいよ”

”法則だの、定理が一体何だ!”
そうは言っても…”エエイ、どうしてこうなってくれないんだ!”

ある会社の社長さん”アイツは何を考えてるのかワカラン、信用出来ん!”
そうは言っても…”お前は信用出来る。社長に内緒で馬券買うて来てくれんか!”とその専務

何で僕ばかりがこんな目に…
そうは言っても…僕だけが知ってる、秘かな楽しみ…

この目で見て、手で触らなきゃ納得出来ない!
そうは言っても…見たまんまは信用出来ない…

”人の言葉など信じるものか!”
そうは言っても…”君なら騙されたっていい…”

”みんなつながっているんだ…”
そうは言っても…”誰もここには入れない…”

まだ見ぬ、未知なる自分が居る…
そうは言っても…思い出した! これが自分!

矛盾は矛盾でいい。そうなってんだから…
そうは言っても…”どっちなんだ!”





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気付きと観照

2015-11-24 16:59:05 | 意識、照明
毎日毎日、欠かさず励む修行、一歩一歩より上の境地を目差して…
だが、ランチで大嫌いなマヨネーズが入ってたので大激怒!”オラ、店員! あれほど、抜いとけと言ったのにーッ!” (これにはあの”津田カン”もまっつ青だ…)
あ、しまった! 僕としたことが…僕は超人類を目指しているんだった、こんなことで感情的になってしまうなんて…ハイヤーセルフが泣いちゃうよ!
これで一からやり直し…ああ、神様…僕は何時になったらあなたと一つになれるのでしょうか?
と落ち込んでるうち、「あのねえ…君は全く時代遅れなんだよなア…みんな最初から悟っているんだから、修行なんてやる必要が無い…第一そんなことしてる個人もいないんだよ、これが究極の真理、探究の終わりなんだよ…」と最近”間教”にハマりだした木下一八三課長に”ハイ、論破!”され、ずっとマントラのように”私はいない、私はいない”と思おうとしているんだが、私自身とそう思おうとしている自分との二元性になかなか決着がつかないのであります…。
すると、何やら”炎と光”だとか”首なし人間”だとかのイメージ瞑想の修行みたいなのに凝り出した木下課長を見てるうち、僕は何が何だか分からなくなってしまいました…(終わりなき探究者の手記より)

スッキリしました?…モヤモヤ?…
こういうスピ系界隈にまつわる話というのは、まるで現代世界、人類の縮図のように感じます。
一生懸命何かを求め、何かになろうとし、気付こうとし、そして悟った、行き着いたつもりが…
自分から、自分というものを起点にして、求め、気付こうとして、堂々巡りの繰り返しになってしまうのですね。
普通に考えても自分を超えたものを求めようとしても、この限界ある自分がそうしようとするのは無理というものでしょう。
塀の中で外に居るつもりになってるようなものです。
気付きというものでも、私は当たり前のようにそう言ってしまいますが、自分から気付くことなんて出来るものなんでしょうか?
多くの場合、そのようになる契機が与えられるのではないでしょうか?
例えば先のクサイ例では、怒り心頭になってしまう事が起きます。
ここで、自分を超えようとして”こんなことじゃあダメなんだ”と強がり言ってたって気付けないのです!
”どんなにごリッパに振る舞おうとしても、自分はこういう人間なんだ…”と自分の限界を知らされること…それが気付きというものじゃないですか?
反省するのはいいけど、アレコレ至らない話を盛る必要もありません。元々どこにも至らないんですから…
そこがあなたが置かれている現実だという事です。
そして…まさにその瞬間に光が差し込むのに気付かれることでしょう。
限界を示されて初めて、それを超えたものに光が当たるのです。
一生懸命光そのものを思おうとしても、気付けるものではありません。
このような契機というのは至る所に見つかると思います。
例えば…自称覚者のあまりにも人間臭い振る舞いとか…笑えるう…
でも笑ってばかりではいられません。何でオカシイかと言ったら、自分自身にも有る部分を映し出してくれるからです。反面教師って言いますけど…
そして又、今日のような申し分のない秋の夕暮れ…紅葉に夕日が反射して、まるであの自己を超えたところから観照されている感じを想起させてくれます。
そうです!我々に気付きをもたらしてくれるものは、この”お照らし”に他ならないのです。
有難い気持ちがいつのまにか我々をそのように照らしてくれるのです…。

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新しい人間

2015-11-23 12:51:54 | 哲学・思想
「人間が人間らしいのは、人間の内に神の像を宿しているからである」(ベルジャーエフ)

