目黒重夫昨日・今日・明日

周囲の出来事を思いつくまま

3・11から4年

2015-03-09 14:14:39 | 震災・原発
復興はいつになったら
(震災2か月後の新地駅) 明後日で東日本大震災、福島原発事故から4年になる。私が故郷(福島県新地町)の惨状を目にしたのは、約2か月後の連休だった。海岸から1キロ近くまでの家は土台を残しすべて流されていた。根こそぎはぎ取られた防風林、めくれ上がった線路や砕けた防潮堤。自然の恐ろしさに言葉が出なかったことが想い出される。「復興」が叫ばれ、新地駅は山よりに移動して工事が続いている。常磐自動車道は、先日全線開通し、私の実家のそばにはインターチェンジができた。国道6号線はすでに昨年9月に開通している。しかし原発付近は線量が高く、風評を避けるため輸送トラックは今も迂回しているとのことだ。
インフラの復興は進んでいるように見えるのだが、いまだに多くの仮設住宅暮らしが続いている。原発事故被災者はさらに深刻だ。まったく先の見通しが立たないからだ。先日、たまたまテレビを見ていたら安倍首相が出てきた。なんと南相馬市を訪れ私の母校、小高工業高校の卒業式に出たというのだ。
南相馬市小高区は原発事故で全域が警戒区域になり立ち入りができなくなった。1昨年ようやく解除になった折、私は母校を訪れた。グラウンド、野球場は荒れ放題となっていた。生徒はばらばらになり他の学校を間借りしていたが、その後仮校舎で授業ができるようになった。その仮校舎の卒業式に、原発再稼働を進める首相が出席し、「幸運は苦労に宿る。必ず大輪の花を咲かせてくれると確信しています」とエールを送った、というのだ。しかし今の「苦労」は政府や東電の安全神話がもたらしたものだ。「汚染水は完全にコントロールされている」発言など、無責任、無反省そのものである。
コメント
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