垣谷美雨さんの小説に縁付いている。
日本のように欲しい本が手に入るわけではないので、出会った本は余計に縁があるように思える。
垣谷美雨さんは庶民の「そうそう、そうなんだよね!」という共感を呼ぶ題材が多い。
「定年オヤジ改造計画」もそうだし、運転免許証を返納しない父親の話もそうだ。
「うちの子が結婚しないので」はまだ半分ほどしか読み進めていないが、実家の親を思い出しながら読んでいる。
うちは三人姉妹で、末の妹以外は晩婚であった。
姉は短大を出てそのまま横浜の大学病院で歯科衛生士をしており、26歳。
私は美大の短大を出たあと地元に戻って、ローカルテレビ局に勤めていて22歳。上の二人は近いうちにヨメにいくだろうし、大学生だった妹は、卒業したら父の会社に入って婿をとるという青写真ができていて、妹もそれで異論はなかった。
大学を出た妹が父の会社に入社し、しばらくした頃、父が妹に社内報を作るように命じた。
妹に相談されて、私の友人が和菓子屋さんでおもしろい新聞出している人がいるといって紹介してくれたのだが、その和菓子屋さんのお母さんにプロポーズされて、本人同士も恋に落ち、われらの青写真はすっかり狂ってしまった。
妹の婿に会社を継がせるつもりでいた父は、妹が辞めたあとに私に会社に入るように頼んできた。私は会社など継ぐ気はさらさらなかったのだが、「1年でいいから」という父の懇願に負けて、テレビ局を辞めて父の会社に入ったのが運の尽き。
結局、1年のつもりが蓋をあけてみれば23年もたってしまうことになるとは夢にも思わなかった。
姉は既に30に手が届いており、私は私で、知り合った時には離婚前提で妻と別居中だった相手の離婚話がこじれて身動きできない状態で26歳になっていた。
今からは想像もつかないが、当時は女性にははっきりとした適齢期があり、25歳になったら売れ残りだと堂々と公言されていた時代である。
風潮と若さとは恐ろしいもので、テレビ局内の30近い先輩社員たちのことを、
「理想が高すぎるのよねえー」
などと言って私たちはランチの話のネタにしていて、誰もが「近いうちに」自分もなんとか片付くのだと信じて疑わなかった。
そんな同僚たちのうち、とうとう結婚しなかった人もいるし、適齢期ぎりぎりで結婚したものの波乱な結婚生活を送った人もいるし、私は泥沼にはまって、結婚したのは29で、しかも結局離婚している。
そんな時代だったから、親の焦りはただごとではなかった。
親戚や近所の人がもってくる見合いを、姉は何回しただろう。
私だって、親には言えない相手とつきあっていたから断り続けることもできずに、1度だけ見合いをしたことがあった。
静岡市民文化会館で冝保愛子さんの講演会があるといって、母が私を誘った。
そこで教えてもらった、「娘がヨメにいかないのは先祖のナントカ」ということで、それを祓うおまじないのような儀式を母は真剣にノートに書きうつし、家に帰ってからその通りにやっていた。
先祖もだめならば神頼みである。
資金を出すから、姉と私に出雲大社に行くようにと頼まれて、おまけとして妹も一緒に3人で出雲にお参りに行ったこともあった。
私は28,姉は32になっていた。
結婚しないことについて、ずいぶん親と喧嘩もした。
子供の幸せというよりも、親自身の安心を欲しがっているような気がしたものだ。
姉は離れて暮らしていたからまだいいが、私は実家通いだったからモロに風当たりが強かった。
母が怒りにまかせて
「誰と結婚したって一緒だよ!」
と言い放ったときには文字通り目が点になった。
エリザベス・テーラーが言うならわかるが、父しか知らない母になんでそんなことが言えるのか。
母と喧嘩した姉がつぶやいた言葉を覚えている。
「私だって牢屋にいるわけじゃない、毎日社会に出て普通に暮らしているんだよ。どうして結婚できないのか私が1番知りたいよ・・・」
私のわけありの相手との結婚は、私が30になるギリギリのときで、うすうす感づいていたらしい母は特に何も言わなかった。
頑として地元に戻ろうとしなかった姉が、どうした心境の変化か突然病院を辞めて静岡に戻ってきたのは、35歳を過ぎたあとだったか。
姉は静岡の歯科医師会に勤めはじめた。
怒り狂うことに疲れ果て、娘の結婚は諦めた親が、
「もうオネエチャンとおとうさんと3人で暮らせばいいよ」
とホトケのような心になった途端、姉はしぶしぶ出かけたお見合いで今のダンナに出会って39歳で結婚した。
妹には3人娘がいて、1番上がもうすぐ30になる。
まじめでおとなしい子で、けっこうかわいいと思うのだが特定の相手はいないらしい。
でも妹からは結婚を焦る話を聞いたことがない。
妹自身、とても大変な結婚生活を送ってきたからというのもあるかもしれないし、結婚しないという生き方が確立している風潮もあるだろうし、姪がちゃんとした仕事を持っているということもあるかもしれない。
次女は横浜で一人暮らしをしていて、こちらはいろいろと恋沙汰はある模様。
三女は実家にいて、アクセサリーの会社に勤めている。1番ミーハーでおきゃんな三女が、1番先に結婚しそうな気がする。
私には子供がいないので想像するしかないのだが、子供が結婚しなかったら私はどうしただろう。
独身のままでは不幸だと果たしていえるのだろうか。
小説の中で、親は娘の老後のことを心配しているのだが、結婚すれば経済が安定するかといえば、そうばかりともいえない。
それに結婚したらしたで、子供が生まれたらまた新たな心配事がひっきりなしに出て来るのは目に見えている。
小説内の母親の独身の友人は、老後は独身仲間で共同生活をするのだという。
女が何人か集まれば、猿山のようにボスができる。
私はそれを想像しただけで、友人と一緒に住むぐらいなら一人でいたほうがマシだと思ってしまう。
結局、幸せとはなんだろう。
安定か、冒険か、ドラマか、退屈か。
自分自身のことについていえば、ずいぶんな回り道をしてきたけれども、けっこうおもしろかったと今になれば思う。
手探りで、その時その時一生懸命に生きてきた自分を愚かにも、誇りにも思う。
だからきっと、子供がしたいように生きることを認めてあげたい。
というのは、実際には親になったことがない私の無責任な言いぐさなのであろう。