目黒重夫昨日・今日・明日

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南相馬市小高区、避難指示解除へ

2016-05-16 12:06:52 | 震災・原発
町は再生するのだろうか
福島第1原発から20キロ圏内だった南相馬市小高区。政府は7月にも避難指示を解除するという。小高は私が高校時代通い続けた思いで多い町だ。卒業から40数年が過ぎあの事故が起きた。私が小高に入ったのは、事故から2年経った4月だった。その時の母校の様子を記した報告があるので一部を紹介する。

 私は福島県立小高工高を卒業した。当時は小高町だったが現在は合併で南相馬市小高区となっている。原発事故で小高区は20キロ圏内だったため、全地域が警戒区域となり立ち入りができなくなった。昨年4月、避難指示区域の再編により立ち入り禁止は解除され、日中のみ帰宅が可能となった。小高工業生はこの間、サテライト授業としていくつかの学校を間借りし授業を続けてきた。このほど原町区に仮設校舎が完成、全校生徒が揃うことになった。しかし「生徒は激減、寂しい限り」との同窓会からの便りを受けていた。
 小高の町中に入っても歩いている人はない。人と言えば道路工事の作業員の姿だけ。掘削機の音が無人のまちに響いている。駅まで車を走らせた。道路の両側には地震で崩れたままの家屋が手つかずのままになっている。駅舎は高校時代のまま残っていたが、原発近くの常磐線は不通のまま。入り口は固く閉ざされていた。駅から学校まで約1.5キロある。昔の通学時を思い出しながらゆっくり車を走らす。駅前通りのほころびだした桜が淋しく目に映る。学校が見えてきた。校門まで緩やかな坂が続き、右下に野球グラウンドがある。事故がなければ、野球部員たちが駆け回っていただろうグラウンドは、一面枯れた雑草に覆われている。校舎は地震の被害もなく、しっかり昔のたたずまいを見せていた。しかし校舎の中庭と陸上グランドは野球場同様、荒れ果てていた。時が止まったような校舎、グランド。こんな形で母校を訪れるとは…。


 17年度から小高区で小・中学校が開校する予定とのことだが、いま、多くの父母は苦渋の判断を求められているという。小高の再生はいつになるのだろうか。
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