休日を利用して、写真美術館で「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」と山種美術館で「福田平八郎 日本がモダン」を見に出かけた。いづれも恵比寿駅から近い。山種美術館ははじめて訪れたように思う。
はじめに川内倫子展であったが、残念ながらこれはちょっと私の好みではなかった。対象に肉薄しようという迫力が感じられなかった。若い世代に人気がある、とのことであったが、日常の光景の切り取り、瞬間瞬間の目に映る光景をこんなにも脈絡なくたくさん、ひたすら表面をなぞるように追いかけるエネルギーには脱帽しつつも、一つの事象、一つの対象へのこだわりがまったく感じられなかった。日常の表面を追い掛け回し、それでおしまい、という底の浅さばかりが目に付いた。
確かに若い人が多く見にきてそれなりに盛況ではあった。ある山焼きの模様を追いかけたシリーズが今年の作品としてあった。このようなシリーズが積み重ねられる必要がありそうだ。それでも一貫したモチーフを獲得するにはまだまだ大きな溝があるような気がする。
写真というよりも、動画の比重が大きく、またそのほうがこの人には適したツールなのかもしれない。
次にのんびり広尾界隈の坂を上り山種美術館を訪れた。福田平八郎展についてはNHKの日曜美術館で取り上げられたこともあるからか、
かなりの盛況であった。
「筍」「漣」「牡丹」などは確かに人をひきつけるものがある。デザイン的で色彩も構図もリズミカルな画面は今でも斬新さを失わないと思われる。そしていかにも対象をとことん見極めようとした姿勢が見るものを惹きつける。
残念ながらお目当てのひとつ「雨」は後期展示のため見ることができなかった。ごらんのようにチラシはこの「雨」をメインに作られており、何かだまされたような気がした。
同時代の作家の作品もそれぞれに個性が見られた。私が惹かれたのは横山操の「滝」と言う作品であった。写真にでも撮っておきたかったが、それは許されないので諦めた。こんど見る機会があるだろうか。
はじめに川内倫子展であったが、残念ながらこれはちょっと私の好みではなかった。対象に肉薄しようという迫力が感じられなかった。若い世代に人気がある、とのことであったが、日常の光景の切り取り、瞬間瞬間の目に映る光景をこんなにも脈絡なくたくさん、ひたすら表面をなぞるように追いかけるエネルギーには脱帽しつつも、一つの事象、一つの対象へのこだわりがまったく感じられなかった。日常の表面を追い掛け回し、それでおしまい、という底の浅さばかりが目に付いた。
確かに若い人が多く見にきてそれなりに盛況ではあった。ある山焼きの模様を追いかけたシリーズが今年の作品としてあった。このようなシリーズが積み重ねられる必要がありそうだ。それでも一貫したモチーフを獲得するにはまだまだ大きな溝があるような気がする。
写真というよりも、動画の比重が大きく、またそのほうがこの人には適したツールなのかもしれない。
次にのんびり広尾界隈の坂を上り山種美術館を訪れた。福田平八郎展についてはNHKの日曜美術館で取り上げられたこともあるからか、
かなりの盛況であった。
「筍」「漣」「牡丹」などは確かに人をひきつけるものがある。デザイン的で色彩も構図もリズミカルな画面は今でも斬新さを失わないと思われる。そしていかにも対象をとことん見極めようとした姿勢が見るものを惹きつける。
残念ながらお目当てのひとつ「雨」は後期展示のため見ることができなかった。ごらんのようにチラシはこの「雨」をメインに作られており、何かだまされたような気がした。
同時代の作家の作品もそれぞれに個性が見られた。私が惹かれたのは横山操の「滝」と言う作品であった。写真にでも撮っておきたかったが、それは許されないので諦めた。こんど見る機会があるだろうか。