今世界では、非人道的なテロ、暴力、凶悪犯罪などのニュースが聞かれない日はありません。
ことにISたちは、まるで”我々には不可能な事は無い、何だってやってのける、何だって許される…”それをアラーの神の名のもとに言ってのけるところに、宗教的相克の底知れぬ恐ろしさ、罪というものを感じずにおれません。
彼らから伝わるもの、それは個我というものの行き着くところ…極点というものです。
逆説的に言えば、そこには個我というものは超えられてしまっていて、人間的個我を超えたモンスター、世界支配はおろか世界の破滅にもおもむく超意志のようなものを感じてしまいます…。
それはこの行き着くところまで来てしまった現代文明の歪んだ、突出した姿であり、いわばガン細胞のようなものです。
現代では創造者は、その被造物によって脅かされる時代なのです。
この事と関連して最近流行のノンデュアリティの”個我はいない、ただ起きる事が起きているだけ”といったお馴染みの言説…
これには隣り合わせのものを感じないでしょうか? そうですね、個我がなけりゃ何だって出来ます…クスリを飲もうと、電車に飛び込もうと、原子炉に火をつけようと…なんだって許されるし、何をしようと起きる事が起きるだけ…
勿論私は弁えてますよ。こういったスピ系の教師たちは悲しい時には泣き、笑う時には笑うごく”人間的”な常識人なのでしょうし、あのとびっきり”個性的”な大御所さんも時折は思い出したように、普通人の世界についても触れているのを…
私は何もここで、人道的な倫理をもっと高調しなければならない…などと言うつもりはありません。
ただこの時代のこうした事象を通して、ある兆候が見て取れると思っているのです。
それは今まで思われたとおりの人間なるものの崩壊です。
人道的、ヒューマニズムと言われているもの、現代科学など人間はどこまでも限界が無く、向上できるものだという信仰…それはもはや飽和状態に達して破裂寸前という様相を呈しているのではないでしょうか?
ベルジャーエフは折に触れて「人道主義は人間を限りある限界に閉じ込め、そのことがかえって人間を非人間的なものに追いやってしまう」と指摘していましたが、彼は人間の本質は神人的なものである、としたのでした。
そして歴史の終末に、神の中に人間が生まれ、人間の中に神が生まれる…新しい人間の誕生、新しいヒューマニズムを開くものとしたのです。
同時代にもう一人この新しい人間なるものを唱えた人に、「人間―この未知なるもの」などを著した、フランスの医学博士アレクシス・カレルが居ました。
こちらに感じられるものはしかし、神人というより超人です。人間の未知なる特質は、従来の人間を超えた進化形としての新人種であると、ヒットラーにも紛うような優生主義を展開しています。
私は今日のISたちなどにこの”新しい人間説の歪んだ落胤”を見る思いがします…。
そして我々の精神世界で人々は、相変わらず本当の自分を求め続けています。
悲しいかな、現実の我々自身にはその願望はあっても、人間以上の超人はガンダムなどアニメの世界にしか見い出すことは出来ません。
我々を超人に導くであろう眩い霊的進化論の数々は、この出口の無いような、閉塞感の中で押しつぶされてしまうでしょう。
本当の人間…それはもはや人間の内には見出され得ない…それは人間を超えた何ものかになることでもありません。
いいや、もともと人間を超えたものがある!人間は確かに未知なるものです。その見えないものが見えるものを通して顕わになりつつあるのです。だからこちらがそれを超えようと目論む必要など無いのです。人間崩壊の姿…これが新しい人間の誕生を促進しているようです。

今日もまた全くなんてこたあない、終わりなき日常がため息とともに過ぎようとしている…
何もかもが呆れるような凡俗な生活ばかりときてます!
午後四時の時報が鳴りましたよ…だから…?
やったー! 明日は休みだ! 紅葉を見に行こう…
しかし”高揚”に捉われてしまったら…超えるものにまかすだけです。
その時は…私が私になるまでです…。









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不可解な生き物

2015-11-22 13:18:56 | 詩的文章
人間は本当に不可解な生き物だ

それは取りも直さずこの身のこと

私は”こーゆ―人間です”などと言えるわけが無い…

せっかち、傍若無人、トコトンやらずにゃ気が済まない…

落ちるとこまで落ちるしかないのか

しづかに瞑想? ムリ、ムリ!

これでどうしてあんなにも優しくなれるのか…

要するにこの身は、相反する力の拮抗点なのだ

僕の中で男と女が組んずほぐれつ…

とは思ってみたものの…

戦っているのは一方だけ

一体何に挑んでるのかも分からず

見えない敵に空振りばかり…

息を切らして、疲れ果て

気が付けば、ふと日が暮れて

スズメも囀り、猫も鳴く

ヤッパリここに落ちてしまいました…

分かっちゃいるんだが…

今日も我が歴史は繰り返す…

終わりはあるのか、無いのか…

人間は本当に不可解な生き物だ




























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