子曰はく、上(かみ)に居て寛(かん)ならず、礼を為(な)して敬せず、喪に臨(のぞ)んで哀しまずんば、
吾(われ)何を以(もっ)て之を観んや。
八佾第三の二十六
人の上となって民に臨むのに寛大でなく、礼儀作法を行うのに敬意がなく、父母の喪にいて哀しまないならば、
既に上におり、礼を行い、喪にいる根本の精神が欠けているのであるから、
私は何事をもってその行うところの得失を観よう。
まったく観どころがないのである
お正月休み明けの昨日は、私にとっても大変忙しない日となりました。
たくさん洗濯物もあったので洗濯機を3度回し、お正月期間中も早朝から掃除はしていたものの、
もうチョイ丹念にと思ったりもし、主人がやった適当な除雪を直そうと思って出たらそこそこの積雪になっており、
吹雪の中、除雪と整備をしました。
1時間ほど遣りましたが私は雪に濡れたってよりも汗だくとなり、今日4度目の洗濯をする。
これで今日のことは今日中に済ますことがほぼ終了と思ったものの、そうそう、細々としたことがやっぱり目に付き、
「シャーロック・ホームズ」と「世界ねこ歩き 田園の南仏」(いずれも録画)を見てコーヒー飲んでラスクを食べ少し休憩してからまた始動。
「キングダム2」は夕飯のときに主人と一緒に見る、一番好きな番組と云うかアニメである。
これだけやっても案外平気なものだと思っていたらば、夜中に身体中が痛くて何度も目を覚ます。
どこがどう痛いってものでもないのだが、以前にも出かけた際には起きた症状であり、何ともあずましくはない・・・。
けど、こうして朝起きればケロッとして全然平気になっている。
身体だけの疲れならばこの年齢になっても一晩やすめばよく治るものだが、まるで神経疲れをする様な場とか事とかには、
私はもう接触したくない気持ちだ。
そうも如何んってことはなく、そうしようとかそう出来る環境にあることはありがたいと思う。