*赤ちゃんとシマリス生活*

高校受験生の娘と、犬を飼いたくて仕方がない小3息子、可愛くて凶暴なシマリスのぽな5歳との賑やかな日々を綴っています。

2017年11月08日 | 家族

この話は書かないままでおこうかなとも思いましたが、このブログには、
大好きなシマリスと暮らし始めた新婚時代から、今の4人家族になるまでの
家族の思い出を書き綴ってきたので、やはり書き残しておこうと思います。


今年の3月に入ってから、両手にびっしり強い痒みを伴う湿疹のようなものが
出て、皮膚科に行っても原因がわからず、薬を塗ってもほとんど良くならず、
激しい痒みでほとんど眠れない辛い日々が続きました・・・

さらに、毎日夜になると、何となく気持ちが悪くなることが続いていたの
ですが、娘を出産してから息子を妊娠するまでの6年間、一度も月経がなく、
息子を出産後も、1年半ぐらい経った頃から数ヶ月に1回月経が来るように
なったものの、月経不順が続いていたので、ある訳ないと思うけど念のため・・
というぐらいの気持ちで、3月20日に妊娠検査薬で検査したところ、見事に
陽性でした・・・

あまりにも予期していなかった事態に動揺した私は、思わずベランダにいた
夫に大声で「どうしよう妊娠してた」と報告してしまいました、、>_<

当然、私の大人げない言動のせいで、子供達も妊娠を知り、娘はとても
喜んでいましたが、私は手放しには喜べませんでした。

というのも、高齢出産になる上、娘も息子も、私に持病がある為、ハイリスク
出産だったので、3人目の妊娠も色々とトラブルを抱えることになるかも
知れないという不安が大きかったからです、、

また、息子が生まれると同時に転職した夫は、大阪、東京、神奈川、静岡、
和歌山、広島、、と、出張続きというより、ここ1年以上、ほぼ単身赴任状態でした。
休みも毎月3〜4日しかなく、ほとんど家族バラバラで過ごしてきました。

今では息子も3歳7ヶ月になり、食事こそ、いまだに毎食食べさせないと、
全く手を付けませんが(゚∀゚)、おむつも外れ、1年早く幼稚園にも行っているので、
随分育児も楽になりましたが、
妊娠が発覚した時は、イヤイヤ期や一日中抱っこ!抱っこ!!の日々で、娘も
学校なんて行きたくない!!宿題もやりたくない!友達関係がうまく行かない、、
等など、、泣いたり怒ったり落ち込んだり、、で、毎日家事と2人の育児でぐったり
でした、、


長らく原因不明の無月経で悩み苦しみ、妊娠なんて夢のまた夢だった私。
奇跡的に息子を授かってからは、周りの景色も明るく輝いて見え、私の
人生に再び光が差し込みました。
授かる順番で命のありがたみが異なるなんて、決して許されないのに、、
と思いながらも、なかなか前向きに捉えることが出来ませんでした


その一方で、息子の誕生は、家族みんなで迎えたいと思い、家族立会い
出産ができる病院を受診したのに、息子に胞状奇胎の疑いがあり、やむなく
大学病院で出産することになったという、残念な経験があるので、
今度こそ!娘や息子に、あなた達もこんな風に生まれてきたんだよと教えて
あげたい!!と思い、家族で立会い出産&入院ができる、人気のクリニック
を受診することに決めました。

初診では待ち時間が2時間以上、全てが終了するまでに4時間近くかかり、
真新しいおもちゃで楽しそうに遊んでいた息子もさすがに疲れ、さらに
診察室で「これが赤ちゃんが入っている袋です。おめでとうございます。」
と言われたのを聞いたからか、息子の愚図りや甘えも酷くなり、

その日は、雨が降っていたのですが、傘を自分で差したいけどうまく差せない!
抱っこ抱っこ〜と暴れる息子を抱っこしながら傘を差して
歩いて帰るのが、とても大変だったのを覚えています(>_<)
これで下が生まれたら、一体どうなるんだろう、、と思いました、、





3月21日の受診時に6週6日と言われ、心拍もはっきりと確認できました。


その日から毎日、妊娠性痒疹(↑結局湿疹は妊娠によるものでした)と日に日に
辛くなるつわりと闘いながら、もし障害のある子どもだったら育てていけるのかと
いうことや、もし息子の時のように重症悪阻で入院することになったり、切迫流早産
になったら、まだ2歳だった息子をどこに預けるのかなど、、夫と時にぶつかり合い
ながら話し合っていました。

2人目の弟か待ち望んだ妹ができたとわかった娘は、ワクワクしながら、男女それぞれの
名前をあれこれ考えてくれました(о´∀`о)


そして、家族皆で話し合った結果、、

年明けに、家族で星空を見に行った際、満天の星の中でひと際目立っていたプレアデス
星団(すばる)から、『昴(すばる)』という名前にしようと決めました。

プレアデス星団は娘の星座でもある牡牛座の中にあるもんね〜
仲良しになれそうだね(o^^o)なんて話していました。



そして、4月6日、息子の3歳の誕生日が、ちょうど診察の日でした。

最寄駅で電車を降りる際、「赤ちゃん生きてるかな〜(o^^o)見るの初めて
だから楽しみっ」とはしゃぐ娘とは対照的に、まだ見ぬ赤ちゃんに早くも
嫉妬していた息子は、「あかちゃん、しんじゃってほしい」と衝撃的な
ひと言を放っていました、、

そういえば、この少し前に、娘の小学校で命をテーマにした授業参観が
行われた時に、私が赤ちゃんの人形を抱っこするのを嫌がって、
「あかちゃんなんて、あっちいけ!っていっちゃう。だって、いっくん
まだあかちゃんだから、だっこして〜ってないちゃう」と言っていました


息子の妊娠中は、平日大学病院に通っていたので、お腹にいる息子を
ほとんど見る機会がなかった娘
春休み中の娘にも是非すばるを見せてあげよう(^^)今後もなるべく娘に
赤ちゃんの成長を見せてあげられる診察日を選んで行こう。
妊娠してからこれまでは、赤ちゃん返りする息子と妊娠性痒疹とつわりで
お腹の赤ちゃんのことを想う余裕がなかったけれど、もうすぐ息子が
入園したら、一人の時間は赤ちゃんのことをいっぱい考えてあげよう。
まだ気が早いけど、胎動が始まったら、たくさん話しかけて、あなたが
生まれてくるのを楽しみにしてるよ。大切に育てるからね〜って伝えて
あげたいなぁ(о´∀`о)
息子を1年早く入園させることにずっと躊躇いを感じていたけど、きっと
これが最良の選択だったんだ(o^^o)
なんて考えながら、プレイルームで同じく2人のお子さんを遊ばせている
お腹の大きなお母さんを見て、私も3人のお母さんになるんだぁ(о´∀`о)
まだまだ実感は沸かないけど、ますます頑張らなきゃなぁとワクワクした
気持ちにもなっていました。



子供達と診察室に入って、内診台に上がってエコー画面を見ると、前回は
元気にピコピコ動いていた心臓が今日は動いていないような、、先生も
何も言わずに念入りに画面を見ていました。

9週に入ったばかりと思われる赤ちゃんは、お腹の中で亡くなっていました。

まだつわりも手の痒みもあるのに、、自分の身に起こっている流産という
出来事をなかなか受け入れられず、まさに頭が真っ白という状態でした。

娘は診察室の壁に顔を埋めて声を押し殺して泣いていました。
その後も、拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる涙を必死に隠そうと
している娘と、なぜか突然酷くなったつわりに耐えながら、会計に呼ばれる
まで、幸せそうなお腹の大きな妊婦さんや健診に来た小さな小さな可愛い
赤ちゃんに囲まれて過ごすのが、とても辛かったです、、


夫に流産のことを話していると、急に実感がわいてきて、思えば、短い
妊娠期間だったけれど、赤ちゃんが来てくれたことをあまり祝福して
あげられていなかったな、ごめんね、ごめんね、、と初めて涙が溢れて
きました。
私が「短い間だったけど、5人家族になる夢を見させてくれたね。」と
言うと、「現実もね。」と夫に言われましたが
今まで3人目がいてもいいんじゃない?!なんて軽い調子で度々口にして
いた夫も、真剣に向き合う機会になったかな、、

その後、術前の検査で引っかかり、流産の診断を受けてから手術を受ける
まで2週間もかかりましたが、自然に出てくることはなかったので、
全身麻酔で手術を受けました。


赤ちゃんの誕生を一番楽しみにしていてくれた娘に、昴の名前で、
最後に手紙を書きました。
娘は、まだ何もわからない昴がお絵描きできるように、一本一本に
これはみどりいろだよという風に、色の名前や説明を書いた紙を
テープで巻きつけたカラフルなペンのセットや便箋などをプレゼント
してくれました。

娘は今でも、今頃お腹が大きくなってたんだろうな、そろそろ
生まれる頃かな、、などと、名残惜しそうにしています。


今日が出産予定日だった昴。

こんなにあなたを想ってくれるお姉ちゃんと、まだまだ赤ちゃんみたい
だけど、「もう いっくん おにいちゃんだもん!」って言いながら、
毎日幼稚園で頑張ってるお兄ちゃんを、あなたの分まで大切に育てて
いきます。


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