ハワイに移住するにあたり、決めていたことがある。
『日本はよかった、日本ならこうだった、と言わない』ということである。
痒いところに手がとどくサービス、礼儀正しい人達、治安、
自分で病院や治療法を選べるシステム、安い医療費、安い中古車、
買いたいと思わせるものがあふれる店、おいしいもの、便利な交通網、
私が日本人だからというだけでなく、日本ほどいろんな意味で住みやすいところはないと思う。
日本以外の国で暮らせば、日本でのようにいかないのは当たり前で、
だから比べるのをやめて、あるものもないものも楽しもうと思った。
そしてそれは、たいがいうまくいっているのだが、
折に触れ、日本が懐かしく思うことはある。
職場から支給されているユニフォームのボタンが、1つなくなってしまった。
ココナツでできた、こげ茶色のボタンで、シュートメの裁縫箱をまず探したあと、
ボタンを買いに出かけた。
といっても、行くところは2箇所。
それも同じ布地屋が、ホノルルと別の場所に2箇所あるだけ。
その店を探してなかったら、もう探すところはない。
ココナツのボタンはなかったので、同じ大きさのボタンを買って、その場しのぎにつけた。
ユニフォームは、いずれ返すものだから、勝手にボタンを全部付け替えることはできない。
探すところが限られているから、いろいろ見てまわる手間は省ける。
でも裁縫や編み物が好きな人は、どうしているんだろう。
特定のものを手に入れるのが困難なうえに、
どんなものであれ、ひとつのもののバラエティが非常に少ない。
文房具も、洋服も、アクセサリーも、食品も。
ノートといったらこの表紙のものとこれ、と決まっていて、みーんな同じノートを持っている。
私が子供の頃に見たような、先に消しゴムのついた黄色いボディの鉛筆を眺めて思う。
ハワイは進化を拒んでいるんだろうか。
もっといいもの、もっと便利なもの、もっと何か、という欲がない。
日本から来た私にしてみたら、ここの人たちは最小限のもので暮らしているようにみえる。
だからBlue Noteがハワイにできたときは、すごく嬉しかった。
もう4回以上行っているが、楽しいだけじゃなく、撤退しないようにできるだけサポートしたいのだ。
日本に行くたび、私は熱帯の寒村から出てきた人のような気分になる。
地方都市の静岡ですら、テーマパークのようで、
東京などは、もう友人と一緒でないとどこへも行けないような気がする。
「ここはものすごくきれいで気持ちがいいですね」
お店にきたお客様が言う。
ゆったりと大地に根を張った大木が、大空いっぱいに枝を伸ばす。
うるさいぐらいに鳥がさえずり、花が咲き乱れ、青々とした緑があふれている。
島の、どこからでも海に入ることができる。
高い建物がたっているのはホノルルの一部だけで、島のほとんどは田舎である。
職場がある一帯は、食事の買い物をするところもない。
それでも、「開発 大反対」のカードが、そこここにある。
進化をしないから、このハワイがあるのかもしれない。
アメリカ本土から引っ越してきた人が、
海苔も納豆もある、といって感動していた。
本土では永谷園のお茶漬けを、冷凍庫にいれてちびちび食べていたそうだ。
ハワイは進化はしないけれど、
上を見たらきりがなく、また、下には下があるものである。
にほんブログ村
『日本はよかった、日本ならこうだった、と言わない』ということである。
痒いところに手がとどくサービス、礼儀正しい人達、治安、
自分で病院や治療法を選べるシステム、安い医療費、安い中古車、
買いたいと思わせるものがあふれる店、おいしいもの、便利な交通網、
私が日本人だからというだけでなく、日本ほどいろんな意味で住みやすいところはないと思う。
日本以外の国で暮らせば、日本でのようにいかないのは当たり前で、
だから比べるのをやめて、あるものもないものも楽しもうと思った。
そしてそれは、たいがいうまくいっているのだが、
折に触れ、日本が懐かしく思うことはある。
職場から支給されているユニフォームのボタンが、1つなくなってしまった。
ココナツでできた、こげ茶色のボタンで、シュートメの裁縫箱をまず探したあと、
ボタンを買いに出かけた。
といっても、行くところは2箇所。
それも同じ布地屋が、ホノルルと別の場所に2箇所あるだけ。
その店を探してなかったら、もう探すところはない。
ココナツのボタンはなかったので、同じ大きさのボタンを買って、その場しのぎにつけた。
ユニフォームは、いずれ返すものだから、勝手にボタンを全部付け替えることはできない。
探すところが限られているから、いろいろ見てまわる手間は省ける。
でも裁縫や編み物が好きな人は、どうしているんだろう。
特定のものを手に入れるのが困難なうえに、
どんなものであれ、ひとつのもののバラエティが非常に少ない。
文房具も、洋服も、アクセサリーも、食品も。
ノートといったらこの表紙のものとこれ、と決まっていて、みーんな同じノートを持っている。
私が子供の頃に見たような、先に消しゴムのついた黄色いボディの鉛筆を眺めて思う。
ハワイは進化を拒んでいるんだろうか。
もっといいもの、もっと便利なもの、もっと何か、という欲がない。
日本から来た私にしてみたら、ここの人たちは最小限のもので暮らしているようにみえる。
だからBlue Noteがハワイにできたときは、すごく嬉しかった。
もう4回以上行っているが、楽しいだけじゃなく、撤退しないようにできるだけサポートしたいのだ。
日本に行くたび、私は熱帯の寒村から出てきた人のような気分になる。
地方都市の静岡ですら、テーマパークのようで、
東京などは、もう友人と一緒でないとどこへも行けないような気がする。
「ここはものすごくきれいで気持ちがいいですね」
お店にきたお客様が言う。
ゆったりと大地に根を張った大木が、大空いっぱいに枝を伸ばす。
うるさいぐらいに鳥がさえずり、花が咲き乱れ、青々とした緑があふれている。
島の、どこからでも海に入ることができる。
高い建物がたっているのはホノルルの一部だけで、島のほとんどは田舎である。
職場がある一帯は、食事の買い物をするところもない。
それでも、「開発 大反対」のカードが、そこここにある。
進化をしないから、このハワイがあるのかもしれない。
アメリカ本土から引っ越してきた人が、
海苔も納豆もある、といって感動していた。
本土では永谷園のお茶漬けを、冷凍庫にいれてちびちび食べていたそうだ。
ハワイは進化はしないけれど、
上を見たらきりがなく、また、下には下があるものである。
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます