太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ハワイはソーシャルディスタンスがなくなる

2021-11-30 08:02:18 | 日記
明日(ハワイは12月1日)から、ソーシャルディスタンスが撤廃されるらしい。
レストランも定員数を収容できるし、バフェも再開する。
コロナの新型がまた現れたというけど、ハワイはどんどん緩くなってゆくみたい。

毎日バタバタして余裕がない。
それで今頃になってアレなんだけど、せっかく写真も撮ったので
サンクスギビングデーの話題を。


今年は夫の叔父叔母の家でサンクスギビングデーを祝った。



寂しい独居老人のマイクも招待した。
マイクは社交性が高いので、一人で放っておいても、みんなと楽しく過ごせるのがすごく気楽。


メインはやっぱりターキー。
シャンペンを1本使って蒸し焼きにするのが、ここ数年の我が家流だ。


グレービーソースは叔父の担当。
グレービーを作り続けてウン十年。でも今年はちょっと塩気が強かった。
たぶん、叔父はワインを飲みすぎてた。


これがディナーの全容。
ターキー、ハム、スタッフィング(ターキーのお腹に詰めたもの)、マッシュポテト、グリーンビーンズ、さつまいものマッシュポテト、パンプキンパイ。

前菜に、野菜スティックとチーズ、トマトのサラダがあった。



シアトルにいる義兄とフェイストークで話をしながら、何時間もかけて食事を楽しむ。
行事のたび、みんながこうして元気に集えることに感謝するけれど、
あとどのぐらいこんなことができるのかな、という思いがよぎるようになったのは、ここ1,2年のことだ。
いつかはそのときがやってくるとわかっていて、だけどどうすることもできないから、楽しければそれだけ、切なくもなる。



なんでアタシが?と思ったとき

2021-11-22 16:16:03 | 日記
職場で、そこにあるべきでない商品が放置されていることがよくある。
買うつもりで持ち歩いていて、気が変わり、
元の場所に戻すのがめんどくさいか、どこにあったかわからないかで、手近なところに放置するのだ。
店員に「これは買わないことにしたので」と言って手渡してくれる人もいないことはないが、
たぶんそういう人は、販売の仕事をしているのではないかと思う。
忙しいときなど、同僚たちはイライラしながら、それをもとに戻す。


前の職場だった本屋でも、同じことがあった。
すべての本は規則に則って棚に収まっているのだが、本を手に取ったあと、適当に棚に入れたり、平台に置いたりする人がいる。
1日に何度も同じ棚の本を整理せねばならず、それは終わりのない作業のように思えた。
あるとき、オーナーが

「それを片づけるのも僕らの仕事だから」

と言ったとき、「ああ、そうか」と自然と腑に落ちて、それからは以前ほどストレスにならなくなった。
オーナーのことは好きじゃなかったけど、その点だけは感謝している。


大昔のことだが、俳優の奥田瑛二さんの妻である安藤和津さんの講演会に行った友人が、

「安藤さんて奥田さんに靴下を履かせてあげるんだって。それを聞いた人が、なんでそこまでしなきゃならないのよ、って怒ったら、
『いいじゃないのー、それで幸せならやってあげれば』って言ったんだって。
自分がそこまでできるかわからないけど、気の持ちようだなあって感心しちゃった」

と言ったことがあった。

どうせやるなら、「なんでアタシが?!」と思いながらやるより、平常心でやるほうが、どれだけ精神衛生上いいかわからない。
なにをどんな気持ちでやるのかは自分で決められるのだから、わざわざ嫌な気分を選ぶことはない。
まあ、いつもいつもそれができているわけじゃないけれど。


さっきスーパーマーケットで、ナッツの棚にソーセージが放置されていた。
冷蔵品を常温の棚に放置する、その無神経さ。
ここで働く人たちも、ストレスにならない方法を見つけてくれているといいなと思いつつ、ソーセージを冷蔵コーナーに戻しに行った。






招かれざる客

2021-11-21 11:06:30 | 不思議なはなし
職場では、1日に200人ほどの人に会う。
それだけの人の中には、変なものをくっつけている人だっている。
以前は、仕事の前に自分のオーラの外側をプロテクトしていたのだけれど、最近すっかりそれを怠っていた。

昨日の午後、突然、鳥肌が両腕に走った。
一旦引いて、また鳥肌。
いやーな感じはしたが、そのまま忘れてしまった。

帰宅すると、休日で家にいた夫が夕食の準備をし始めていた。
普段どおりだったのに、どうでもいいことがきっかけで、夫が豹変した。
どのぐらいどうでもいいことかというと、テーブルの上にランチマットが1つだけあったので、もう一つはどこにあるか知らないか、と私が聞いた。
いきなり引火。
「なんでそんなこと聞くんだよ。ドライヤーから出したソックスが片方しかないとかいうけど、僕は知らないよ。どう答えればいいんだよ!」
夫はどんどんエスカレートし、怒鳴り散らす。

あー、乗っ取られてる・・・・

完全に何かが憑依している。
たぶん夫は少し憑依体質であり、お酒を飲んでいると、それが強くなる。
私が職場から持ってきた変なものに、すっかり乗っ取られている夫は、断じて夫ではない。
私は途方に暮れつつ、ホワイトセージを焚いた。

「Who are you?(あんた誰)」
「I・・・・・I'm  ME!(お、おれは、おれだ)」
「So,Who?(だから、誰?)」

くだらないと思いつつ、こんなことは終わらせたいのでとりあえず謝ってみる。
そうして謝っていると、私の昔の古傷の蓋が開く。
蓋が開くと、私はもう喧嘩どころじゃなくなって、2階に駆け上がり、引っ張り出された古傷によって大泣きする。
最初の結婚で、こうして、なぜ相手が怒っているのかわからないまま謝り倒して、機嫌をとって、何かを失うことを恐れつつ生きていた。
あのときの惨めさと、そんなことを11年間も馬鹿みたいに続けていた自分の愚かさに、泣けてくる。

