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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

日本の神人思想

2025-03-29 07:15:48 | 日本的霊性
禅を中心としながらも、枠に囚われない自由な視点からやさしく霊性の道を説いておられる、立花大敬先生は、特に幕末の時代に相次いで生まれた、黒住、金光、天理などの教派神道の諸教にも深い共感を寄せておられるところに私は興味深いものを感じています。
何故か、明治に生まれ、その教派の分類には外れていますが、明らかにその法統を継承していると思われる大本教のことはあまり取り上げられていないようです。
大敬先生の愛読書の一つは、金光教の教祖、金光大神こと川手文治郎師の伝記だそうですが、大本教は、金光教の一支部から分かれたもので、ご存知、その「金神」という神観も受け継いでいるのです。
先生は、この一連の神道教派の流れを日本的霊性のルネッサンスとし、私と同じように、鈴木大拙師が唱えた、鎌倉仏教だけが日本的霊性の発露では無いのだ、と捉えているようです。
私はその流れに又「日本的メシアニズム」の顕れを観ておりまして、そこでは、神は祀られてばかりでなく、顕現し、啓示して来る...親しく人間と関わり、交わり、あたかも聖書の世界で、旧約から新約に見られるメシアニズムのように、“救済神“という側面を強く表し、その救済の法途として経倫、神仕組みを打ち出すのです。
それは、大本の出口王仁三郎師の登場により、ハッキリとその性格が表れ、頂点に達したと言えるでしょう。
先の金光大神の伝記で金神は「氏子あっての神、神あっての氏子であるぞ」と文治(教祖)に親しく告げています。
この言葉など、19、20世紀ロシアの哲学者、ソロヴィヨフやベルジャーエフらが説えた、そのキリスト.メシア待望と結びついた、“神人思想“と全く相通ずるものが感じられます。
「人間に神が必要であるように、神も人間を必要としている」「神の国の成就は、神人の協調に拠る」(ベルジャーエフ)
いつも言っているように、独り人間が存在すること、実存することにおいても、それは自己を超えた、神的なもの無しにはあり得ないでしょう。それはそう在らしめるものがあるということなのです。
そういう響きを通して、私はそのように神が臨み、切々と“望んで“おられるのを感じずにおれません。
私において、神と一つになることは、私の“神の国の実現“に他ならないのです。
一人一人のそれが、我々の神の国の実現につながるのは言うまでもありません。
わが国においては、その幕末から明治にかけて派生した、一連の神道の流れは、救済神待望と同時に神人が相依り、相成す時代の到来を告げる、日本的神人思想の発現だった、と言えるでしょう。
それは、金光大神に告げた金神の啓示の言葉である、それまで“祟り神“として恐れられていた神が実は人間と切り離されないものであるようにも、直接つながるものであることに端的に示されています。
その点、大本開祖、出口なお刀自の“艮の金神“のお筆先の言葉には、“人民三分になるぞよ、どんなむごいことが出体してもしれんぞよ...」と裁きの神の側面も多々感じられますが、別の面でそれは神人の「持ちつ持たれつの世」の到来を告げるものであり、出口聖師に顕れ、働いた救世主神に和合したように、型は示されているのです。
神人協調の神の国の成就には、一人一人が恐れることなく、神と親しく、向き合うことから始まるのでしょう…。
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単純な神の道

2025-02-08 07:24:23 | 日本的霊性
わが国の神道は、仏教やキリスト教などの“高等宗教“からは、一段低い宗教のように見られているようです。
曰く、因習に囚われ、呪術だとかに頼ったり、迷信や俗信が付きまとい、原始的な有り様から脱してない...
確かに表面的に神道という形態を見れば、そのような傾向があるのも否定出来ないでしょう。
成長した高等宗教よりも、幼い段階にとどまっているようです。
幼い...そうですね、難しいキリスト教神学とか、仏教哲理のようなものは発達して来なかったのです。いや、そういうものは必要無かった、と言うべきでしょう?
それらがわが国の精神世界には根付くことは無かったのです。
神や霊魂などの実体が存在するかどうか、という議論は置いといて、単純に神を信仰するという心性があるのです。
勿論、それは、神を対象にして信じるということではあるのですが、自然とそのように赴かせるものがそこにあるのではないでしょうか?
神道という形を超えて、ずっと心性に息づいているものは、この幼い単純さなのでしょう。これは煩雑な神学、哲理に囚われることで失ってしまうものではありませんか?
縄文の昔からその根底にあるものは、名付けられないものだけど、私は強いて単純に“神の道“と呼びたいです。
神の道というのは、実はすべての宗教の根底に生きているものではないですか?(神道でよく言われる寛容性というのは、ここから来ているに違いありません)
難しい、押し付けがましい教えなどが無くとも、とにかく神の前には理屈抜きに、畏怖(恐れでは無い)の感情を呼び起こされ、意(威)を正さずにおれなくなるものがあります。
神はとにかく、実体があろうと無かろうと我々の思い、力を超えたものなのだから!...
こういう意識が自然と我々の内に刷り込まれていて、それが単純に、神を対象にして礼拝するという形として表れているのでしょう。
神の前には我々は、そのように赤き心に帰らざるを得なくなるのです。神に直ると言う。
そこに我々は、神直々の心を頂いているという思念がある。それを真我と言ってもいいでしょう。
神、真我に実体があるかどうかは言うまでもなく分かりません。
分からないけど、そのようなものは自然と感じられて来るのです。神を前にすれば!...
これは多く、対象的な神信仰、礼拝という形のことを言っているのですが、それは神的なものと意識的につながることを象徴、表徴しているのです。
普通はあまり意識的になることは無いでしょうが、いつ意識に深く神的なハタラキが浸透して、神の手に捉えられることが無いとも限りません。(それはまあ、“神がかかった!“というように捉えられるのでしょうが!)
表層の神道の形の奥に息づいているものは、こうした本来名付けられない、原初的な神の道であったのです。
表層の意識にとどまらず、より意識的になることで、諸々の夾雑物を超えて、神の道が顕わになるでしょう。
段々、神直々の...神が直に我々の意識に顕わになるのを身に覚えるのは、日本人として生まれた私だけでは無いでしょう?...






