初めてパーマをかけたのは、高校3年の卒業式のすぐあとだった。
私が通っていた学校は、カソリックの女子高で、校則が厳しかった。
毎朝のように、地下のロッカールームに続く入り口に、
シスターと風紀委員や教師が立っていて、髪の毛と爪、カバンなどをチェックする。
髪の毛は肩につく長さになれば結ばねばならず、それも、ゆるく可愛く結ぶのはダメで、
根元からギリギリと絞るように結ぶのが規則。
前髪は目にかかってはならず、スカートはひざ下何センチと決まっており、
薄すぎるカバンはダメで(カバンは布製だった)
爪は白い部分が見えないぐらい短くしなければならなかった。
天然パーマの生徒は、学校で髪の毛を濡らして、天然かどうかを検証する、
などということまで行われていた。
週末には、繁華街にシスターや教師が潜んでいて、
『不純異性交遊』がないかどうかを見張っているのだった。
卒業式の当日、クラスメイトの一人が片手の小指に透明のマニキュアをしていたために、式に出られなかった。
そんなアホな、と思うけど、本当にそうだったのだ。
人は、抑えつけられると、反抗したくなるイキモノである。
禁じられていることは、それを守る者にとっては、そのことが憧れとなってゆく。
私は小心者であるので、規則は守る。
それゆえ、中学高校6年の間に、私の中であらゆる憧れが増殖・美化されていった。
卒業したら、爪を伸ばしてマニキュアを塗って、お化粧して、パーマをかけて・・・・・・
さっそく私は美容院に行き、パーマをかけた。
田舎のあか抜けない女子高生だった私は、パーマについて何の知識もなかった。
美容院も、見かけは一応きれいだが、東京にあるようなこじゃれた店ではない。
どのようにしますか、と言われて、私は困ってしまった。
「パーマをかけてください」
と言えばいいのではなかったのか。
「だから、パーマをかけてくるくるさせたいんです」
と私は言った。
美容師は私が言ったとおり、パーマをかけてくるくるにしてくれた。
だから美容師に罪はない。
が、鏡に映った自分を見て、私は愕然とした。
そこには、くるくるになった髪の毛を帽子のように頭にのせた人が、泣きそうな顔で映っていた。
アイドルみたいになりたかったのに(顔の造作は忘れている)
これじゃドラマに出てくる、エプロンをつけて買い物に行く、詮索好きなオバサンだ。
そのあとすぐに、従兄弟の結婚式があった。
結婚式の集合写真には、仏頂面をした、くるくるパーマの私が
1番後ろの列でふてくされている。
今はその学校では、シスターたちは授業を持つこともなく、
校内にある修道院でひっそりと暮らしているらしい。
校則も、時代とともに緩やかになったに違いないが、
街で見かける母校の生徒たちは、勉強はできるのだろうが、なんともあか抜けない。
静岡弁で、熟していない果物を「みるい」というのだが、人にも使うことがある。
成熟していない、ださい、みるい女子学生が重そうなカバンを提げて歩いているのを、
あの子らも、抑制されて増殖する憧れを抱えているのかなぁ、と思いつつ眺めている。