インスタレーション ? それともオブジェ ?
呼び方はどうでもいいか。
葉っぱの乾いた竹と、もしゃもしゃの枯れ草と提灯と折り鶴。
乾燥した大地に赤と白が生き生きしてる のかな ?
正直 難解。それもいいか。
「ザ・ニッポン」という感じがしないこともない。(渋々言ってる)
なんだろう と心が動くこと自体をよしとする、と坂本先生に教わった。
確かに なんだろうと3回くらい言った。
インスタレーション ? それともオブジェ ?
呼び方はどうでもいいか。
葉っぱの乾いた竹と、もしゃもしゃの枯れ草と提灯と折り鶴。
乾燥した大地に赤と白が生き生きしてる のかな ?
正直 難解。それもいいか。
「ザ・ニッポン」という感じがしないこともない。(渋々言ってる)
なんだろう と心が動くこと自体をよしとする、と坂本先生に教わった。
確かに なんだろうと3回くらい言った。
「坂本先生と言えば南蛮美術」という声はよく聞く。
確かに、自分も「南蛮美術」とは何かを最初に聞いたのは坂本先生だった。
「日本美術史も東洋美術史も西洋美術史も、誰かがやっています。
南蛮美術はそれらが全て関わっているんですね。それをやって
いる人がいなかったんです。私のは逃げ回る美術史なんですよ」
と笑いながら話されたのは印象的だった。
交流で生まれたものを理解するには、交流する全てを知らなくてはならない。
そんな大変なことは やりたくない人の方が多い。難しすぎる。
坂本先生の「逃げ回る美術史」という意味を理解するのに、何年もかかった。
奇妙な外観のお堂。これ自体が「西国三十三観音」に相応するらしい。
栄螺(巻貝のサザエ)のような構造のお堂があるだけで楽しい。
その中をぐるぐる登って降りるとご利益が得られるならなおありがたい。
サクロモンテの導入話として示された一例。
「サクロモンテ」という言葉は、坂本先生から聞いたのが初だった。
それまで美術史の中で出会ったことはなかった。
王道の美術史からは離れた庶民の遊び場のような感覚で受け止められていたらしい。
そこに注目するという視点は この本の題名にある「外側」にあたる。
坂本先生のお話を伺っていると こうした視点をたくさん持つことができるようになる。
そんな楽しい話、放って置けない と、美術史音痴の自分は思ったのだった。
これも片付けのおまけ。なんと15年前のもの。2回行ったような気もする。
等伯の「松林図屏風」は、とんでもない迫力だった。
まず、大きさに驚く。幽幻の松林は 室内の明るさを控えて、ますますその深淵さを見せていた。
屏風は紙の経年変化でより薄暗い林間の気配があった。
これが 畳の大広間に広がっていることを想像すると、その企画に拍手したい。
障壁画は部屋の演出の主役。座る場所で見え方はどう変わるのだろう。
妄想するしかないなぁ。
何気なく、パラパラページを捲っていて、巻末の「参考文献」に目が留まった。
200冊以上の表題・著{訳)者名・出版年が並んでるなかに、懐かしい名前があった。
学生時代に専攻した「美術」の教授だ。あの先生の本だったのか。
階段教室で、ノートも取らずにただぼんやり聞いていた。
当時は「西洋美術史」に全く興味がなかった。「史」がつくものは苦手と決めていた。
その後、かろうじて仏教美術を通して東洋美術史に触れた。
さらに何十年後、坂本先生の西洋美術史に出会う。
学生時代にぼんやり聞いていたことが、確信となっていたのか。
いつの間にか、階段教室にいる気分になっていた。