太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ハワイのブーム

2014-03-30 12:34:34 | 日記
日本でもグリークヨーグルトは有名になったけれど

ハワイでもよく売られている。

数日前の新聞に、しかしギリシャの人はグリークヨーグルトを知らない、と書いてあった。

グリークヨーグルト風のものは確かにあるが

それをグリークヨーグルトとは言わないので、ギリシャに行ってグリークヨーグルトを探しても

どこにもないらしい。


似たようなことはハワイにもある。


日本のハワイガイドブックには、たいてい「アサイボウル」が紹介されていて

いかにもそれがハワイで誰もが知っていて、普通に食べているもののように思うけれど

「アサイ」という果実の名前を知っている人のほうが少ない。


日本の友人が

「ハワイでブームのパンケーキが、このごろ日本にも上陸しているんだよ」

と教えてくれたけれど、ハワイでパンケーキがブームだったことはない。

ハワイの人もパンケーキは食べるけど、それは昔からの食習慣であって、

日本でお蕎麦がブームになりにくいのと同じだ。




ハワイのブームは、日本が作っているんだと思う。

日本人向けの雑誌に、「オシャレママはこんな店に行きます」といって紹介されているところも

日本人のオシャレママは行っても、地元のオシャレママは行かなかったりする。

日本でいうところのオシャレママが、ハワイ地元民にいるかどうかも疑問だけど。

日本とハワイでは、いろんな意味で「目指すところ」が違うような気がする。



ハワイはまるで、日本の渋谷や代官山といった地域のひとつみたいなもんだ、と思うと納得がいく。







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「遠い太鼓」

2014-03-27 10:31:08 | 本とか
村上春樹氏が書いたエッセイを読んだ。

氏は、3年間ほどヨーロッパを転々としながら「ノルウェイの森」と「ダンス ダンス ダンス」を書き上げた。

その間のことが書かれたエッセイである。

旅の紀行文は、いつか行ってみたいと思わせるワクワク感もあり

行くことはないだろうとわかっている場所を垣間見ることができるワクワク感もあって好きだ。



村上氏が住んだのは、主にギリシャ、イタリア、イギリスなどで

ギリシャの真冬の顔であるとか(寒くて暗くて雨ばかり)、それぞれの国民性であるとか、普段の食べ物であるとか、

ガイドブックでは知り得ないことが満載で、長いエッセイだが、最後まで興味深く読んだ。


その中で、イタリア事情に触れている。

イタリアの役場事情、郵便事情、警察事情、国民性、そのどれもが、

どのぐらい日本人の常識を超えているか、ということである。

日本から送った郵便、小包類は、運がよければ届く。

遅延に対して苦情を言っても、絶対に解決しない(しようとしない)

村上氏は、航空券の払い戻しをしようとして、あらゆる書類、電話、

コネを使ったのち、2年半たってようやく払い戻しができた。

(払い戻されただけラッキーであったと書いている)

ひったくりにあっている人を助けようとする人はいないが、ひったくられた人を

盛大に慰めてくれる。等々。



20年ほど前になるが、私はローマに行った。

村上氏がエッセイを書いた、さらに5年後ぐらいだろうか。

ガイドブックでめぼしいところだけチェックしただけで、イタリア事情などなにも知らなかった私には

そこは外国というよりも、違う星のようだった。

まず、英語が通じない(ホテルには英語が話せる人がいる)