夫は、本心の夫もしっかりあるので、けしてそのままにはしないでフォローをしに来る。
夫のことはどうでもよくなって、古傷によって大泣きしている私をなだめつつ、夫が言った。

「出ていったみたい。エネルギー変わったの、わかる?」

変なものは、自分に関心がなくなってしまった私たちに飽きたのか、消えた。

「何が自分に起きたのかわからない、コントロールできないんだよ」

だからそれはアンタがお酒を飲んでいて、簡単に乗っ取られたからじゃないか。
怒鳴り散らしている自分を、本心の自分は眺めているしかできないようだ。


完璧に油断していた。
これからは、ちゃんと自分をプロテクトするのを忘れないようにしよう。
私の古傷。
数えきれないほど手放そうとしてきたけれど、根が深いのか、一掃できない。
けれど、こんなふうに役に立つこともあるのだな。
私の気分は最悪だけども。
手放せなくても、まあいいか。
私の一部として、深いところにしまっておこう。




規則に弱い

2021-11-15 09:27:33 | 日記
いくつかの店舗が集まっているショッピングセンターに、夫の運転で出かけた。
夫は空きの駐車スペースがないかをさらっと見てから、「I don't care」とつぶやきながら

Reserved

と書かれた場所に車を停めた。
「え、ここはダメだよ」
「停めるところがない」
「あるよ、あっちにもこっちにも」
夫は私の反対を押し切って、店の方に歩き出した。
そこでの買い物を済ませて、買ったものを車に入れ、もう1件の店に歩いて行こうとする夫を、私は止めた。
「車を移動してよ」

「Are you serious??(マジで???)」

夫はアメリカ人的な大げさなジェスチャーをしながら、めんどくさそうに車を移動し、
「Are you happy?」
と言い捨てたので、
「Yeーーーーーーーーーs!!!!」
と怒鳴り返してやった。


夫と結婚し、日本で最初に住んでいたアパートの隣に、月極駐車場があった。
管理しているのはすぐ隣の家の人で、がみがみとうるさいオバサンだ。
アパートの駐車スペースは1台しか置けないので、友達の車はコインパーキングに停めてもらうしかない。
あるとき、夫がお客の車をアパートに置き、平気で自分の車を月極駐車場の空いたところに停めようとしているのを見て、私は驚いた。
「ダメだよ!そこは」
すると夫は不思議そうな顔で言ったのだ。
「なんでー?空いてるじゃん。30分ぐらいだし、なにがだめなのさ」
短時間ではあっても、そこは誰かが毎月お金を払って買っている場所。
なんでって、こっちが聞きたい。
夫の友人たち(外国人)も皆、似たようなもので、その家のオバサンも目を光らせているのだ。



夫は、ほぼ一般常識の範囲内で生きていると思うが、いくつか私には理解できないところがある。
夫に言わせれば、規則にぴりぴりしながら暮らしている私は理解ができないのだろうと思う。
誰かが見ていて、レッカーされたらどうしよう、とひやひやするぐらいなら、
遠くても安心できるところに停めたほうがいい。

「レッカー場所まで他の車で受取に行って1万円以上現金で払うことを思えば、少しぐらい遠いところに停めるぐらい何でもないでしょ!」

言っても無駄と知りつつ、説教してやろうと、
私は自分の車が修理中のときに、叔母の車を借りてホノルルに出かけた際に、レッカー移動された苦い経験を思い出しながら言った。
(その記事「鬼門」はコチラ

しかし、

「そんなに規則を守って暮らしてて、どうしてレッカー移動されるのかわかんないけどね」

と、痛恨の反撃をくらってしまい、ぐうの音も出なかった。







優柔不断か?日本人

2021-11-15 08:39:30 | 日記
職場でジュエリーを売っている韓国人が、言った。

「日本人の方たちが来なくなってどうなるかと思ったけど、今の方がずっといいみたい」

彼らは40年来、旅行客にジュエリーを売っている。
ワイキキにいたときも、そのあともずっとターゲットは日本人で、
この職場でも、日本人以外の客にはあからさまに素っ気ない態度だった。
パンデミックのあと、ほとんどがアメリカ本土の客になって、アメリカ人相手は楽だ、ということに彼らは気づいたのだそうだ。

日本人は、とにかく優柔不断。
買おうかどうしようか、ずっと迷っていて、連れの人が買うかどうかを気にしたりする。
しびれを切らして韓国人が、「あなたはコレ」と決めてあげることも多いのだという。
買う気がないなら、そう言えばいいのにそれも言わない。
ずるずるといて、「あとで来る」と言いつつ戻ってはこない。

それに対してアメリカ人は、これは好き、これは嫌いとはっきりしていて決断が早い。
興味がなければ興味がないと言い、さっさと離れるし、
他の買い物してから戻ってくる、と言えば、本当に戻って来る。
日本人の3分の1の時間でビジネスが成立するのだという。

せっかちな私は迷うなら買わないし、買い物の仕方はアメリカ人に近いかもしれない。
けれど、優柔不断な日本人の肩をもちたくなる。
興味がない、とはっきり言いたくない気持ちもわかるし、
後で来る、と言ったときには戻るつもりでいたんじゃないかと言いたくなる。
商売をする方にしてみれば、良いお客じゃないかもしれないけど、
「もう日本人の方たちが来なくても、うちは困らないよ」
と言われると、なにやら悲しくなる。



パンデミックのおかげで、多くの人がいろんなことに気づいた。
生き方も、仕事の仕方も、大切なことも。