人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

生類憐れみの令

2016-06-28 20:35:38 | 雑記
今空前の猫ブームと言われていますね。
私は物心ついた時には家に猫が居て、あの”ノド鳴らし”を子守唄代わりにしていたほどで、ずっとその後も猫には馴染みが有りました。
小学6年の頃、ある日学校から帰ったら、いつも猫が寝ている部屋にノラ犬が居たのに魂消た事が有りました。
多分、猫を慕って?入り込んだのでしょう。この犬は猫に対してあまり好戦的でなく、親愛を以て近づこうとするのですが、いつも心が通じず猫パンチを食らってばかりいました。
そして、このポチもいつの間にか家族の一人になってしまったのですが、兄との兄弟ゲンカの仲裁に入ったりなど、とにかく平和主義者だったのが思い出されます。

ところで、日本の歴史上もっとも名君だったのは果たして誰か?と問われれば…私なら、躊躇なく徳川五代将軍綱吉を挙げます。
ただ、昔親父から聞かされて、それを鵜呑みにして持ったイメージは””世紀のバカ殿”なのでしたが…
だが、知れば知るほど、そのイメージは覆される思いがします。
最近、ようやく再開発されたJR中野駅北口の区役所やサンプラザなどが立ち並ぶ広大な一角、ここは旧町名を囲(かこい)町と呼ばれていたのですが、江戸の昔は、巨大な囲で覆われた中野犬屋敷だったのです。
野犬の保護を目的として造られ、何と8万頭ものお犬様がここをバッコしていたのだとか…
(どういう因果かは知らないが、戦後は警察関係~つまり国家の”inu”たちの管理地となりました)
綱吉は、多分犬を偏愛していたのでしょうが、私はかの悪法と言われた「生類憐みの令」というのは、とにかく犬だけに適応させたものだと思い込んでいたのです。
だったら綱吉はただの犬バカでしょう。ところがこれが、獣類はもとより、鳥類、魚類、虫などにまで及んでいたというじゃありませんか!
彼は隠れジャイナ教徒(インド教の一派。徹底的な不殺生を説いた)だったのでしょうか?
(想像するに、この法令の裏で、ネズミの穀潰しの害たるや、忙しくて計り知れないものが有った、と思われるのですが、こういう時こそ”猫の手を借りる”事も有ったとか無かったとか…)
それだけじゃない。おそらくこの発令の重要な背景と思われるのですが、それは、”姥捨て”、”子捨て”、”切り捨て御免”などの無益な殺生、刃傷沙汰、死体遺棄…それまで横行していた戦国時代の名残ともいうべきこれらの悪習への戒めに向けられていたのです。
つまり、それは生きとし、生けるものの命への畏敬、その保護が基調となっていたのです。
日本はおろか世界の歴史においても、こんなことを発令した治世者などかつて居たでしょうか?
綱吉の評価されるべき事柄はまだあります。
それは、学問や芸術の奨励、精神文化の昂揚といったものです。
とりわけ、江戸時代は、武家を中心に儒教が盛んに広まりましたが、それは綱吉の推奨が大きかったようです。
勿論、それは従来の神道、仏教に加えて、という事でそれらは共存していたのです。
これらが”生類…”の大きな精神的基調となったであろうことは想像に難くありません。
それは又、当時我が物顔でのさばっていた武家社会への規制という意味合いもあったようです。
つまり綱吉は武力よりも豊かな精神の向上を目差していたのです。
彼の治世時は、元禄時代と重なり、その時代は江戸の泰平文化の代名詞のように言われています。
「生類憐みの令」こそは、その象徴だったのではないでしょうか?

現在、動物愛護の風潮が高まってきている反面、虐待という報道も目にします。
動物を死傷させたりした場合、被害を受けた動物は器物扱い。自動車事故で死傷させた場合も物損扱いです。
綱吉の精神から学ぶべき点が多々あるのではないでしょうか?
生類との共存。人類の未来はこの事にかかっていると言っても言い過ぎでは無い、と私は思っています。


















