こんな富士山もいい。雲に紛れたうっすら富士。
柔らかい光とうつろな影。まるで存在自体の意図するもののよう。
地学的、科学的、物理的などなど 理解の手法はある。
それを超えて、対象を自らの感情に沿うように理解しようとする。
それが正しいとか正しくないとかでなく、もはや好き嫌いの域。
くっきりすっきりも好きだし、もんやりぼんやりも好き。
つまり、この山の存在そのものに惹かれている。
そしてそれは記憶のかけらでかたちづくられたもの。
たまたま共感する人が多いと、名・秀・逸などの冠詞がつくのかな。
共感を得られるものと心事て「秀景」としよう。