石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

コスモスさんの東日本大震災被災体験

2014年09月21日 | 紹介

 

 前回は、門脇にお住いのオリーブさんの津波体験をお伝えしました。

 今回は、蛇田にお住まいで、あの日の地震の時に門脇にいらしたコスモスさんの体験を紹介します。

 上の写真は、門脇から蛇田の方向に続く道路です。道路の右側が海に続く土地であり、左側が山側になっています。写真は震災後のものですが、地震直後はこの道路が車で渋滞していたのだと思います。

 それでは以下に、コスモスさんの体験を紹介します。

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東日本大震災被災体験          

                                                                                 2014年08月07日

    

 3月11日、あの地震が起きたとき、私は門脇町にあるパソコン教室にいました。長くて大きな揺れが続き、これは津波が来る!と直感的に思いました。パソコン教室の先生も、これはただごとではないと思ったのでしょう、すぐ家に帰るよう促してくれましたので、急ぎ帰り支度をしました。

 外に出たら、パソコン教室の先生のご主人が、落ちた屋根瓦をほうきではいて集めていました。屋根瓦が落ちるほどの地震の強さだったのです。あのあとご主人は、屋根に上がって瓦の落ちたところを修繕しようとされたのでしょうか。あとから知人に聞いたところでは、ご主人が屋根の上に取り残されて屋根ごと流されていくのを見た人がいたというのです。そしてそのあとの消息はないということでした。

「足元気をつけてね」と言って送ってくださったのが最後になりました。その教室で指導の補助をしていた先生も亡くなられました。なんとも痛ましいことです。

 私はと言いますと、車で来ていたので、急いで運転して蛇田の自宅に向かいました。

 石巻の旧市内は、日和山をはじめとする小高い丘が、細長く海岸に沿うように連なるその周りと北上川を挟んだ両岸に発達していました。その山の上が文教地区であり住宅地区でもあり、商業地区はその山の周りを回る道路に沿って発達してきましたので、人は山を回るメインの通りを通ろうとするのかもしれません。

 メインの道路は車が渋滞してほとんど動きませんでした。津波が来るので高台に逃げるように、避難を促す市の防災放送が何度も流れているのに、不思議なことに、皆、山を回り込む道路を通ろうとして、山に上ろうとする車がいないのです。車の中にいるということは、妙な安心感があるのかもしれません。ラジオはすでに津波が他地域に到達していて、鮎川何メートルとか言っているのに。

 私はラジオを聞いて、電柱を見上げて目測してみました。「1,2……、わあ、こんな車の高さじゃない……」

 私は津波がすぐそばまで来ていることを知って、車線変更のためあわてて何度もハンドルを切って、水道坂(浄水場へ通じる坂)を上りました。ほかの車の人たちだって、同じ防災放送もラジオも聞いているはずなのに、そしてその坂の上には避難所に指定さている門脇中学校(通称門中)も石巻中学校もあるのに、どうしたことか高台に上ろうとしないのです。

 私はすぐに目的地に着きました。仕事で何度も来ている山の上の法務合同庁舎の駐車場です。ここに車を置かせてもらって坂を下りて行くと、坂の中腹のホスピタルこだまの近くまで津波が押し寄せていて、そこからが海だといわんばかりにきらきら光っていました。 

 渋滞して止まっていた車はことごとく流されてしまっていました。そのときどれくらいの人が車を捨てて逃げ出して助かったでしょうか。私はわかりません。

 私はこれでは家に帰れないと悟って、また合同庁舎に戻ることにしました。途中、トイレを借りようと門中に寄ると、避難してきた人、人、人であふれていました。トイレも長い行列ができていたので、これはダメだと諦めて、法務合同庁舎に戻りました。合同庁舎は避難所になっていないけれど、職員の方が、開放すると言ってくださったので、私は家族と再会するまでの4日間をここで過ごしました。

 ここに避難できたことは、ほかの方に比べれば大変幸運なことでした。職員の方が部屋の真ん中にストーブを置いてくれ、各人にそれぞれ毛布を用意してくれました。食事として小さな乾パン2個をもらい、その晩は避難してきた20人くらいの人たちと過ごしました。

 あとで聞いたところでは、避難所に指定されていた門中では、近くのお豆腐屋さんが寄付してくれた油揚げを、1枚を7人で食べるように言われてそうしたとか。たくさんの人が避難したので、寒さもトイレも食事も大変な状況を強いられたとのことでした。

 私たちと一緒に合同庁舎に避難していたご夫婦がいました。2人で避難所に向かう途中、坂の下のコンビニに車を止めているときに津波に巻き込まれたそうです。奥さんは、片手に持っていたかばんは流れてしまったけれども、もう片方の手に持っていた傘の柄がフェンスにひっかかって流されなかったというのです。泳いで上に上がって、坂の上にある友達の家で乾いた服を借りて着て、今度はご主人を探そうと下りて行ったところで、偶然とぼとぼと歩いてきたご主人と再会したそうです。

 また、おばあさんに2人のお子さんを預けたという、大曲に自宅のある女性がいました。地震後に携帯で一言お子さんと話しただけで、その後どうなったかわからないと心配で泣いているのを、周りのみんなが勇気づけていました。

