太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

不思議な必然

2019-08-31 21:58:29 | 不思議なはなし
あるご夫婦からオーダーされた2作品のうち、
ひとつが完成した。
これは個人的なものなので、お見せできないのだけれど、
横長のキャンバスに、ハワイのコオラウ山脈がゆったりと伸び、
その四隅に、ガーデニア、蘭、白いプルメリア、ロイヤルポインシアナの
花が大きく描かれている。

私は、不思議な必然に感動しながら、これを創った。


 
彼らは、依頼するアーティストを探しにギャラリーに行き、
「とってもあたたかくて懐かしかったから」私の作品を選び
そして作品についているプロフィールを読んで、初めて私が日本人だと
わかって驚いた、という。
ご主人はアメリカ人で、奥さんは日本人。
そのご夫婦は、亡くしたお子さんのメモリアルとして、私に絵を依頼してくださった。

彼らが私の家に来たのは、6月の終わりごろ。
私はそこで初めて、絵を依頼する理由を知った。
生まれてまもなく亡くなってしまったお子さんのことを話すとき、
奥さんはぽろぽろと涙を流し、
私はおもわず彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。
私は3回妊娠して、けれど誰も生まれてこなかったことを話した。
そのとき、足元から頭の先までが、細かい鳥肌に包まれるような感じがしていた。


これは私自身と、私の子供を癒すための創作でもあるのだと、そのとき確信した。



最初の子供が消えてしまったあと、しばらくして夢をみた。
4歳ぐらいの女の子がいて、夢の中で、それは生まれてくるはずだった子供だとわかっている。
私達は子供に日本の名前をつけていたが、私はその子に名前を聞いた。
「マーサ」
と、その子は答えた。(私達が付けた名前ではない)
「あなたは死んでしまったとばかりだと思ってたよ」
「やさしいお姉さんが育ててくれたんだよ」
そう言って、女の子はにっこりと微笑んだ。

その瞬間、私の過去世のひとつの記憶が一気に押し寄せた。

いつかの時代、私はある部族の酋長の妻であった。
子供を産めない私は、召使の中から気にいった女性を選び、
召使が産んだ女の子を引き取り、自分で育てた。
その子供が 「マーサ」 だった。
マーサが、今度は本当の私の子供として来てくれたのだろう。
でも、なにか理由があって、来たことを知らせるだけでよかったのだろう。


3回目の流産から、10年になる。
肉体的には辛かったが、私はあまり落ち込まなかった。
あの夢を見てから、生まれてこなくていい理由というのも、きっとあるんだろうと、妙に納得できたのもあるし、
本当はそれほど子供が欲しかったわけでもなかったのかもしれない。
数年は、カレンダーにしるしをつけて思い出したりしていたけれど、
じきに子供のことを特に思い出すこともなく生きてきた。

絵を依頼されてから、
私は毎日、「マーサ」のことを思い出し、唯一の写真(超音波の白黒のやつ)を宝物ボックスから取り出して、机に置いた。
絵を創作するときには、いつも「マーサ」と、天使達に祈った。
そのたびに、足元から頭の先まで、細かな鳥肌がいったりきたりした。
「マーサ」が消えてしまったあと、私はそのことで泣いたことなどなかったのに
今になって、その存在をすごく身近に感じるようになり、
泣きたいような気持ちが胸の奥からせりあがってくる。


この仕事が、私自身のためでもあるというのは、そういうわけだ。
人は、出会うべくして出会い、起きることは起きてくる。
その中の、1点と1点がふと繋がったとき、
別々にみえるすべては、ひとつの壮大な宇宙の、
小さなパズルのピースであったことを知るのである。




けんか

2019-08-30 20:35:00 | 日記
「うちは夫婦喧嘩したことがない」
というのが、父の口癖だ。
人が集まったとき、得意気にそう言う父を、母は苦笑いしながら見ていたものだ。
喧嘩をしたことがない夫婦など、いるのか。


最初の結婚時代、結婚したばかりの時に口喧嘩になった。
私は、夜の喧嘩とは言いたいことを言い合い、それなりに結論を見てから寝るものだと思って生きてきたが
相手は貝のように押し黙り、なにを考えているのかわからず、
そのまま何日でも口をきかない。
ふたりしかいないのに、無視されたまま暮らすのに耐え切れず、
私が謝り倒して、なんとか元に戻る、の繰り返し。
なんで喧嘩したのかさえ、忘れる。
その陰険さがほとほと嫌で、相手を怒らせないようにだけ、細心の注意を払うようになっていった。
そのとき、そんな結婚やめときゃよかったんだけどね。