個人旅行だったので、助けてくれる人もおらず、地下鉄の回数券をどこでどう買えばいいのか、

通勤途中の人々に片っ端から英語で声をかけて聞いた。

ホテルでは、キオスクで買えると聞いてきたのだけれど、キオスクに行っても売っていないのだ。

十何人目かで、やっと教えてくれる人がいて、やっと回数券を買えた。






ある日、私はローマからアッシシに行こうと思い、電車の駅に行った。

なんとか切符を買ったものの、改札などというものは見当たらなかったので、

とりあえず電車に乗った。

電車が動き始めてしばらくすると、車掌がまわってきた。

私の切符を見て、しきりと何かを言っているが、イタリア語はからっきしわからない。

私がニコニコしていると、車掌は肩をすくめて「もういい」というようなしぐさをして行ってしまった。

たぶん、どこかに改札があって、切符を切るべきだったのではないかと思う。



アッシシに行くには、どこかで電車を乗り換えなければならない。

降りる駅はわかったけれど、ホームがいくつもあって、しかも電車には日本のように行き先は書いていない。

どの電車に乗ればいいのか、駅員らしき人に聞いた。

彼は調子よく、4番ホームで待てばいい、と言ったので4番ホームで待つ。

が、何か不安な予感が消えず、そこで別の人に聞いてみた。

すると彼は、2番ホームだと言う。

やっぱり、と思いつつ2番ホームに移る。

しかし正しくは、1番ホームだった。2番ホームに電車が来たとき、まだ不安だった私は電車を指さして

「アッシシ?アッシシ?」

と、電車に乗ろうとしている一般男性に聞いたのだ。



無事にアッシシの駅に着いて、すぐに帰りの切符を買うことにした。

ローマで往復切符を買いたかったのに、なぜか片道切符しか買えなかったのだ。

窓口で、ローマのテルミニ駅というと、「オッジ、ドマー二」と言う。

ドマーニ、って車の名前であったけど、どんな意味かわからない。

売り場のおばさんが、どんなに声を張り上げてくれても、わからないものはわからない。

ガイドブックの巻末にある、イタリア語会話のページを探す。

同僚に何か聞いたおばさんが「トデイ?トデイ?」と聞いた。

ああ、オッジはTODAYで、ドマーニはTOMORROWか!!

「オッジ、オッジ、オッジ!!」と叫んで、やっと帰りの切符を買えたのだった。




アッシシの切符売り場のおばさんは親切なほうで、

キオスクの人も、ほかの切符売り場の人も、みんなヤル気がなく、

ガムをくちゃくちゃ噛んだまま、商品を投げてよこしたり、同僚とおしゃべりしたり。

それはお客が地元の人だろうが、観光客だろうが同じである。

そして、何かを尋ねられると、知らなければ知らないと言ってくれればいいのに、

適当なことを答えてくれる人が多いのにも困った。

そういうことにいちいち気分を害していてもどうしようもない。

それも文化のひとつなのだ。



アッシシに行った翌日がクリスマスイブで、その日はローマ郊外にある教会に行ってみようと

午前中にホテルを出て、バスに乗った。

バスを乗り換えるところで、ある小さなレストランに入った。

あまりきれいとはいえない店だったけれど、入るとニンニクの香ばしい香りがしてきて

コーヒーだけと思っていたのに、パスタも頼んだ(今でも私の人生で1番おいしいカルボナーラだ)

そこのご主人が、どこに行くのか、と聞いているようなので

ガイドブックのページを広げて見せると、今日の昼から交通機関は止まるから無理だ、と言う。

クリスマスだから、バスもタクシーも電車も何もかも動かないらしい。

時間を見ると、もう11時半。

パスタを食べ終わると、すでにもう交通機関は動いておらず、私はバスで来た7キロの道を延々と歩いてホテルに戻った。

こんなことでもなかったら、ローマをゆっくり歩いてみることもなかっただろう。




村上氏の話と、私の体験をあわせてみる。

ローマは美しいところだけれど、私には住めないなあと思う。

ハワイの銀行がいい加減だとか、ハワイのサービスがどうだとか言っているけれど、

窓口の人々は、それなりにヤル気があるし、クリスマスでもバスもタクシーも動いているし

郵便もちゃんと届くし、航空券の払い戻しもできるはず。

網戸の修理が来たのは5ヵ月後だったけれど、来ただけマシ。

ハワイでよかった。改めてそう思う。





私はあまり外国を知らないけれど、

快適で過ごせた場所よりも、不便で問題発生の日々を過ごした場所のほうがずっと記憶に残っている。

観光名所よりも、そこに行くまでのことのほうがおもしろかったり、

人の親切が身にしみるのも、異国ならではだと思う。



もう一度読み返して、ヨーロッパに行った気分になりたい本である。




「遠い太鼓」 村上春樹









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キャッシュカードを持たない訳

2014-03-26 08:16:45 | 日記
私はキャッシュカードを持っていない。

現金が必要なときは、銀行まで行って窓口でおろすか、

給料として支払われる小切手を、口座に入れないで現金化する。



アメリカと日本では、お金の受け取り方も支払い方も違う。

日本だと、たいて給与は銀行振り込みだけれど、こっちは小切手が多い。

しかも、日本は月給制だが、こちらは基本的に週給制。

週給だけれど、給与は2週間ごとに1度というところが多い。


日本でクレジットカードを契約すると、銀行の口座と提携されていて

明細書だけが送られてきて、お金は口座から落ちる。

でも、ここではクレジットカード会社から送られてきた請求書にある金額を

小切手で払うのが一般的である。

我が家では、電話料金も光熱費も、全部こうやって小切手で払う。

もちろん、自動引落しにしている人達もいるんだけれど、

私たちはかたくなにこのやり方を通している。



なぜかといえば、それは私がキャッシュカードを持たない理由と同じ。

信用できないから。



キャッシュディスペンサーでお金をおろすとき、

一旦、カードが機械に飲み込まれる。

私はそれがいやなのだ。

カードが飲み込まれた途端、ものすごい不安に駆られる。

このカードが戻ってこなかったらどうしよう・・・

そう思うのである。


たいていは、戻ってくる。

でも、戻ってこないこともあるらしい。

日本で、こんな不安に駆られることなど皆無だ。

もし戻ってこないことがあったとしても、書いてある電話番号に電話すれば、

きっと迅速に対応してくれるだろうという安心感がある。



自動引落しにしないのも、正しい金額が正しく引き落とされるかどうか信用できないからだ。



ハワイで1番大きな銀行に、私たちの口座はある。

移住してきたばかりの頃、夫がキャッシュカードを作ろうと思って銀行に赴いた。

その際に、日本でいうところの普通預金と定額預金というような違いの口座を2つ持っていて

定額預金のほうから現金が引き出せるように頼んだのに、

できてきたカードは普通預金だったし、

そのカードも、10日でできると言われていたのに連絡が来ず、

行ってみると「そんな依頼は受けてない」と、涼しい顔で言われたのだ。

改めてカードを作るよう頼むと、「オッケイ!」と悪びれもせず、むしろ上から目線だった。

これがハワイで1番の銀行の実態である。

信じられないことに、この銀行は全米でも第1位か2位であるらしい。

いったい何が順位の決め手かわからないが、それにはカスタマーサービスであるとか

仕事の緻密さというカテゴリーはないに違いない。



というような理由から、私はキャッシュカードを持たないし、

アナログなやりかたをしているのだ。

思えば、「預金通帳」というのは大変便利だったと懐かしく思う。

アメリカにはそんなものはない。

インターネットバンキングを使っている人達は、お金の出入りをチェックできたり

支払いをしたりするのだけれど、

それはそれで面倒な私は、やっぱりこうするしかない。





日本と同じサービスを求めない。

これは日本以外の国に住むにあたって、とっても大事なことである。






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スピリチュアルの始まり(2)

2014-03-24 17:58:06 | 日記
スピリチュアルの始まり(1)


私はそのクリニックに、だいたい週に1度ぐらいの頻度で通っていた。

3回目に行ったときだったろうか。



先生は私に、水が入った小さなガラスの容器を持たせた。

そして私のもう片方の腕を持って、肘を曲げてみる。

水の入った容器を変えながら、同じことをやる。

その水は、トマトであったりコーヒーであったりし、特定の食べ物にアレルギーがないかどうか調べているらしい。

もしその食べ物にアレルギーがなければ、肘は簡単には曲がらない。

漢方薬の「オーリングテスト」と同じなんだと思う。

人差し指と親指で輪っかをつくり、もう片方の手に薬を乗せて、その輪っかを誰かに外そうとしてもらう。

その薬がその人に合わなければ、輪っかは簡単にあいてしまう。


もしも、何かにアレルギーがあれば、帰る時にプラスティックボトルに入った水を渡されて

1日に何回か、その水を何かに混ぜて飲むように、と言われる。




そこで行われることのすべてが、私には珍しいことであったし、

もともと不思議なことや話が好きだった私は、背骨のことも忘れて、なんとなく通っていた。




ある時、先生は私を椅子に座らせ、右腕を水平に上げるよう言うと、

「今から一人ずつ、ゆっくりと身近な人を思い浮かべてみて」

と言った。

「思い浮かべるときに、その人の名前か間柄を言ってください。じゃあ、苦手な人からどうぞ」


当時、同じ職場にとても難しい同僚がいて、私は真っ先に彼女を思い浮かべた。

これといって他に苦手な人もいなかったので、両親から始まって順番に思い浮かべていった。

私が名前を言うたびに、先生は私の肘を曲げてゆく。


それが終わると、先生は穏やかに、さもさり気ないふうに言った。



「旦那さんは自信家だとか、威圧的だとかいったことはありますか?」



まったく思いがけないことを聞かれて、私は文字通り固まってしまった。

「はあ?」

先生はにこにことしたまま(普段の顔が、すでに笑っている顔なのだけれど)、それ以上は何も言わなかった。




けれども、先生のその一言は、私の心に、今思えば、潜在意識に爆弾を落としたのだった。

その瞬間、何かで頭を殴られたような、まさに目が覚めた!という感じだった。

私が、当時の夫をどう思っているか、

10年余続いていた結婚生活が、いかに不自然なものか、

私はようやく大事なことに気づいた。

そしていったん気づいたらもう、気づかない前の自分には戻れなかった。




12回分の回数券を使いきらないうちに、私は一方的に家を出た。

そうなるには、いろーんなことがあったのだけれど。


「先生、私、別居したんですよ」

私がそう言うと先生は、

「あららら、あらー」

と言って、少し困ったような顔をして、少し笑った。




結局、私の背骨は治らなかった。

背骨が歪んでいることで、そのまわりの筋肉が緊張して背中が凝ったりするから

その筋肉が衰えないようにするしかないのだ、と先生は言った。

しかし私は、背骨などもうどうでもよくなっていた。

私は、強い向かい風に向かって大きな1歩を踏み出したところで、

背骨どころではなくなった。


歪んでいたのは私の生き方だった。

正確にいうなら、その歪みですら私には必要だったことで、

ただそのことに気づくべきタイミングだっただけということなのだろう。



これが、私がスピリチュアルな世界に深く潜ってゆくことになった、最初の出来事である。









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スピリチュアルの始まり(1)

2014-03-23 17:19:10 | 日記
今日は私がスピリチュアルな世界に踏み出すことになったきっかけについて書こうと思う。



12年前の話である。

職場の健康診断で、背骨が湾曲していると指摘された私は、曲がっているなら治そうと思い

インターネットでカイロプラクティックのクリニックを探した。

職場から行きやすい場所で、駐車場が完備しているといった理由で、ひとつのクリニックをみつけた。

マッサージもカイロプラクティックもやったことがなかったから、

行ってみて、怖そうな感じなら帰ってこようと思って出かけた。



そこは不思議なところだった。

待合室には、ルイボス茶が大きなポットに入っていて、自由に飲めた。

中学生らしき子供もいれば、かなりの高齢の人もいた。

壁には、心と身体はつながっているだとか、身体の声を聞いて病気を防ぎましょう、

と書かれた紙が貼ってある。

部屋の向こうの会話が聞こえてきた。


女性「先生、私、義母にちゃんと言いました。私はそれはやりたくないって言いました」

先生「ああそうですか。背中の痛みは消えていくはずですよ」


なんだか変なところに来ちゃったぞ、と思っていると私の番になった。



七福神の布袋さまのような男性が、にこにこと立っていた。



台にうつぶせに寝て、背中を押す。(机みたいに固いですねえーと先生はいつも言った)

カーテンで仕切られた部屋に入って、身体全体をあたためる(何か機械につながっていたようにも思う)

別の機械に入って、腰から下をひたすらあたためる。(100%熟睡してしまう)

皮膚の下にある、あるポイントを、切符切りのような小さな金具でタッピングする。

円筒形の用具の上に背中を乗せてごろごろとして、バランスをとる。


そこで行われるのは、そういったことだ。

背骨の話は出ない。

私も聞かない。



私は何かよくわからないまま、帰る時に12回分の回数券を買っていた。






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