太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

1週間に3つ

2019-12-31 16:02:23 | 日記
たった1週間の間に、
クリスマスと結婚記念日と私の誕生日がある。
なんでこんなことになってしまったんだろうなあ。
記念日や誕生日は、1年の間で適度に間隔をあけてやってくるのが望ましい。
結婚する日どりを決めるとき、そんなことは思いもしなかった。
結婚式はハワイのビーチだから、会場の予約もへったくれもなく
牧師さんの手配だけをすればよかった。
だから、いつでもよかったのに、ふたりでカレンダーを眺めつつ
クリスマスは避けて、あまり年末になってもアレだし、27日にしようかとなって、
でもその日は前の夫の誕生日だったので、なんとなく嫌で1日ずらして26日にした。

が、
ハワイの26日は日本の27日だということに気づかなかった私はアホだ。



ということで、数日遅れたけれど、結婚記念日のお祝いに食事に出かけた。
埠頭にある、NICO'S。
NICO’Sはカジュアルなシーフード中心のレストランだ。
先にお金を払って、出来上がったものを好きなテーブルで食べる。
ポケや刺身などが買える店も併設していて、そこのポケ丼はとても美味しい。
さきごろ、その2階に、1階よりも高級感のあるレストランをオープンした。
夫が職場のクリスマスパーティでそこに行って、よかったというので行ってみた。



レセプションを通ると、すてきなツリーがあった。

窓際のテーブルから、サンセットがばっちり見える。
NZの生牡蠣。
サンフランシスコで食べた生牡蠣を思い出す。
あれは今まで食べた牡蠣で1番おいしかった。
スーパーマーケットで、生で食べられると書いてある牡蠣を売っていることがあるけれど、試す勇気がない。
以前、友人が北海道の雪まつりに行く前に、そのへんのドライブインで牡蠣フライを食べてから飛行機に乗った。
すると、おなかがグルグルしてきて、上から下から、出るものが止まらず、
ほとんどトイレにこもりきり。
北海道についても調子が戻らず、
せっかくの雪まつりを、最終日にヨロヨロしながら執念で見た、という。
その話を聞いて以来、NICO'Sのような、シーフードメインのレストランや
よほどちゃんとした店じゃないと、牡蠣を食べる気になれない。
大好物なんだけど・・・・



8オンスのフィレミニョンステーキと、スティームしたモンチョン。
モンチョンは、白身の魚で、適度に脂がのっていて美味しい。
ハワイで魚を食べるなら、モンチョンか、オパ、マヒマヒがおすすめ。

 
リリコイマンゴーチーズケーキ

NICO'Sはデザートも美味しい。
中でも、私の1番はコレ。
アメリカンサイズなんだけれど、ぺろりと食べられてしまう。
たっぷりめの香り高いコーヒーと、相性抜群なのだ。


13回目の結婚記念日。
どんなことも伝えあえるはずの日本人とは、結局誰とも築けなかった関係を
夫とは簡単に築けて、年々心地よさは増してゆく。
そりゃ手放しで楽しいことばかりじゃないけど、それだって過ぎてみれば
たいしたことじゃない。
「結婚してくれてありがとう」
と私が言い、
「結婚してくれてありがとう。こちらこそ」
と夫が言う。
食事を終えて外に出ると、海の上に満天の星が、空のクリスマスツリーみたいに輝いていた。
その空の下を手をつないで歩く。











駆け足年末

2019-12-30 16:07:56 | 日記
父の葬儀を終え、23日にハワイに戻ってきてからというもの、
まさにあっという間に晦日だ。
職場は戦場のような忙しさで、おかげで余計なことを考える間もない。