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原初的な日本的霊性

2024-10-17 10:10:21 | 日本的霊性
鈴木大拙師と言えば、言わずと知れた日本を代表する宗教哲学者です。
専門である禅仏教を超えて広く、普遍的な宗教、霊性の道を究明され、内外に伝えられました。おそらく、欧米でもっともよく知られた知識人かもしれません。
その著「日本的霊性」(岩波文庫他)は、我が国の宗教哲学上の名著として知られているのですが、私は最近再読してみて、やはりこれは!...最初と同様、私には食い足りない、あまり首肯出来ない部分もあるのを感じてならなかったのでした。
師によると、日本的霊性は、鎌倉仏教において、ことに道元、親鸞の出現を通して初めて発露をみたのだという。この著書ではもっぱらその親鸞を始め、浄土系仏教を中心に考察を展開しているのです。
私は、その霊性の発露という意味ではその通りだと思います。それは、個己(師はこの言葉を多用しているのです)の実存に顕わになったということでしょう。(私は常々親鸞こそ我が国の実存主義者の草分けだと思っているのです)
霊性は又、苦難を通して発露をみるという。ということは、それは我々の心理作用、状態によってもたらされるということになります。内的に自覚されると言ってもいいでしょう。
しかしながら、それに先立って我々の精神状態を超えて、霊性、霊なるもののハタラキというものが無ければならないのでは?...発露があるということは、まずそれは我々に元々内在、潜在しているものがあるということでしょう。(師にはこれについての言及がほとんど無いというのはどういうことなのでしょう?)
元よりそれは、実存的、自覚的には感受されないものなのですが、苦難の有る無しに関わらず、何人にも、それは感覚されるものであるはずです。肌で感じるような大気、そう霊気のようなものであり、すべての霊性というものは、この我々に内在し、我々に原初から取り巻いているものがベースになっているものと言えるでしょう。
”そういうものは、そう思われている、信じられているだけのもんだ”、なんて決めつける御仁は、肌でそれを感じたことが無いということなのです。
それは、古くから神域、霊域と言われるお社にしばし、佇み、お参りすることで感じられるでしょう。
大拙師は、主として真宗を始めとする鎌倉仏教と古来の神道との対比で、論を進められるのですが、もう最初から仏教は神道に比べて、霊性の面ではるかに優位に立っている、という固定観念があるようなのです。
私には、師はやはり神道の方は専門外で疎く、先の原初的な日本古来の霊性というものを肌で感じたことが無いのではないかという印象をどうしても持ってしまうのです。
そりゃあ、神道の方面には、大拙師を始め、優れた仏教学者、宗教哲学者はほとんど輩出したこともないし、かつて居たとしても右翼思想とか国家主義と結びつく傾向があったのも確かなことです。
又、俗信や迷信、オカルト思想とも容易に結びつくし、その霊性ということも、心霊学として捉えられ、思いを超えたものに開かれること少なし、という感は否めないものがあります。
このことは、先の霊性が個己の実存に顕わにならないことにつながるのでしょう。
先の肌で感じるというのは、表層感覚のレベルについて言っているのですが、この原初的な霊的ハタラキが、個己に内在、潜在する霊性に感応してそれが表出することも無いとは限らないのです。
そうでなくとも、こうした原初的な日本的霊性無くして、霊性の発露云々ということは語れないのではないでしょうか?
大拙師は、神道の精神世界は、集団的な思念に留まっていると言いますが、これは、そうした後天的な要素よりはむしろ、先天的な”自他未分”の状態に留まっていると言った方が適切でしょう。だから、先のあまり本質的でない、前時代的なものと結びついてしまうのでしょう。
しかし、今、時節は、神道、仏教、そしてあらゆる宗教的伝統を超えて、原初からの純正なる霊の息吹きが個己の霊性に呼応して顕わになって来たのを感じずにおれません。
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鎮魂と神の道

