人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

和を求めて

2018-08-18 12:35:31 | 回想
私が関西に住んでいた、90年代の中頃からでしたか(もっと前の記憶なら鮮明に覚えているのですが、この頃になると曖昧なのです)、神戸三ノ宮にあった月一回の道院紅卍字会(大本教とつながりの深かった中国の宗教的団体)の集まりに、東京に帰ることになる2003年まで定期的に通っていました。
キッカケは、日本における道院史でも、大本裏面史でも触れずにおかない人物、笹目秀和翁の神戸での講演に行った際、数人の神戸の卍会員たちと出会ったからです。
老修のHさんからは「君は集会に来なきゃあ、ダメだよi」などと強く促されたりなどしたのでした。
そう、彼らとはおおよそ12、3年ぶりの再会なのでした。私は仕事の都合上が大きな理由で遠退くことになったのです。
かつては常時10人ぐらい集まるなど、活況を呈していましたが、その半数以上は大本信者だったと思います。その大本もニ派、三派と分裂がエスカレートしてくるのですが、その道院の集会は超教派が特色でした。
いや、その道院すらも"大本"からして香港(大陸)系と、台湾系とに別れてしまっていたのですが、香港主導だった東京と違い、やはり門戸が開かれていたのでした。(といっても人数は約半数に減ってしまっていたのですが)
こうした寛容な生き方は、神戸支部(寄修所と呼ぶ)設立の中心人物だった、先代のY会長が育み、養われたものを息子のY会長が引き継いでいるようでした。(和合を重んじる道院も既にその内実は失われてしまった感もあります)
先代会長には、2、3回しかお会いしたことが無かったですが、何ともホンワカと和まされずにおれない雰囲気を醸し出していたのを思い出します。
で...正直言って、久し振りの神戸道院の集会というのは、既に集まり全体が老境に達しているようで、活気なく、何となく惰性でやってる感も拭えないものがありました。
雑談で、宗教的なことに触れることもありますが、そんなに深い話にはあまりなりません。(ここで宗教、スピに関して書いているようなことなど勿論出てこようはずもない...誰からもそんな話求められませんでしたし...)
でも、私は自由に気楽に語り合える、そうした時空間の共有は結構好きでした。
時々異なる大本信徒の間で口論が起きかけたりしましたが、何だか和を乱してはいけないような気がしてくるのか、自然に抑えられてしまうところも見られました。
やがて老修の方も亡くなり、入れ替わるように若く、私と違って?修道に熱心な青年Tさんも参加するようになり、少しく道院本来の、修道について全体の意識も向けられるようになった気運も感じられるようになりました。
そして、Tさんの意気に感応したのか、東京からわざわざKさんという、これ又熱心さと"和"を感じさせる人物も参じるようになり、いつしか集会も和やかな中にも、"学び"を志向するような空気ももたらされるようになったのです。
ある時、Kさんの代打でか、Sさんという、一寸クセがありそうな人物がやって来たことがありましたが、この時は、私にはどうもSさんは尖っているというのか、和から飛び出しているようで、少しく違和感を覚えました。(後にSさんとは東京の道院の集まりで激しく衝突しました)
私はめったに表には出しませんが、妥協しようとしない、ストリクトリーな一面もありますが、いつもの仏頂面に反して?"和"にくつろぎ、尊ぶ面もあるのです(要するに二重人格ってこと)。
"ぐがあ"となってる時というのは、大体が"理"に走っている時なのでしょう。
それでも、私は根本的には道理を通すことよりも、自然と和に赴くことでしょう。和は愛に根ざしているものだから...
しかし...和が踏みにじられるようなことになったのなら...もう、手がつけられないほど"ぐがあ"となってしまうかもしれません。
これは私の生来からの性分でしょう...
神戸の道院もいつしか自然消滅してしまいました...。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする