goo blog サービス終了のお知らせ 

太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ブログ移転のお知らせ

2025-05-28 12:19:11 | 日記
長年(14年!!)お世話になってきたgooブログさんがなくなるというので、ブログを引っ越しすることになりました。

引っ越し先はアメブロです。
タイトルはそのまま「太平洋の真ん中で」


↑コチラが新しいアドレス

gooブログさん、今までありがとうございました。

シロ



ものごとに名前をつけたら

2025-05-26 07:36:31 | 日記
顔見知りの知人にバッタリ会って、立ち話になった。

「夜中に何度もトイレに起きちゃって困ってるのよぅ」

一通りの挨拶のあと、その人はいきなりそう言った。
その人は私と同年代だ。

「へえ、何度もってどのぐらい?」

「3回は起きるわね」

「ふーん」

私は共感したふうを装ったのであるが、それのどこが困るのかわからないまま別れた。

私は夕食のあと緑茶を何杯も飲むからか、ただ睡眠時間が長いからか、夜中にトイレに何度も立つ。
けれど、それを困ったと思ったことはない。
月あかりが樹々の葉の陰を落とす床や壁を見るのは好きだし、
どこかで樹と樹がこすれあう、キュッキュという音を聞くのも好き。
木の枝で寝ている小鳥たちが、何かの拍子に急に鳴きだしたり、
木の葉が風に揺らされて立てるさわさわという音も素敵だ。

その人は医者にかかるつもりでいるそうだから、本当に困っているのだろう。

ものごとに名前を付けた途端、
それはその人にとって、それになる。

その人の場合、「頻尿」という名前をつけたので、それは歓迎されぬもの、治療すべきものになっている。
同じものごとを、私は「わりと好き」というカテゴリーに入れているので、まったく困ってはいない。

これはどんなことにも言えるのではないだろうか。

思い当たることが多すぎる。
かつて夫が転職を繰り返していた時、私はそのことを「不安しかない」というカテゴリーに入れていたから、ストレス半端なし。
もしも、「もっと良くなる兆候」とか、それは無理でも「新しいチャンス」とか、せめて「なんとかなるさー」という名前をつけていたら・・・

とはいっても、人間だから仕方がない。
小さな気づきがあっただけでも良しとしよう。






「うちの子が結婚しないので」

2025-05-23 15:37:09 | 日記
垣谷美雨さんの小説に縁付いている。
日本のように欲しい本が手に入るわけではないので、出会った本は余計に縁があるように思える。
垣谷美雨さんは庶民の「そうそう、そうなんだよね!」という共感を呼ぶ題材が多い。「定年オヤジ改造計画」もそうだし、運転免許証を返納しない父親の話もそうだ。

「うちの子が結婚しないので」はまだ半分ほどしか読み進めていないが、実家の親を思い出しながら読んでいる。

うちは三人姉妹で、末の妹以外は晩婚であった。
姉は短大を出てそのまま横浜の大学病院で歯科衛生士をしており、26歳。
私は美大の短大を出たあと地元に戻って、ローカルテレビ局に勤めていて22歳。上の二人は近いうちにヨメにいくだろうし、大学生だった妹は、卒業したら父の会社に入って婿をとるという青写真ができていて、妹もそれで異論はなかった。

大学を出た妹が父の会社に入社し、しばらくした頃、父が妹に社内報を作るように命じた。
妹に相談されて、私の友人が和菓子屋さんでおもしろい新聞出している人がいるといって紹介してくれたのだが、その和菓子屋さんのお母さんにプロポーズされて、本人同士も恋に落ち、われらの青写真はすっかり狂ってしまった。

妹の婿に会社を継がせるつもりでいた父は、妹が辞めたあとに私に会社に入るように頼んできた。私は会社など継ぐ気はさらさらなかったのだが、「1年でいいから」という父の懇願に負けて、テレビ局を辞めて父の会社に入ったのが運の尽き。
結局、1年のつもりが蓋をあけてみれば23年もたってしまうことになるとは夢にも思わなかった。

姉は既に30に手が届いており、私は私で、知り合った時には離婚前提で妻と別居中だった相手の離婚話がこじれて身動きできない状態で26歳になっていた。
今からは想像もつかないが、当時は女性にははっきりとした適齢期があり、25歳になったら売れ残りだと堂々と公言されていた時代である。
風潮と若さとは恐ろしいもので、テレビ局内の30近い先輩社員たちのことを、
「理想が高すぎるのよねえー」
などと言って私たちはランチの話のネタにしていて、誰もが「近いうちに」自分もなんとか片付くのだと信じて疑わなかった。
そんな同僚たちのうち、とうとう結婚しなかった人もいるし、適齢期ぎりぎりで結婚したものの波乱な結婚生活を送った人もいるし、私は泥沼にはまって、結婚したのは29で、しかも結局離婚している。

そんな時代だったから、親の焦りはただごとではなかった。
親戚や近所の人がもってくる見合いを、姉は何回しただろう。
私だって、親には言えない相手とつきあっていたから断り続けることもできずに、1度だけ見合いをしたことがあった。
静岡市民文化会館で冝保愛子さんの講演会があるといって、母が私を誘った。
そこで教えてもらった、「娘がヨメにいかないのは先祖のナントカ」ということで、それを祓うおまじないのような儀式を母は真剣にノートに書きうつし、家に帰ってからその通りにやっていた。
先祖もだめならば神頼みである。
資金を出すから、姉と私に出雲大社に行くようにと頼まれて、おまけとして妹も一緒に3人で出雲にお参りに行ったこともあった。
私は28,姉は32になっていた。

結婚しないことについて、ずいぶん親と喧嘩もした。
子供の幸せというよりも、親自身の安心を欲しがっているような気がしたものだ。

姉は離れて暮らしていたからまだいいが、私は実家通いだったからモロに風当たりが強かった。
母が怒りにまかせて
「誰と結婚したって一緒だよ!」
と言い放ったときには文字通り目が点になった。
エリザベス・テーラーが言うならわかるが、父しか知らない母になんでそんなことが言えるのか。
母と喧嘩した姉がつぶやいた言葉を覚えている。

「私だって牢屋にいるわけじゃない、毎日社会に出て普通に暮らしているんだよ。どうして結婚できないのか私が1番知りたいよ・・・」

私のわけありの相手との結婚は、私が30になるギリギリのときで、うすうす感づいていたらしい母は特に何も言わなかった。

頑として地元に戻ろうとしなかった姉が、どうした心境の変化か突然病院を辞めて静岡に戻ってきたのは、35歳を過ぎたあとだったか。
姉は静岡の歯科医師会に勤めはじめた。
怒り狂うことに疲れ果て、娘の結婚は諦めた親が、

「もうオネエチャンとおとうさんと3人で暮らせばいいよ」

とホトケのような心になった途端、姉はしぶしぶ出かけたお見合いで今のダンナに出会って39歳で結婚した。



妹には3人娘がいて、1番上がもうすぐ30になる。
まじめでおとなしい子で、けっこうかわいいと思うのだが特定の相手はいないらしい。
でも妹からは結婚を焦る話を聞いたことがない。
妹自身、とても大変な結婚生活を送ってきたからというのもあるかもしれないし、結婚しないという生き方が確立している風潮もあるだろうし、姪がちゃんとした仕事を持っているということもあるかもしれない。
次女は横浜で一人暮らしをしていて、こちらはいろいろと恋沙汰はある模様。
三女は実家にいて、アクセサリーの会社に勤めている。1番ミーハーでおきゃんな三女が、1番先に結婚しそうな気がする。

私には子供がいないので想像するしかないのだが、子供が結婚しなかったら私はどうしただろう。
独身のままでは不幸だと果たしていえるのだろうか。
小説の中で、親は娘の老後のことを心配しているのだが、結婚すれば経済が安定するかといえば、そうばかりともいえない。
それに結婚したらしたで、子供が生まれたらまた新たな心配事がひっきりなしに出て来るのは目に見えている。

小説内の母親の独身の友人は、老後は独身仲間で共同生活をするのだという。
女が何人か集まれば、猿山のようにボスができる。
私はそれを想像しただけで、友人と一緒に住むぐらいなら一人でいたほうがマシだと思ってしまう。

結局、幸せとはなんだろう。
安定か、冒険か、ドラマか、退屈か。
自分自身のことについていえば、ずいぶんな回り道をしてきたけれども、けっこうおもしろかったと今になれば思う。
手探りで、その時その時一生懸命に生きてきた自分を愚かにも、誇りにも思う。
だからきっと、子供がしたいように生きることを認めてあげたい。
というのは、実際には親になったことがない私の無責任な言いぐさなのであろう。











停電でクタクタ

2025-05-22 07:18:31 | 日記
昨日、職場に着いて窓を開け、音楽を流したところで停電した。
職場の近所に住むジェイからメッセージが入った。
『うちのそばで何かあったみたいなんだけど、電気止まってる?』
ハワイの電気会社に電話をかけてみると、この辺一帯が停電で、彼らもまだ原因がわからないらしいが予想では10時半ころには復旧の見込みだという。

3台あるレジスターの発電機を探し出し、セットする。
こういうときのために用意してある発電機類だが、まめに充電しなくては使えない。本来ならマネージャー全員が気を配って充電するのだけれど、それをやるのは私だけ。
リストを見ると、最後に充電したのは4月の終わりごろ。
なんとかセットし終えたものの、今度はクレジットカードの機械の調子が悪い。
4台ある機械のうち、1台は電源が入らず、1台は4Gを拾えないので使えない。
とりあえず2台だけ使って、1台は現金払いのお客のみ。
コーヒーメーカーは電気を食うので、ここにある発電機では小さすぎて使えず、今日はコーヒーなし。
職場の電話も電気会社の範疇で電話も使えない。
ありったけの照明を店内に置く。
朝っぱらからもうてんやわんや。

で、10時半になっても復旧せず。
わかってたけどね。
お昼になっても、1時過ぎても復旧せず。
そのうち、発電機が危うくなってきた。
これはもう店を閉めるしかなくなり、2時に緊急店じまいとなった。

ハワイは停電が多い。
10時間以上も停電したことだってある。
そのために一応準備はしてあるのだけれど、なぜかいつもそれに付随して他の問題が起きてくる。今回のクレジットカードの機械みたいに。
こんな日に限ってけっこう忙しく、そういう間にも着々と商品の配達が入ってくる。

そんなわけで昨日はクタクタになり、
今日は今日で、昨日残した仕事を片付けねばならないので早めに行く。
明日は休み、それだけを希望に。








夢の元

2025-05-16 15:08:16 | 日記
眠っているときにみる夢の元は、どこからくるのか知る人はいるのだろうか。
現実に気になっていることが夢に出て来るのは、わかる。
記憶が再生されるような夢も、頭のどこかから漏れた記憶なのだろうと思う。
目が覚めて行動を起こしているという夢をみるのも、まあ、わかる。
しかし、まったく荒唐無稽な夢もたくさんある。

先日の夢では、ブラッド・ピットが私の育ての親だった・・・・
なんで?
ブラッド・ピットは好きな俳優だけど、すごいファンというわけでもない。

今朝の夢は、私は空母に似たいかつい船の甲板にいた。
海は大荒れで、流氷を押しのけながら船が進む。
なにもかもが凍りついていて、早く温かい海に出ないかねえ、と何人かで話している。
流氷がなくなり、いきなりリゾート地的な場所に出る。
透明のプラスティックでできたものを腕にはめた金髪男が話しかけてきた。
「これは片手だけで写真が撮れるスグレモノなんだ」
「どういうこと?」
「ここに見えるカメラをこうして・・・」
というところで

ニャー―――ッ!

猫に起こされておしまい。

流氷を押しのけて進むいかつい船に乗ったことはない。そんな映画も見たこともないし、そういう場面に憧れたことなど、もっとない。

若い頃は、もっとおかしな夢をたくさんみていた。
学校から帰ると近所の人たちがみんなチョンマゲ姿で、一心太助みたいな人に包丁をもって追いかけられるとか。
何人かの仲間でひたすら追手から逃げ、砂漠の荒れた廃墟のような病院に紛れ込むとか。

もっとなにかこう、意味のある夢をみたいものだ。
父も母も、めっきり夢にはでてこなくなった。
あちらで楽しくやっているのならいいけれど。


そういえば先日、夫が、

「昨日、ごめんねごめんねごめんねーッッ、って叫んでたよ」

と言った。
夢はみなかったと思っても、ちゃんとみていることがあるそうで、潜在意識ではしっかり覚えているらしい。
私はいったい誰になにをしてそんなに謝らなくてはならなかったんだろう。
覚えていたらいたで納得いかない気分になるが、謝ったことだけがわかっているような夢も、それはそれで気になるものである。