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お上の水

2016-06-26 13:42:12 | 雑記
水不足が懸念されているこの夏ですが、普通に水が飲めるこの国は本当に有難い、と思います。
今、次は誰がその代表の椅子に座るのか注目されている都庁のある西新宿界隈。かつてここは巨大な浄水場だったことを知る人はどのくらい居るでしょうか?
私は微かな記憶で、すでに役目は終えて、空になったどでかいプールの埋め立て工事をやっていたのを覚えています。
ここにはすぐ近く甲州街道に沿って流れていた玉川上水から水が引かれていたのです。
玉川上水は、今でも京王線久我山駅の南付近から西は武蔵野の面影も漂う、雑木林の間をぬって流れているのを見ることが出来ます。
まるで、この流域はひょろ長い都会のオアシスといった風情です。
水路を遡って武蔵野市と小金井市の境付近の境橋で水路は分かれますが、この北東に向かうこじんまりとした流れが私にとって伝説の千川上水です。
私は小学6年の頃、練馬区の地図で西武池袋線にほぼ沿ってこの川が流れているのを知って、バスに乗りワクワクして行ったものの、すでに暗渠化されていて何とも言えない気持ちになったのでした。
いつだったか、豊島区の地下鉄有楽町線の千川駅の近くの暗渠を初めて訪ねた時、その風景が前に夢で見たものとそっくりだったので、驚いた事が有ります。ただ、夢で見たのはもっと周囲に自然が残されていて、清流が流れていたのです。
埼京線の板橋駅を挟んで東西に旧中山道が走っていますが、そのすぐ南に沿った道路は千川の下流部が流れていました。
そのすぐ南側は下り坂が続いており、こんな尾根のようなところに川が有ったとは、なかなかイメージ出来ません。
このように東京山の手の起伏に富んだ地形を考えると、人口の川を開くことが如何に困難をきわめる事か想像に難くありません。
これを江戸時代~正確な測量技術など無かった頃~に続々と行っていたのです!
通称、江戸の六上水と呼ばれ、神田上水が第一号で、三田上水、青山上水、亀有上水(スカイツリーのすぐ横を流れていた)に上記の二つを加えたものを差しています。
亀有上水以外は、隅田川の西側、山の手台地を流れていました。下町は下町で土地が低すぎて水が流れにくいという難しさがあったようです。
千川、三田、青山上水は、玉川上水の分水ですが、同じものに野火止用水や品川用水などがありますが、上水と用水とどう違うのかが私には判然としません。
上水とは下水に対しての呼称で、飲料水のことであるのは分かりますが、おそらくは、この六上水について言えば、ことごとくが小石川、白金、赤坂、浅草、本所などの御殿、大名屋敷、各要所に給水する目的で造られた…つまり上水とは”お上の水”という意味合いもあったのではないかと思います。
とにかく上水と言ったら江戸の昔からこの六上水のことなんです!…関西に居た時そんな呼称は聞いた事ありません。
お上は如何にエライのか知らないが、江戸町民のノドも心も潤わされてきたのです。
おそらく、それは天の恵みのように感じられたことでしょう…(本当のかみの水です)
実際の役目は短い期間で、多分、多くの場合ほとんど用水と変わらなくなっていたでしょうが…
そして、その流域には雑木林が育ち、多くの動物たちも憩っていたことでしょう。
それは現在の玉川上水、千川上水などの”見える”流域からも容易に垣間見ることが出来ます。
江戸の上水は言うまでも無く人工河川です。
だが、それは自然環境を損なうこと無く、自然と人間が共存出来る、という数少ないモデルの好例ではなかったでしょうか?
上水は江戸文化の生んだ最高傑作だったと私は思っています。
30数年前、野火止用水を皮切りに、玉川上水、千川上水と清流が復活したのを関西で知り、上京してワクワクして訪れたものでした。
(ことに伝説の空堀千川上水に”チョロチョロ水が流れておる!”のを実見した時は”こりゃ、夢ではないか!”と感じたものです)
これと前後して下町でもあちこちで親水公園が次々造営されるようになりました。
その多くはコンクリートの下に埋没されたものをその上に生かす、という試みです。
高度成長時代には暗渠化、フタ閉めに明け暮れていましたが、これらは僅かながらも命の復元のフタ開けの意識の顕れを見る思いがします…。










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想い出を味わう

2016-06-25 13:15:19 | 雑感
人は老境にある時、困難に直面した時など、過去の楽しかったことなどに思いを馳せるものです。
想い出。…
人生には楽しいこと、悲しいこと、つらいことなどが入り混じっているものですが、ハテ…思い出そうとすると…
鮮明に脳裏に浮かび上がるのは、楽しいこと、喜ばしいことばかりじゃありませんか?
楽しみ、喜びの形は色々あれど、そういう時には、夢中になってて何も考えていないものです。
ホントに苦しいことというのは、中々思い出せないものです。
クヨクヨ、アレコレっていう思いというのは、その時だけ頭の中を回っていたのでしょう。
つまり困難な問題というのは、その時にしか派生してなかったのです。
思い出そうとしても、何が問題だったかが分かりません(笑)
ただ、悲しい気持ちというもの…これには様々な面がありますが、その心底にあるものは微妙な曲線を描きながらも蘇ってきます。
私は、すぐに思い出されてくるもの(それは常にあるものだから)には喜びが浸みわたっているのを感じずに居れません。
こうしたしみじみと湧き出る感情は、ワイワイした楽しさよりもずっと奥に根付いているようです。
憂鬱そうだけど、ホントに憂いて、気が沈んでいるんじゃないのです。
これは郷愁と結びついていると思います。懐かしいことは、物悲しいものなんです。
上手く言い表せないですけど…人の本来性から来ていると思います。
(本当に何よりも大事な、失ってしまったサムシング…失ってしまった悲しみ…魂の記憶の蘇り…)
そして、この哀感に隠れているのは、間違いなく喜びなのです。
これまで、世はあまりにもこの微妙なメランコリーというものは、意識され、認識されてこなかったようです。
誰もが経験しているハズなのに…
こういうことは、物悲しい旋律の音楽などに接していたら頷けるのではないでしょうか?
理屈抜きに喜びと悲しみがない交ぜになった涙を誘います。
甘美な哀感といったらいいのでしょうか…
何にしろ、それらはああでもない、こうでもないといった考え事でないので、すぐに想い出として蘇ってきます。
それはおそらく身が覚えているからでしょう。
身が覚えているという事は、生来からの、本源的なものということでしょう。
人が楽しさや喜びを覚え又、その郷愁に駆られている時、本源の世界からそれとなく愛の波動が染み込んできているのでしょう。
ことに人生の黄昏を迎えている時や苦難にある時など、過去の想い出に浸ったりすることは、自然と天からそのようにしむけられているように感じます。
これを逃避(時と場合による)とか決めつけたりしないで、じっくり味わってみたらいいでしょう。
そうですね、思いに浸るということから進めて味わってみる…
我々は今までずっと頭の言いなりになって、色々意味付けなど持ちこんで、この味わうということから遠ざけてきたのです。
味わっているうち、愛のハタラキというものは、過去も現在も無くハタラいていたことに覚めてくるでしょう。
過ぎたことをクヨクヨしてても始まらない…
されど、過ぎたことが今に蘇って未来を拓くのです。




















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僕は一人じゃない

2016-06-24 19:44:37 | 独語
僕は今一寸した困難に陥っている
困難…それは自分一人っきりという事だろう…
世間は相変わらず世知辛い…罪と責任のなすりあい
一人じゃ背負いきれない重荷の押しつけあい
これは、一体幻想なのだろうか…
喜ばしいことは、誰もが共有するんだが…

あれは、僕があの強烈な歓喜の精神的嵐に見舞われていて、日常に戻りかけていた時だった
例によって、それは見えるように見たのでは無く、意識に直接感じたものだった…
何か妙に懐かしい、暖かいものに包まれつつ…
何人かの人がここに来ているようだ…
誰だろう?この人たちは…会ったことが無い、見覚えが無い(何故か見てなくても分かるんだ)が…
前世か何かで出会ってるんだろうか?…それともこれから出会う人たちなのか?
いや、もともと霊的な存在なのだろうか?
一体、これは幻想なのだろうか?
ただ、この親密感というものだけは、ヒシヒシと感じてくるんだからどうしようもない…
何にしても、この人たちは、ごくごく僕に親しい関係に違いない
何とも不思議な交流…こんなオープンでいいのだろうか…
家族ですら、こんな感じで接したことなど無かった
ギスギスとした、ぎこちない人間関係しか持ちえない、この僕なのに…
あなたたちは一体僕の何なのですか?…魂の兄弟?
水臭い?…そうだよねえ…そういう事なんだよ、きっと…
この何世にも渡るような出会いっていうのは、どう言い表せればいいんだろう…
いや…言葉など要らないんだ、何もかもストレートに伝わる…
僕には色々なシガラミも、人には言えない事情も抱えていたハズなんだが…
ここでは…どこにも見当たらない…どっかへ行ってしまった
あれもこれも、悪いことというのは、思ったより悪くも無い…
だがこの無言の語らいは…文句なく良い!
そ、そうか、そうだったのか!…このことなんだ!
ずっと、僕は孤独だったのに、気が塞ぐことは無かった
胸の辺りに暖かみを覚えながら、こんな声なき声を聞いている様だった…
”君は一人じゃない”
僕たちはあの御方の子供なのか? 
教えて欲しい! 僕たちは今生で出会うことになるのか…それとも…
だが…そのことを知らされないまま、僕を包んでいた透明の幕は引いて行った…
分厚いコンクリートの世界に連れ戻されたのだった…