クリスマスは、前の晩からの嵐で迎えた。
雨はともかく、ものすごい風で、庭の木々が360度にしなって
あちらこちらで木の幹が割れる音がし、
折れた枝やらが、庭を真横に飛ばされてゆく。
そしてお約束の停電。
倒木が電線を切ってしまったからなのだが、2時間たっても復旧しない。
午後になったら叔父叔母と友人がやってくるというのに、
このままだとオーブンが使ええない。
叔母に電話をすると、叔母の家は電気があるというので、
午後になっても復旧しなかったら、急遽叔母の家でクリスマスを祝うことにする。

いよいよ叔母の家に行くための荷物を作り始めたころ、電気復旧。
今度は叔母の家が停電だという。

ツリーの前にはプレゼントの山

いくつになっても、プレゼントは嬉しい。
一人あたり5個から10個のプレゼントをもらい、わくわくしながらあける。
サンクスギビングデーに七面鳥を食べたので、
クリスマスはシュートメがラザニアを作り、お寿司やお刺身、何種類ものチーズにクラッカー、エビのカクテル、山盛りの野菜スティックなどを、
めいめいが好きに食べる。
クリスマスのときだけに使う、特別なグラスや食器がテーブルを彩る。
シアトルに住む、義兄から電話があり、一人ずつ電話をかわりながら話しているうちに、
嵐はおさまり、青空がみえてきた。

ふと、日本の家族を思う。

クリスマスは、家族を思い、家族と過ごす日。
父の写真を、みんながいる部屋に置いた。
「オトウサンは賑やかなことが好きだから、きっとここにいるね」
夫が言う。
「うん。でも相当なせっかちだから、1か所に長くいられないよ」

父の話をするとき、父のことを思うとき
父はほんとうにいなくなってしまったのだろうか、と、思う。
冷たくなってゆく父を見た。通夜もして、葬儀もやった。
けれど、ハワイにいると、父はまだ日本にいるような気がしてくる。
会いたくても、すぐには会えない距離にいるだけで
今までと何も変わっていないのではないかと思えてならない。
大事な人をなくした人に、
『その人は今はあなたの心の中にいて、いつでも一緒にいる』
と言うことがあるけれど、
これは、そういうことなのだろうか。
それとも、私はいまだに父の死をちゃんと認めたくないんだろうか。


夕方、外に出ると、草と木の呼吸の匂いと土の匂いが満ちていた。
嵐が、よぶんなものを全部なぎ倒し、洗い流してくれたのだ。
日本に住んでいたときも、クリスマスはハワイに来ていたから
Tシャツと短パンで過ごすハワイのクリスマスも、今年で13回目になった。













庭の絵

2019-12-25 11:38:23 | 日記
今日から仕事に戻った。
こんなとき、行く場所があってよかったと思う。
気がまぎれるし、同僚たちのあたたかい気持ちもありがたい。
ただ、高齢の親と一緒に来ているお客様を見ると、ちょっとつらくなる。

お通夜のとき、父の油絵を何点か会場に飾ることになり、
アトリエで作品を探していたら、夫が偶然、
ハワイの我が家の庭を描いた作品をみつけた。
9年前に私たちがハワイに移住するときに、私の両親もつれてきて、
10日ほど滞在した。
父は庭に椅子とパラソルを出して、スケッチを描いていた。
それを油絵にしたのだろうが、父はそんなことを一言も言わなかったから
それを見つけたときは驚いた。

父が描いた庭の絵

これは形見にもらって帰ってきた。

親をすでに亡くした人を、私はある種の尊敬をもって見ていた。
親を亡くすということが、どれだけ辛いことなのか想像できなかったから
この人はそれを乗り越えてきたのだな、と思ったものだ。

何年たっても、父を思えば、心の同じ場所がうずくのだろう。
悲しくなくなることも、寂しくなくなることもないのかもしれない。

何年も前、ハワイと日本で父と電話をしていたときのことだ。
「死んじゃったら、飛行機にも乗らずに一瞬でハワイに来れるね」
「そうだね、じゃ、死んだらすぐに行くよ」
「夜はヤメテ、怖いから」
「アッははー」
笑って話すほど父は元気で、私はノーテンキだった。

昨夜、眠れなくていたときに、
「夜でもいいよ、ちょっと怖いけど」
とつぶやいてみた。








2019-12-23 14:18:42 | 不思議なはなし
父が、亡くなってしまった。
いつかそうなるのだと知りながら、そうならないといいなと思っていた。

9月のときのように、また持ち直すだろうと思いつつ、
それでも急遽行くことにしたのは、虫の知らせだったのだろうか。
9月に父が「なにかあったら知らせるよ」と、突然正気になって言ったのは
このことだったのだろうか。

2年前に大腿骨骨折をしてから、
父は家に戻ることなく、施設で過ごした。
リハビリ病院にいたときは、夜になると電話をかけてきて「帰りたいから迎えに来て」と母を困らせた。
グループホームでは、以前ほど帰りたいとは言わなかったけれど
明日帰るから、と言って自分で荷物を作り、翌日にはそれを忘れてしまい、
また思い出したように、「お帰りバッグ」を作るということをしていたそうだ。
亡くなったあと、自宅に連れて帰り、
「家に帰してあげられなくてごめんね」と姉と二人で泣いた。


天真爛漫で、せっかちで、明るくておしゃべりで前向きな父。



今月初めに肩を骨折した母は、手術をし、そのあとはリハビリ施設にいる。
骨折したあと、ほかの機能もがっくりと落ちて、食事もトイレも介助が必要で、
また骨折するのも怖いので、家にいることができない。
亡くなった父と会い、リハビリ施設に戻った母に、その夜、父が会いに行ったそうだ。
「さあちゃん(父のこと)、あんた死んじゃったっていうじゃん」
と母が言うと
「おぅ」
と父は言ったという。

たくさんの、ほんとうにたくさんの人が、父に会いに来てくださった。
大昔に父の会社で働いていた人たちも、遠くから足を運んでくださった。
普段は会うこともない親戚たちも多く集まって、
まるでお正月のような賑やかさで、人が集まるのが好きだった父は喜んだことだろう。
お通夜のときに、生前の父と家族の写真を集めてスライドショーを流した。
あれは、キツイ。
父の友達の写真館で撮った父の遺影は、とびきりハンサムで映画スターのようだ。


もう何年も離れて暮らしていたから、日本に行けば、また父に会えるような気がしてならない。
10年ほど前に撮った、私が好きな父の写真をもらって帰り、写真たてに入れた。
家族の写真が飾ってある棚の上に、それを載せたら、泣けてきた。

おとうさん、ありがとう。大好きです。




日本へ

2019-12-12 15:05:23 | 日記
突然、日本に行くことにした。

父のところへ行った妹の話を聞いて、
あまりに言うことがしっかりしている父の様子に、不安になったのもある。
骨折した肩の手術を終えた母が、そのままリハビリ施設に転院するというので
様子を見に行きたいのもある。

父は娘たちのことを理解しているようなのだけれど
自分の世界に飛んでいることも多くて、辻褄があわない話になってしまう。
それが、妹が行ったとき、
「寒い中を来てくれてありがとう。よかったなあ、来てくれて」
と言い、
妹が、仕事があるから帰るよ、と言うと
「気を付けてな。元気に仕事頑張って」
「また来るよ」
「うん、今度はいつ会えるかわからないけどな」

まるで、まったくしっかりしていたころの父のようなのだ。

医者によれば、老衰の末期だということで、
点滴も食事もやめて、あとは生命力だけなのだそうだ。

突然、仕事を休んでフライトを取っていくのは簡単じゃないけれど
やってできないこともない。
9月に会ったとき、これが最後だと思っていたけれど
やっぱりもう一度、父に会いたい。
行こうと思えば行けるのに、行かなかったら、きっと後悔する。
夫も、一緒に行くという。
クリスマス前にはハワイに戻ってくる。
たった10日間ではあるけれど、砂漠の砂ほどにあるように思える、
父や母に話したい事、聞きたいことのいくらかでも話せるといいなと思う。