現在、私と夫は、あまり喧嘩をしないほうだと思う。
私は最初の結婚で懲りて、いっさい我慢をしなくなった。
私がどんな気持ちでいるかを、いちいち伝えることにしている。
他の人なら喧嘩になるところを、夫はじょうずにかわしてくれる。

喧嘩をするのは、たいてい夫がお酒を飲んでいるときだ。
夫の言い方が乱暴になって、くどくどとそれを繰り返す。

ブチッ

と私の中で音がして、私のスイッチが入る。
昨夜も、そうだった。

夫が私に正論を言っている。
それについては私は反省し、そのようにしようと思う。
しかし、その言い方が気に入らない。
ほかに言い方があるんじゃないかと思う。
アッタマにくるので心臓をばくばくさせながら、互いに言いたいことを言い合う。
そして、いつも夫が先に謝る。
(ふん、そっちが悪いんだから謝るのは当たり前だ)と私は思いつつ、

許さない。

ここが私の陰険でサッパリしないところで、
謝る夫を見ると、むらむらとつけあがりたくなってしまう。
で、くどくどと、怒っている。
謝らないなんて言語道断、
謝ったら謝ったで、それでも許したくない。
瞬間湯沸し器のように感情が沸騰して、すぐに冷める夫。
導火線を通って点火して沸騰し、いつまでも冷えない私。
こんな陰険な私に、ひたすら友好的な態度で接してくる夫に感謝しつつ、
それでも鎮火しきれない火事のように、ぶすぶすと怒りがくすぶっているのを、
もうひとりの私が、あきれはてて眺めている。

結婚した頃は、うまく言いたいことを英語にできないので
とっておきのグサっとくる単語を辞書で調べながら喧嘩したこともあった。
数年前までは、頭にくると早口の日本語でしゃべりまくって煙に巻いた。
夫は理解不能だが、私には「言ってやった!」という満足感がある。
ところが、ここ数年、夫の日本語の理解力が伸びてきて
そういう姑息な手が使えなくなってしまった。


明けて、今日。
仕事から帰ると、ひまわりの花束が、青いガラスの花瓶にたっぷりと活けられて、テーブルに乗っていた。
「きのうはごめんね」
私は1度も謝ってない。
たいしたことじゃないのに、ぐずぐずといつまでも怒った態度をしていたことも謝っていない。
それなのに、
「いいよ」
などと、私はえらそうに言うのだ。

私は気づいている。
安心して怒らせてもらえていることを。
喧嘩になるたび、これでもう離婚かと恐れていた、昔の結婚時代のトラウマを(だからさっさと離婚すりゃよかったんだよ)
喧嘩しても絶対に壊れないことを証明しつづけることで、癒していることを。

おもいきり元気な黄色を部屋じゅうに発散させながら、
あっけらかんと咲いているシンプルなひまわりの花が、
まるで夫のように思えてくる。



グリーン ライス

2019-08-30 08:01:02 | 日記
ちょっと違和感は、あった。
久しぶりに、ご飯を炊こうとお米をクロゼットから出したとき
なにかが違うような気はしたのだが、
そのままお米を計り、水を入れた。
すると、水が一面 緑色 になった。
玄米だから、白米ほどには水は濁らないはず。
白米だって、こんな色にはならんよね。
鈍い私も、ようやく理解した。
お米の一粒、一粒に、ぎっしりとカビがはえていた(怖!)

お米は、日本サイズでいうと10キロを買って、
ふたつの密閉容器に入れてクロゼットにしまってある。
今まで、それでカビたことなどなかった。
しかし、今年の夏の、この暑さに加え、
私は以前よりも格段にお米を食べなくなった。
お米を消費するのは、私だけ。
いつ、この玄米を買ったのかも忘れた。

さて私はどうしたか。

緑になった水を、取り替えてみた。
何度もよく洗ってみたら、水が透明になった。

(え、まさか、それを炊いてみたんじゃ・・・)

と、思うでしょう。
そう、炊いてみた。
うちの炊飯器は、昭和の時代の薄釜なので20分もあれば炊ける。
このお米は、ハワイじゃ高級なカリフォルニア米のいいヤツで、
もしかしたら、もしかするんじゃないかという貧乏性な心が
私に炊飯器のスイッチを押させた。
まだ5キロ以上残っているのだ。

炊き上がって、蓋をあけた。
なんとなく表面が ぬっちゃり しているような気がする。

(まさか食べてみたんじゃ・・・・!)

