太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

278分の1

2019-11-28 11:07:45 | 日記
週に5日働くうちの、3日か4日はレジスター担当になる。
お客さまの99%が旅行者で、気分が高揚していることもあって
殆どの人はハッピーだ。

けれど、中にはそうじゃない人もいる。
思い出したくもないので、詳細は書かないが、
こんなみっともない男が身内じゃなくてよかった、と心底思うようなお客がいた。
その日、私のレジスターで処理した人数は278人で、
そのうちの277人は良かったのに、たった一人のろくでもない男のために
私の気分は落ちてしまう。
「個人的に受け止めちゃダメだよ」
同僚は言う。私もそう思う。
でも私の気分は私個人のものであり、いったん落ちてしまった気分を何とかするのも私なのである。
自分でも不思議なのは、277の良かったことより、
たった1つの悪い体験ばかりを、気が付くと繰り返し反芻して、
そのたびに嫌な思いをなぞってしまうことだ。
思い出すことは選べるはずなのに、なぜ私はたったひとつの嫌なことを思い出すんだろう。

きっと、私の中に吐き出しきれないドロドロがあるのかもしれない。
とりあえず、一人のときに思い切り悪口を吐く。
「ばーか、デーブ、みっともないおまえにすべての悪いことが起きておしまい!」
今朝のウォーキングの時、その嫌な記憶をできるだけ集中してかき集めて
胸の前あたりにまるめてゆく。
ソフトボールぐらいの大きさになったそれは、こげ茶と赤が混ざったような色で
妙にべたべたとしている。
セロハンテープをはがした後に残ったベトベトは、
別のベトベトでもってきれいに取れるように、
そのベトベトのボールを転がして、残ったベトベトを絡めとる。
「天使でも誰でもいいから、これを持って行って捨ててよ」
実際に、誰かがそれをどこかに持って行く様子を想像する。

そのあと、ビーチに行って海に入り、
海水が私の心をきれいに洗い清めてくれると想像する。
少し残っていた嫌なカスを、波がさらってゆく。



フライトアテンダントや、苦情処理のオペレーターや、ホテルで働く人たちは
いったいどうやって気分の処理をしているのだろうかと思う。
先日観た映画「マスカレードホテル」の中で、
「このホテルの中では、常にお客様が正しいんです。どんな理不尽なことであっても」
というセリフがある。
私など、とてもじゃないがホテルではつとまりそうにない。
278分の1を翌日に持ち越して、ようよう気分を持ち上げているのだから、
ブチ切れてクビになるか、体を壊すかどちらかだろう。

ハワイに来てから、人生で初めて客相手の販売の仕事に就いて8年あまり。
「お客様は神様なんかじゃないし、店の人だって神様じゃないんだっての」
という思いを年々噛みしめているのである。










ですわ、ますわの大安売り

2019-11-27 19:50:26 | 本とか
山崎豊子氏の「女の勲章」を読んでいる。


いよいよ読む本の在庫がなくなってきて、古本屋に行ったはいいが
食指の動く本が見つからない。
日本の古本屋とは違って、本の絶対数が少ないのだから仕方がない。
それでもいろんな作家の本を開拓して、選択肢はだいぶ広がってきてはいるのだ。
山崎豊子氏は、「不毛地帯」や「大地の子」など、
女性作家とは思えない、骨太の社会小説を書いている。
だからこの「女の勲章」もそういう小説なのだろうと思い、手に取ったのだった。


しかし、社会小説というよりは、平日の昼すぎにやっているメロドラマのような内容で、メロドラマが苦手な私は困惑している。
しかも、これが書かれたのは昭和36年(1961年)
さすがの私も、まだ生まれてはいない。
話の筋は、大阪の裕福な商家に育った女性が、デザイナーとなって
洋裁学校を経営するという、細腕繁盛記的な話だ。
メロドラマなストーリーもともかく、
小説に出てくる女性たちの話し方が、いちいち不自然で、気になって仕方がない。

たとえば、こうだ。
「いいえ、別にそんなものはございませんわ。自分の選んだ色と柄を素材にして
最も美しい布地の彫刻を造りたいという、それだけがデザイナーの大きな要素ですわ
「大阪の古い衣服の伝統の中に育ち、それを身につけた人にしか創りだせないものですわ
つまり江戸流の粋でなく、上方につうじる味ですわ、あれは大庭さんの環境と人間を物語っていますわ
「あら、それならあなたのほうが私よりずっと、私についてお詳しくご存じでいらっしゃいますわ


ですわ、とか、ますわ、とか、昭和36年では一般的だったんだろうか?
当時、すでに姉を生んでいた母は二十代だったけれど、母がそんな話し方をしていたのを聞いたことがない。
キャリアウーマンの(職業婦人といったらしい)、お高くとまったような人に限ってなのだろうか。
果たしてそういう人たちは、実際にですわ、ますわと話していたんだろうか。
それとも、小説や映画の世界だけの話し方なんだろうか。


