Carmel reilly 「With angels beside us」より
Tom 72
妻が亡くなって10年になる。
彼女は私よりも若かったから、当然私の方が先に逝くのだとばかり思っていたのに、私が退職して、もっと多くの時間を妻と過ごす前に逝ってしまった。
週に何回か、私は妻の墓に行く。
それは家族墓で、彼女はそこに埋まっているわけでないのだが、荼毘にふしたあとの灰を撒き、目印の石をそこに置いてある。
妻と話したくなったとき、私はそこに行って、日常に起きた些細なことを話す。
あの人がどうしたとか、仕事でこんな失敗をしたとか、洗濯機がうまく動かないとか、そういったことだ。
妻からの返事はないけれど、彼女が何を言うだろうということは想像がつく。
だから返事はなくとも、私はこの会話を楽しんでいるし、妻が、私が食器洗い機と格闘しているのを見て笑っていると思うと、それだけで元気が出る。
時々、私はどうしようもなく寂しくもなる。
ある時、新しい孫のジェイについて話していた。
ジェイは妻が亡くなった2年後に生まれた。だから妻はジェイがどんなに素晴らしい女の子か知らない。もし妻がジェイを見たら、どんなに誇りに思うだろうか。そう思ったら泣けてきた。
私は立ったまま泣きじゃくりながら、ジェイのことを話し、そして、どんなに君がいなくて寂しいか、君がいない生活がどんなにつまらないかということを話した。
その時、温かい手が肩に置かれたのを感じた。
そして誰かがこう言った。
「彼女もまたあなたが恋しいと思っているのですよ。でもあなたは彼女の分もジェイを愛してあげなければ」
頬にかかる息まで私は感じた。
けれど私は目を閉じたままでいた。なぜか、開けてはいけないような気がして。
私は墓の石によりかかり、目を開けた。
私以外にはそこには誰もいなかった。
でも、私は確かにメッセージを受け取ったと感じていた。
妻が亡くなって初めて、妻はいつでも私のそばにいるのだと強く確信した。
そして、いつか私の番が来たとき、妻はそこで待っていてくれるのだと。
私の肩に置かれた手の感触が、静かに消えた。
その声の主が言ったことは正しい。
妻は孫たちが成長するのを見届けることはできないのだから、その分、私が彼らを見守り、彼らのおばあちゃんがどんなに素晴らしい人かを伝えなくていこうと思っている。