カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

満開の桜の木の下に

2020-03-30 16:25:58 | 日常あれこれ
 テレビのスイッチを入れると「コロナ」関連の話題となり、新聞を開くとほぼ1面はコロナ関連記事。

 政治も問題も経済の問題も、すべてコロナの問題から派生した話題となっている。

 それら世情とはまったく趣を異にしているのは「お隣のミサイル発射」と「桜の花が見ごろ」という話題。

 どちらもコロナの前に影が薄くなってしまった。

 ミサイルは空気の流れを遮断するような異次元の話題として、どこの国も勝手におやんなさい的冷ややかな対応。

 桜の方は、濃密接触抜きでそぞろ歩きで見上げることくらいは出来たのだが、これまた天気が思わしくない。

 

 秋津川の河川敷の桜は6~7分咲きで見頃を迎えている。

 4年前は、桜の下で大いに盛り上がった2週間後くらいに、震度7が2度やって来た。

 それでも、その翌年は地震のあとの水害や台風で斜めに倒れかかった桜が、そのままの姿勢で花を咲かせたのを感心しながら眺めた。

 その翌年は、桜の木の下の敷物の上で家族や職場で集まって楽しむ姿が沢山みられるようになった。

 地震にめげるなという、多少は自分を奮い立たせる意味合いもあって、比較的静かだが混んでいた。

 

 今年は、桜だけが静かに咲いていて、いろいろな鳥が花から花へ蝶々のように飛びながら蜜を吸っている。

 恐るべしコロナウイルスである。

 

 川面では水鳥が、静かなひと時を過ごしていた。

 土手を走って驚かす子供たちの姿もなく、流れてくるプラスチックの容器もない。

 ひょっとしたら本来あるべき自然の姿なのかも知れない。

 この頃、「災害は忘れた頃にやって来る」から「・・・忘れないうちに・・」に変わったと言われるようになって久しい。

 しかし、グローバル化の効率性と脆弱の挟間を、微小なウイルスに衝かれるパターンは、災害としては相変わらず「忘れた頃・・」になっていたのだ。

 これから、効果的な治療薬や予防ワクチンが出来るだろうが、新手の敵は次々と手を変え品を変えるだろう。

 ウイルスも忘れないうちにやって来る、そんな時代は御免こうむりたいのだが・・・。

 「満開の桜の下にウイルスが」・・・・しろ猫

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