と、思うでしょう。
そう、ひとくち食べてみた。
最初のひと噛みは、「いけるか!」と思う味だったが、
すぐに後悔することになる。
お米の芯まで、カビは繁殖している模様(当たり前だって)
炊いたカビごはんと、残ったお米を潔く捨てた。
今後は、半分のサイズのお米を買って、
密閉容器にいれたのを、冷蔵庫で保管することにしよう。


お米に違和感がみられたら、食べないほうがいいです。
あ、みんな知ってる?
そーですか・・・・




文化と文化の間には狭いが深い溝がある

2019-08-29 20:08:44 | 日記
ガイジンと結婚して、外国に住んでいれば、
おおかたの文化の違いは、折り合いがつけられるようになるものだ。
それは生きやすくする術でもある。
が、どうしても超えられない溝もある。

たとえば、

夫がシャワーを浴びて、バスタオルで身体を拭きつつ、
そのバスタオルで「ぶー」と鼻をかむ。
そしてそのタオルを、タオル掛けにもどす。
「なんでタオルで鼻をかむの?」と聞いたことがある。
「だって、タオルでしょう」
と、まったく私の答えになっていない答えが返ってきた。

夫に限らず、多くの人がハンカチで鼻をかみ、
それをまたポケットにねじこむ。
日本では昔、ティッシュのことを「はながみ」といった。
はながみは、鼻をかむから、はながみではなかろうか。
鼻をかんだら、捨てる。
鼻をかんだタオルやハンカチは、乾いたら鼻水のあとがガビガビに乾いて光っていそうじゃないか。

たとえば、

旅行から戻ったスーツケースをベッドの上に置く。
これは夫だけかと思ったら、そうじゃない。
さんざん外をゴロゴロと引き回してきたスーツケースのキャスターは
誰かの痰や、なにかよくわからないものがいっぱいついてる、と私は思う。
汚いとかいったことに、かなりおおらかな私でさえ、思う。
ベッドのカバー的なものは、カバーであるのと同時に上掛け布団でもある。
だから、それをベッドの上に直接置くのは、気がすすまない。

日本に住んでいた時、何度となく義両親や義兄が訪ねてきた。
彼らは、一応玄関で靴を脱ぐ。
しかし、鍵を忘れたといって部屋に戻ってくるときは靴のままであがる。
畳の部屋に置かれたスーツケースの隣に、靴が揃えてある。

なにをもって汚いと思うかは、
その人がどんなふうに育ったかにも左右されるだろう。
私がそういうことにおおらかなのは、母のおかげだと思う。
いつだったか、台所の排水溝に何かが流れてしまい、
指を入れるのをためらった私に母は
「食べられるものが排水溝に入っていくだけだから、汚いことなんか何もないよ」
と言い、私は妙に納得したのだった。

しかし、鼻をかむとかスーツケースとか、
こういう場面に何度も出くわすと、これはもう文化の違いとしかいいようがない。
10年以上過ぎてみて、これらに慣れることはあっても、
なにも感じなくなるほどに馴染むことは永遠にないだろう、と思うのである。



ブルージンジャー

2019-08-28 19:07:58 | ハワイの自然
我が家のブルージンジャーが、今、満開。
私はこの青がすごく好き。

軒下に吊ったポットは、夫が職場から持ってきてくれたもので、
日本の日々草に似ている。

ブルージンジャーは、冬になって、花が終わったら、根元からばっさばっさと刈ってしまう。
そして、刈った茎を、土の上に適当に寝かせておくと
寝かせた茎から根が出て茎が伸び、夏にまたこうして花をつけてくれる。

ブルージンジャーの手前が、プルメリア。
植えてから5年近く。たったの2個しか花を見たことがない。
プルメリアは、花が咲くまでに何年かかかるのは知っていたけれど
ちょっと長くないか。
でも葉はとっても健康的。
きっと大器晩成のプルメリアなのだ。