 翌朝、合同庁舎の職員の方から、ここは避難所に指定されていないので中学校へ移るように言われました。

 そのとき、避難者の中に、たまたま義父の葬儀で石巻に来て葬儀のさなかに被災されたという農林水産省のお役人がいました。喪服のその方が、誰の指示でそう言うのか、こういう非常時に指定の避難所でなくても避難所が足りないのだから国や自治体の施設を使って対処すべきだと、市と掛け合ってくれて、避難者はそこに居ていいことになりました。

 それは水戸黄門のドラマのような、ちょっと胸のすくような場面でした。「誰に言われてこの人たちを追い出すのか。君たちはこの人たちの納税で食べているんだぞ」なんて、何事も縦割り意識で考える地方公務員と、国の大事と考える副大臣秘書官だという霞が関の官僚のやり取りが、見ていて対照的でした。その方は、机の置き方から、水を大街道浄水場(通称水道局)まで交代でもらいにいく手配とか、私たちにてきぱきと指示し、市と交渉しにも行ってくれました。

 4日目、同じ大街道の方が帰るというので、私はその方の車に乗せてもらって帰ることにしました。途中、大街道の道は流された車数台が折り重なり、だんご状になっていました。進めなくなったところで知人の家にその車を置かせてもらって歩きました。 

 今回の地震と津波で、私の家も家族も無事でしたが、多くの知人を亡くしました。

 今、E・Aさんが月1、2回仮設住宅の集会室で開いている手芸の会に一緒に参加させていただいています。みんなで集まって何かすることは、気が晴れますし元気になります。できることをささやかにさせていただいていることに、心より感謝しております。

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 コスモスさんが、避難中に考えていたことが書かれていて、考えさせられました。

どうして他の大多数の人たちはすぐに山の方に逃げようと思わなかったのでしょうか?

 その私の問いにコスモスさんは、答えてくれました。コスモスさんの親御さんは、桃浦(海岸地帯)出身であり、叔父さん叔母さん等親戚の方がたくさんおいでになり、チリ地震津波等も経験していて、「地震がきたらすぐ津波が来るから高台に逃げる」ということをよく聞いていたのだそうです。そのことが、避難の明暗を分けたのかもしれません。

「今は関係ないから、、」という発想ではなく、私たちは過去からも他の人たちの言葉にも耳を傾けながら未来を考えることが大切なのだと思わせられました。

 また、偶然災害現場に遭遇してしまった、霞が関のお役人の方の現実的な対応には、今後現場の役所の方々にも見習って対応を考えてほしいものです。

 コスモスさん、貴重な体験をお知らせくださってありがとうございます。被災地以外では、日ごとに風化していきそうな震災の記憶が改めて甦ってきます。

 体験を伝えることは、未来に向けてできるとても重要なことですよね。

 また、コスモスさんたちが集って、作った小物等は震災直後に支援をしてくださった海外の方々にお礼として送られていることを付け加えたいと思います。

  

  金華山の道標の向こうで車のそばにいるコスモスさんです。


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3 コメント

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とっさの時の行動  (まつぼっくり)
2014-09-26 16:53:50
 昔、友達が自宅で寝ている時に近所で火事が起きましただんだん燃え広がり自分も避難しようと外に出たそうです。しばらく外で様子を見ている内にほぼ消し止められて、ほっとして自分がしっかり抱えている物を見ると枕だったのよと笑って話したことがありました
 いざという時には、普通は動転してしまい普段ならできる正しい判断ができなくなる傾向があるのかもしれません
 そんな時自分を動かすのは、事前の経験だったりよく聞いていたお話だったりするのかもしれません。
 私もやはり避難の練習をしておいた方が良いような気がしてきました
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勇気がいるよねえ (どんぐり)
2014-09-25 22:08:48
大街道のスーパーから石巻駅へタクシーに乗ったとき、運転手さんが「三角茶屋のところが渋滞するので、水道坂を上って行きます」と言いました。
私は山に上って下りたら、だいぶ遠回りだろうと思って、「えーっ」と不満げに叫びました。
でもプロにまかせるよりほかないと、おまかせしたら、スムーズに着いたので驚きました。
平面を車で走っていると、頭の中では、あと何分かで手に取るような近くに駅が見えるような気がするんですよねえ。
わざわざ遠回りすることないだろうと思っちゃうんですよねえ。
危機を感じて行動を変えるスイッチを入れ直すのって、とても勇気のいることだと思うのです。コスモスさんと違って、私は自信ないなあ。

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冷静沈着なコスモスさん!! (クローバー)
2014-09-22 14:48:25
 以前にもお話を伺いましたが、コスモスさんの冷静な行動には頭が下がります。私だったらどうなっていただろうと思います。
 お役人のお話は初耳ですが、そういうドラマチック(今だから言える)なことってあるんですね。昨今いろいろありますが、お役人も捨てたものではないですね。
 その後、いろいろ活動されていること陰乍ら応援しています。本当に陰乍らでごめんなさい。
 

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