ただ、興味深いこともある。

女は30歳まではそれぞれ年相応にしか見えないが、30を超えると個人の持ち分だけが年齢になって現れる

というくだりがある。
小説が書かれた60年前には、そうだったのだろう。
今は、15歳ぐらい年齢が上がっているような気がする。
45歳ぐらいまでは年相応でいられても、45を過ぎると、大きく個人差が出てくる。



おきまりのメロドラマではあるが、(プレイボーイの事務長が、院長含め以下職員と関係を持ちまくる)厚さ2センチあまり、650ページに及ぶ長編で、
文字の大きさは最近の文庫の文字の半分しかない。
あまり早く読み終えると、また本を探さねばならなくなるので、
話はできるだけ長く、本は厚いほうがいい私は、ですわ、ますわのメロドラマを
困惑しつつも根気強く読み続けている。







アナログ人間がアナログ人間を嗤う

2019-11-27 08:32:47 | 日記
私はアナログ人間だ。
メカに弱く、めんどくさがりで、根気がない。
個人がパソコンを持ち始めた走りの頃、私は父の会社で事務をやっていて、
同僚の一人がパソコンを買ったという。
その人が得意そうにパソコンの話をしているのを聞いて、私は言った。
「じゃ、私にもそのインターネット、ていうのを買ってきてよ。」
パソコンとインターネットの違いもわからない私に、同僚は激しい同情の目を向けて、言った。
「インターネットは物じゃないんだよ・・・」

基本的には、あのころからそれほど進歩しているわけではない。
今こうして、パソコンを使ってブログを作ったり、メールのやりとりをしたりしているのが不思議なほどだ。
猫に小判のスマートフォンも、電話とラインしか殆ど使わない。
メカ関係で少しでも新しいことは、絶対に挑戦しない。
だから、作品を売るのにペイパルの設定をしなくてはならなくなったとき、
まるっきり夫に丸投げだった。
夫とて、アナログ人間。
しかし、夫には私にはない根気強さがある。
何時間もかけて、うまくいくまでじっくりと取り組むなど私には無理だ。
フェイスブックもやらない。
インスタグラムも、昨年あたりに名前を知ったばかり。
ツイッターだって、いまだにどういうものかさっぱりわからん。
一人でも多くの人とつながりたい、と思わない。
体裁のために、アートのHPも一応作ってはあるのだけれど、
こまめにチェックするのがめんどくさいという理由で、
ただ見るだけで、HPからは買えないようになっているというお粗末さ。



あるとき、夫がテレビのリモコンが反応しなくなったとかいって、
リモコン本体を軽く叩いた。
それでもダメだと、後ろのカバーをあけて電池を指でクルクルとまわしてみている。
そして電波が出ているであろう辺りに息を吹きかけてみる。
テレビの、受信しているであろうあたりを叩いてみる。
私はその一連の動作を笑って眺めていた。

「まったくアナログ人間のやることだよね、それ。
そんなんで直るわけないじゃないのさ」

夫はㇺッとした顔をして、
「これで直ることだってよくあるんだよ」
と言った。


先日、パソコンを使っていたら、Wi-Fiが途切れてしまった。
ルーターは両親側の家の2階の書斎にある。
我が家の2階に行けば、安定した電波がとれるのだが
普段は1階で使うことが多い。
そこへ夫が2階から降りてきて、新聞紙で宙を扇いでいる私を見て言った。

「なにやってんの?・・・・・・」

「電波が途切れたから、電波を集めてんの」

その時の夫の顔。

「ごめん、意味がよくわかんないんだけど」

「だから、その辺にある電波をだね、パソコンのほうに集めてるんだよ」

「・・・・・冗談だよね?」

ふん、冗談でこんなことができるか。
ただ、ふと、そういうこともあるかなー、と思っただけだ。

アナログ人間が、アナログ人間を嗤う、の巻。









日本の映画2本

2019-11-25 16:27:31 | 勝手な映画感想
少し前のことになるが、
インターナショナルフィルムフェスティバルの最終日、日本映画を2本みた。


「They say nothing stay the same](ある船頭の話)

「マスカレードホテル」

余談になるが、昔は映画は2本立てが主流だった。
レコードのA面とB面みたいに、メインの映画に別の映画が抱き合わせになっていた。
たまに、メインじゃないほうの映画のほうがよかった、なんてこともある。
東京の新宿あたりでは、オールナイトといって(今はどうかな)
意味のわからない外国映画なんかを何本も、朝までやっていたものだ。
「機械じかけのオレンジ」を観たのは新宿のオールナイトで、
いまだに訳がわからない映画のひとつだ。


