太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

天使に出会った実話. 22

2024-08-01 07:15:43 | 天使に出会った実話
Carmel reilly「with angels beside us」より

Helen 22

母が亡くなってから、父は飲んだくれてばかりいた。私は15歳で妹はまだ11歳だった。私は母の死を受け入れるだけでも必死なのに、妹の母親がわりもやらねばならなかった。
私は何度も父にお酒をやめるように頼んだけれど、おまえには俺の気持ちなんかわからないんだ、と言われておしまいだった。

私と父はそのことについて真面目に話し合ったこともあるが、父はどんなに母が恋しいか、私たちがいてどんなに誇りに思うか、と言って、また飲みに出掛けてしまうのだった。

私は妹を寝かせ、学校にやり、洗濯をし、食料品を買い、といったことに毎日追われた。
とうとう、恐れていたことが起きた。
父はオーブンをつけたまま、ドアに鍵もかけずに廊下で酔いつぶれて寝てしまった。
こんなことをしていたら、父はそのうちお酒がもとで死んでしまうだろう。
少なくとも2回、私は父から車の鍵を取り上げたことがある。酔っぱらっているのに、車でお酒を買いに行こうとするからだ。
そんなこんなで、私は学校の勉強など手につかなくなっていった。

ある夜、私はベッドに横になって、飲みに行った父の帰りを待っていた。
怒りというより、情けなさでいっぱいだった。
そして私は、誰か助けて!と祈った。

夜の1時頃、庭の扉が開く音がして、父が帰ってきたのがわかった。
そのあと、いつもなら鍵束が鳴ってドアの鍵を開ける音がするのだが、数分たっても静かなままだ。私は窓から庭を見下ろしてみた。
すると、父は芝生の上で大の字になって寝ており、会ったこともない女の人がその横に膝まづいていた。その人は何か父に話しかけているようだった。

私は何が起きているのか確かめようと降りて行った。女の人はどこにもおらず、父は座り込んで、呆けたような顔をして、あたりを見ていた。
私は手を貸して、酔っぱらった父を家にいれた。

その夜、父はとても妙な表情をしていたのを覚えている。まるで見るもの全てが不思議に見えているような顔だった。ちょうど、クリスマスの朝の子供のように、全てが新しく、全てがスリルに満ちている顔。

驚くことに、翌朝、父は一杯の紅茶をもって私を起こしにきた。降りていくと朝食の支度は既にできていた。
父はモゴモゴと、昨日遅く帰ってきたことを謝った。そして私たちを学校に送ってくれた。
父はとても静かだった。

その日、父は家中をくまなく掃除し、洗濯をし、アイロンがけをして、洗濯物はきれいにたたみあげた。
フリーザーからいくらかの食べ物を出して温める代わりに、母が作ったようなちゃんとしたシチューが用意されていた。

父はまだ静かで、妹を寝かせたあと、私を居間に呼んで、これまでのことを許してほしいと謝った。
私はとても嬉しくなって、父を強く抱き締めた。
母がいなくなって初めて、私は大人ぶらなくてもよく、比護される子供なのだと感じた。

それから、父は一滴のお酒も飲まずに1年を過ごした。
現在は、たまにワインを一杯だけ飲む程度だ。
あの夜から、父は、飲んだくれて床に寝転ぶ父から、尊敬できる父に戻ったのだ。

数年前になって、父はあの夜に起きたことを話してくれた。

酔っぱらって帰ってきた父は芝生の上で寝転がり、このまま寝てしまおうと思っていたらしい。厳寒の季節にそんなことをしたら、それは死を意味するというのに。
寝ていたら、女の人がそばにいることに気づいた。その人は父の耳に囁きかけた。
父ががどんなに私を傷つけているか、どんなに自分勝手で、私の信頼を裏切っているか。
もっとちゃんとした父親にならなければいけない。
でも忘れないでほしい、母はいつも、今でも私たちのことを愛していると。たとえ何がどうだとしても。

父はしばらくぼうっとしていたが、突然、堰をきったように感情がわいてきたのだそうだ。
どんなに母を愛しているか、母と過ごした時間の素晴らしさ、そして、母がいなくなっても、私たちが自分には残されていることを、しみじみと幸せだと思った。

父はこのことを忘れてしまうのを恐れて、水をたくさん飲み、ノートに書き記した。
父は母に恥じないように、ちゃんとした父親になろうと心に誓った。

私はあの女の人は、私の祈りが届いて母のメッセージを携えて現れた天使だったと信じている。
とにかく、ほんとうによかった。
私が父を尊敬できなかったのは、たったあの時期だけだ。私はとうの昔に父の行いを許しているし、父がなぜあんなふうになったのかも、少しは理解しているつもりだ。





洗顔料の疑問

2024-08-01 07:11:40 | 日記
洗顔料を使うようになったのは、中学生になった頃からだろうか。
それまでは身体を洗う石鹸で顔も洗っていた。
それ以来、かれこれ40年以上、とっかえひっかえ洗顔料を使い続けてきた。
西でコスメデコルテがいいと聞けば、それを買い、東でビオレで十分と聞けばビオレを買った。
母が愛用していたソーマ化粧品の洗顔クリームを借りていた時もあるし、韓国コスメにした時もあった。 
とにかく、何の疑問も持たずにかたくなに洗顔と身体を洗うものは分けていた。

ところが、シャワーを浴びていたときにふと疑問がわいた。

肌に痒い赤みがでるようになって、皮膚科であっさり
「老化だね、老化によるエグゼマ」
と一刀両断されてから、皮膚科医オススメのdove のクリーム状のソープを使っているのだが、
泡立てたそれを、うっかり顔にも乗せてしまった。
そのまま洗ってみたら、洗顔料で洗ったのと何の変わりもない。

そして、疑問。

顔を洗うのが洗顔料だけど、一体どこまでが顔なのさ?
顎のライン?鎖骨?
顎や鎖骨を境にしたとして、境近辺の肌は別物か?
人間の肌は一枚皮でできているんじゃないのか。

ありがたいことに、肌が丈夫で、何かにかぶれたりすることはないのだが、何を使っても、劇的にきれいになったとかいうこともない。
高い化粧品も、ドラッグコスメも、私には同じなのだ。

そんな私であるから、なおさら洗顔料など分ける必要などないのでは?
ということに思い至り、以来身体を洗うソープで顔も洗っている。

これって、女を捨てていることになるんだろうか……