まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

洞窟の中

2014年11月25日 | 日記
先一昨日の地震は揺れた。
活断層の上に棺が置かれていて、その棺の列島の中で生きている私たち…。
そんな思いを束の間抱いたし、津波地震の時の衝撃と恐怖を思い出したりもした。
被災すると、喪失感と無力感で日常生活が飛んでしまう。
小谷村と白馬に住む友人が無事との連絡があり、ひとまずほっとしている。

仲間の無事を聞いてほっとする。
よかった…胸をなでおろす。
それ以外、他に何も出来ない。



おでんの湯気にもほっとする。
写真には湯気も移っている。
M氏が作ったお鍋は熱効率が高い。
結構長い間湯気が出る。


写真には写らない部分。
お鍋の底には、大根、たまご、じゃがいも、昆布が隠れていて味が沁みているし…具沢山。

災害の被災地がニュース報道されている。

TV画面の隙間から零れ落ちる被災地の人々の営み。思い。痛み。苦しみ。
報道されない部分。規制される部分。
そこに一握りの真実が隠れている。

我々人間一人々は奴隷なのかも知れない。

君が奴隷であることだ。生まれたときから匂いも味もない牢獄に入れられている
ウォシャウスキー兄弟の言葉。

TVを何十年見ても物事の本質は解らない。
現象の背後にある“本当の事”をとらえて理解しない限り、どんな情報も自分の人生のプラスにはならない。

つまりは役に立たない。

投影された影を実存だと勘違いして認識する…という。
洞窟の比喩…プラトンが言った言葉通りになる。

何の知識も持たない者は毎日足元ばかりみながら生きる。
税金の支払い。電気、水道、ガス代金、住宅ローン…
ある意味の強さ(国家権力に従順という鈍さ)は、生きて行くうえで必要でもある。
そしてずるさも少しはいる。

しかし…知識を持たない者は知りたいと思う欲求も好奇心もない。

ストラビィンスキーの火の鳥を聞く。
中世の暗い森の中を歩いている自分がいる。

ただ、暗い森の中に光輝く精緻な感性がちりばめられている。

リズム(律動)がある。

明日は又歩きだせる。



















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