「ある船頭の話」は、映像は美しいのだけれど、
長くて、暗くて、救いのない映画で、ハッピーエンドじゃないと嫌な私には
後味がよくない映画だった。

「マスカレードホテル」は、同名の東野圭吾氏の小説の映画化したもの。
東野圭吾氏はなんとなく苦手で、マスカレードホテルも未読なのだけれど、
映画はテンポもよくて、楽しめた。
ホテルものといえば、三谷幸喜さんの「有頂天ホテル」もいい。

一緒に行った日本人の友人によると、木村拓哉さんは40代後半なのだそうだ。
どうりでアップのときの肌の艶がいまひとつなわけだ。(自分のことは棚の上)
スマップが、40代になるのだなあ。
嵐だって30代だっていうじゃないか。
スピードの、13歳だった女の子も、もうイイ年なんだろうなあ。
♪伊代はまだ16だからー♪だった伊代さんも、もしかして50に近いのか。

アイドルの年齢を知って、
しみじみとわが来た道を振り返る、ハワイの秋の日のことよ。









ライム マーマレード

2019-11-23 20:45:50 | 食べ物とか
今年は庭のライムが豊作で、シュートメがライムでマーマレードを作ったのだが
それが非常に美味しくて、病みつきになった。
私のようにマーマレードの、ほのかな苦さが好きな人は、きっといると思う。
毎日、ヨーグルトに乗せて食べていたのが、残り少なくなってきた。
シュートメは、20個のライムを使って作ったというので、
庭のライムの実の数を数えてみると、余裕で20個以上あるではないか。

シュートメは体調が思わしくなく、作ってくれとは言いにくい。
そこで一念発起。
よし、私が作ろうではないの!
シュートメにレシピをコピーしてもらい、さっそくライムを収穫した。

20個のライム

ライムを洗って、できるだけ細かく刻む。
20個のライムを片っ端からみじん切りにするのは、意外と大変。
部屋中にライムの香りが満ちて、いい気分ではある。
刻んだライムに7カップの水を加えて、ラップをかけ、一晩おく。

翌日。
準備完了

一晩おいたライムをふたつの鍋に分けて入れ、沸騰させる。
鍋を分けるのは、ライムの深さが4センチ以下のほうがいいから。
沸騰したら蓋をして、弱火で45分煮る。



砂糖、登場。
ライムと同じ分量の砂糖を用意して、砂糖だけを焼くのだが方法は以下のとおり。

45分煮たライムを、カップで測りながら別のボウルに移す。
測りおわったら、ライムをまたもとの鍋に戻す。
ライムと同量の砂糖を、オーブンの天板に広げて、175度で10分、空焼きをする。
途中でときどきかきまぜて、まんべんなく焼けるようにする。
これをやると、砂糖がすばやくジャムに浸透するということらしい。
レシピを作った人はニュージーランド人なので、その国のやり方なのかも。

私の場合、ライムはカップに12杯分あった。
カップ12杯分の砂糖を測り、その量を見て恐ろしくなった。
それはまるで天板にたっぷり積もった雪のようであった。
そこで私は、1カップと少しだけ砂糖を減らした。
ジャムなんて、1度に食べる量はスプーン1杯ほどもないのだから、砂糖の量を気にすることはないとは思うのだけれど、
さすがに目の前に山と積もった砂糖を見ると腰が引ける。

砂糖が焼けたら、1度にライムの鍋に入れ、沸騰させ、砂糖が完全に溶けるまでかき混ぜる。

砂糖が溶けたら、もうかき混ぜてはいけない
蓋をとって、20分ほど煮る。


マーマレード作りは、これでおわり。
鍋の中で、多少水っぽいように見えても、温度が下がってくるとジャムぽくなる。
それでも水っぽかったら、5分ぐらい煮る。

容器の準備

8オンスの瓶が12個、4オンスの瓶が5個。
蓋は鍋で煮沸、ガラス容器はオーブンで150度ぐらいで20分焼き、そのまま20分置く。

完成


さっそく翌日、ヴィッキーにおすそ分け。
その夜、「Oh My Goodness! Wonderful!!!!!!!!!!!!!!!!!」というメッセージがきた。
料理のセンスがない人にとって、何かを作って人にあげて喜ばれる、というのは
滅多にないことだけに、感激ひとしおだ。


レモンでも、オレンジでも、このやりかたでできるのではないかなあ。
無農薬じゃないと食べる気がしないけど。
うちの庭のタンジェリンの木は、若くてまだまだそれほど実をつけない。
このライムマーマレードを食べ終わるころ、
また新しいライムの実が採れるだろうから、また作ろう。
そう、料理のセンスがない人は、確実にできる同じ料理を繰り返しいつまでも作るのである。