太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

どれでも同じだった

2021-03-08 09:29:49 | 不思議なはなし
三姉妹のうち、適齢期以内に結婚したのは1番下の妹だけで、姉と私は晩婚だった。
今では信じがたいことであるが、昔は女の結婚適齢期は24歳である、と公然と言われており、誰もそれに疑問を抱かなかった。
子供に恵まれない人に、「作り方を教えてあげようか」などと平気で茶化せる、そういう時代であった。


適齢期を過ぎてもヨメにいかない私に、母親はキリキリとし、焦るあまり

「誰と結婚したって一緒だよ!」

と言い放った。
言われてから、つい最近まで、それは暴言だと怒っていたのだけれど、
今は、いや、あれは実は真実をついていたかもしれない、と思っている。

結婚する相手によって、体験する内容はまったく違うに決まっているが、
人間が死んだあとに持ってゆけるものは体験したことだけなのだから、
何かを体験するために生まれてきたといっていい。
だったら、何を選んでもそれが『体験したかったこと』なのではないだろうか。

むろん、母は娘をなんとか結婚させて安心したい一心で言い放った言葉なんだろうけど。



あのとき、あの人と結婚していたら、
あのとき、転職しなかったら、
結婚しなかったら、
離婚しなかったら、
どうなっていただろう、などと思うことがある。

今、こうしてハワイにいてパソコンを前にしている私は存在しないが
今の私には想像することもできない体験があり、今の私とは違う考え方をして、
まったく違う場所に着地をしているのだろう。
私はいつどんなときも、「今が1番幸せだ」と思える、お得な性格なので
戻ってやり直したい過去はひとつもないし、
違う人生を同時に生きることはできないのだから、どれが良いのかわかりようもない。
ただ、どれを選んでも、私が体験したかったことが体験できるのだ。


以前、非常に落ち込んだ時、私に起きたことも起きなかったことも受け入れよう、などと殊勝な気持ちになったことがあったが、それも実は、

私には起きなかったということを体験した
つまり、体験しなかった、ということを体験した

ということに思い至り、妙に納得してしまった。

昨日、暗い顔をしている同僚に、どうしたのか尋ねたら
シュートメとうまくいかなくて辛いのだという。
彼女のダンナさんが職場で怪我をして働けなくなり、今はダンナさんの親の家に住まわせてもらっているのだが、
シュートメが何かにつけ干渉してくる。
人種も文化も違うからなのか(同僚はハワイアン系、義両親はフィリピン人)、そういう性格なのかわからないが、
とにかく窮屈でしかたがないのだという。

私が、自分たちの家を建てるに至った、私 VS シュートメの3年の日々の話をすると、
同僚は食いついてきて、根ほり葉ほり聞き、
「あーー!聞いてよかった!シロの話を聞いて、ものすごくすっきりしたよ」
と、晴れ晴れとした顔で言った。


誰かの体験が、ほかの誰かの役に立つ。
人はそうやって、体験しきれないことを補充していくのだとしたら、
誰かの体験はその人だけのものじゃなく、みーんなのものなのだということだ。
うまくできてるなあ。









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