メロンアイスを買った話を姉にしたら、昔話に花が咲いた。
私「角にあった杉山さんでお菓子を買ったよね」
姉「そうそう、それと田村さん」
私「あったねえ!田村さん!!」
田村さんは小学校の近くにあって、ガラスの瓶の中にダルマの形をした砂糖菓子や、ソースせんべいや、三角帽子型のウェハースの中に砂糖を入れたのとかを売っていて、シャベルのようなものですくってくれた。
姉「遠足の前なんか、千石屋に行くのが楽しみだった」
私「千石屋!どこにあったっけ?」
姉「北街道の大塚文具の隣」
ああ、そうだった。千石屋というお菓子屋は品そろえもよくて、遠足前には必ずそこでお菓子を買ったのだ。
昔はコンビニなどなかったから、お菓子はお菓子屋で買った。
姉「ミッキーさんは覚えてる?」
私「言われるまで忘れてたけど、今思い出したよ。百万円のおじさん」
よくもまあ、姉は覚えているもんだ。
ミッキーさんは小学校の西門の前にある小さな文房具屋で、そこのおじさんはお釣りをくれるときに
「はい、100万円」
などと言うおもしろいおじさんだった。
静岡とはだいぶ離れた地域で育った、同じ年の友人とも、昔のお菓子話で花が咲いた。
日本全国、同じ時代に同じものを売っていたのだなあ。
私「砂糖がけしたピンクの麩菓子、好きだったなあ」
姉「今もあるよ、私の好物。それにピンクなのは静岡だけで、東京あたりじゃ黒糖なんだらしいよ」
私「麩菓子に地域色があったとは。そういえば真夏でも常温で腐らない、怖いイカの燻製があったよね」
姉「ああ、よっちゃんイカね。今も売ってるよ」
私「えええーーーーーー!!!!うっそぅーー!保険所はなにをしている」
姉「20本くらい入ったのが、売り場の棚で永遠に腐らないであるよ」
姉によれば、今でもペロティ(円形のホワイトチョコレートの表面にチョコレートで絵が書いてあるやつ)に似たようなものはスーパーの片隅に売っているし、意外と昭和のお菓子はほそぼそと現役なのだという。
4歳違いの姉とは、ほぼ同じ思い出を語れるのだが、5歳違いの妹とは少しずれる。
4歳下の友人とも、姉や同じ年齢の友人ほどには盛り上がらない。
1975年あたりに、なにか文化の端境期みたいなものがあったのではなかろうか。
姉とひとしきり昔話をしていたが、
「お菓子屋のおばさんも、ミッキーさんのおじさんも、ずいぶん年寄りに見えたけど、実は今の私らよりも若かったりしてねー」
という私の不用意な一言がその場を凍り付かせ、そそくさと会話を打ち切ったのであった。
(そんな気がしてきたと姉も言っていた)