2023-05-03 09:31:00 | 日本的霊性
“神の道“というのは、これはもう、日本の古来の道そのものなのですね。なんつったって“神道“なんですから!
先月、千葉県のある神社にお参りしたのですが、久しぶりに何て言うか、自分の中に、ある中心(妙な言い方ですが)が感覚され、それがズシンと鎮まるような感じを覚えました。
少し前に、“神が内側に感覚されることはあまりない“、みたいなことを書いたりしたのですが、そういうこともやはりあるのです。なんてこたない、久しく感じてなかったってことでしょう?
それは、自分の中のどこに感じるかというと、具体的には下半身、ハラの辺りです。鎮まると言ったらそういうことになります。
魂というものが有るのか無いのか知りませんが、そういう何かのタマみたいなものが鎮まる...“ははあ、これが鎮魂ってもんやねんな!“
これまで漠然と感じてたものが一寸意識的になると、ストンと落ちたような?...これも又鎮魂の妙ではあるまいか?
いつもそうなるとも、その神社でなるとも限らないですが、大概そうなるという、神域というものもあることはあります。
神は偏在している、と言いますが、どこでもいいようで、ここでなければ、というものも確かにあるでしょう?
こういう道は日本ならではのものでしょう。
これは、お寺や教会などでは、お祈りや礼拝によってそうなることはあっても、その地場との
関わりでなるというのは、この道ならではのものですね。
これには、お土、木々、岩などの自然の恵みが媒体となっているのは言うまでもありませんが、自分自身の中にあるものとの共振というもの抜きにしては起こり得ないでしょう。
鎮魂とは、自然に、自己の中心に帰ること...あちこち飛び、馳せ、浮きあがる思いを中心に鎮(静)め、統べること...
別段、鎮魂行などしなくても、お参りするだけで、いや、神域に近づくだけでそうなったりします。
勿論、“考えている私“だけからは、そうなったりはしません。そうさせるものが臨むからに他なりません。
それによりは魂(のようなもの)が揺さぶられり、呼び覚まされます。魂が振るう、振魂!
鎮魂には、このような側面も伝えられているのです。
そうだ、そうだ!...この二つは切り離されないものだったのです!...ストン!
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コンクリートだらけのお社

2023-01-29 09:36:06 | 日本的霊性
昨年末、日本橋の水天宮にお参りしたのに続き、先日は芝にある”小さな“宮さん、芝大神宮にお参りしました。
どちらも久し振りなのでしたが、特に行事があった訳でもないのに、混雑も予想される正月の期間は避けていたにも関わらず、参拝の行列が出来ていたのに正直びっくりさせられました。
どちらも過去数度訪れたことがありますが、そういう光景に接した記憶はほとんどありません。
前者は、商店街を成している人気スポットだから不思議でも無さそうですが、後者の”小”神宮なんかは、近くの“大きな”増上寺の影にすっかり隠れている印象だったのですが...
生きづらい、世知辛い世相を反映しているのでしょうか?
しかし、どちらのお社もビジネス街の真っ只中にあるだけあって、その周りはコンクリートで固められてしまって、神社本来の、お土や古い巨木などの自然と通い合う空間というにはほど遠く、あれでは神気、霊気などが通るはずなど無いと感じざるを得ません。
それでも人々は神前に額ずこうとしている!...何を祈ろうとしているのか、どんなお陰があるのか知る由も無いですが...
いや、そんな私は寒いのに一体何をしているのか?
行列に加わっているのですよ!、あったりまえでしょ!
そうしてると、エラそうに、批評家気取りで、傍観者みたいに書いてるのが恥ずかしくなって来そうです。
周りはコンクリートだらけでも神社は神社!..”.一寸足を伸ばせば、本来の神社の持つ地場にも触れられるぞ!”、なんてバカなことを言ってはいけない!
神社の存在とは、その地域特有の歴史、(見にくいものとなっても)風土と共にあるものなのです。それは又、一人一人の精神的歴史風土とも関わるものだと思います。
そして、私はどちらとも参拝を終えて、何か私の内部に通ったような、すがすがしい気分になったのでした。(どちらもこの地域で生まれ育った訳でもないですけどね)
なるほど、そこは本来の神社の在り方からはほど遠く、我々の文明が自然が醸し出す気を覆い、閉じ込めたことを象徴しているように、コンクリートで覆われています。
しかし、祈るということは、外からの気の感応ばかりでなく、我々に本来から与えられている、内的なものが呼び起こされることでもあることを改めて感じさせられたのでした。
このような様態にあっても尚、古来からの風儀は伝えているのです。
こんな時代だからこそ、それは尊く映るのでしょう...。
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