そして…”彼ら”とはその時しか出会っていない
彼らは幻想なのだろうか…
彼らとは誰某のことだったら、私との関係は仮初のものになるだろう
だが、私自身と切り離されたものじゃない有り様だったら…
”我々”はどこにも行かない
だから…
”僕は一人じゃない”




































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帰依三宝

2016-06-21 12:37:00 | 仏教関連
「自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して無常観をおこさん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して一切無碍ならん。」
                                (華厳経ー浄行品)

聖徳太子は仏教精神の基調として、三宝に帰依することを強調していました。
ことに十七条の憲法で、篤く三宝を敬う事を掲げて、現世的な指導理念にも対応していました。
これは上掲のように、華厳経の中に「三帰依文」としてまとめられています。
三宝とは”仏、法、僧”のことですが、初めの二つについてはあまり説明を要しないと思いますが、仏とはゴータマ・ブッダを差しているのでしょうが、もっと広義に目覚めた人のことであるとともに、内在の仏性のことでしょう。
法は言うまでも無く、形なき命、ダンマ、内在の仏を呼び覚ます、生きたハタラキ的なもののことです。
そこからは又、仏智というか深い叡智がもたらされ、文字を超えた経文の意味、その指し示している深く、普遍的な内実に触れることが出来るのでしょう。
問題は僧~サンガです。通常は仏教の僧侶集団のこととされていますが、これがそんなに敬われたりされるものなのでしょうか?
ましてそれが帰依の対象とされるに至っては…仏教の独善性の強調、又その巧妙な勧誘のことかと思ってしまいます。
実際、ある宗派ではそんな都合勝手に解釈している向きもあるようです。
しかし、この華厳経自体は、仏法の普遍的広がりというものに根差して書かれたものです。
この三つの文には、いずれも”衆生と共に”という言葉がつながっています。
仏性も仏法も衆生において、浸透し、実らんことを思念されているのです。
これは、見える僧侶集団のことではあっても、より根源的意味では、見えざるサンガというか、霊的共同体のことを差していると考えれば自然に頷かれてきます。
これは一人の人間の内に隠れた蓮華蔵世界であり、宇宙共同体、業熟体(玉城康四郎)のことでしょう。
そして仏、法、僧の全てが三位一体のように相関しあい、個的であると同時に普遍的なものと一つのものとして在り、展開されていることが知られます。
そこには、一人がブッダ性に目覚めることは、衆生の目覚めにつながり、思想、信仰もバラバラに分かれた人類に、各々の個別性、特色はそのままに、障壁を超えて統合されるという、願いが込められているのでしょう。
こうみると、これは帰依といっても、信仰の拠り所といったことにとどまるものでは無い、ということが感じられてきます。
否、いつまでも信じ仰いでたってしょうがないです。この三宝とは人、人類の本来性であり、ここに生きていることの根拠であり、これが生きて来なければ立ち行けなくなるものと言ってもいいでしょう。
それはもとより、どこまでもまた内なる(表現は様々ですが)”生けるブッダ、生けるダンマ、生けるサンガ”の顕現によるものでしょう。
それは仏教諸派のことは勿論のこと、あらゆる思想、宗教を超えて通底したものであることが理解されます。
これほど根幹的なものであるに関わらず、聖徳太子にあって仏教の基調であったものが、その後はどういうわけかなおざりにされてきた感が有ります。
仏教各派の著しい相対化、分派化も、形骸化もこの事と関係が有ったのかもわかりません。
しかし、今日”生ける三宝”の内実に触れている人も現れ始めていることでしょう。
言葉は聞かれなくとも、無音のひびきはいつもヒシヒシと伝わってきます。
帰依三宝、南無三宝…











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