21時過ぎにお風呂に入った。いつもは0時過ぎに入る。早めに入った理由は特にない。
電気を消して、プラタナスの落ち葉が風によってかすかな音を立てながら道路を動くる音を聞いていた。風が弱いので、ヨタヨタと移動しているようだ。遠くから近づいてくる音、遠ざかっていく音、幹から落ちてきたのか、芝生の上に落ちていた枯れ葉が路面に落ちたのか、ある地点で急に音が始まるのは不思議である。
プラタナスの葉は大きいので、一枚一枚の挙動が静かな正月の夜によく響く。一枚一枚の葉にドラマが仕掛けられている。そんな想像もまた楽しい。
小学生の時にもそのようなことがあり、子どものくせに長湯などするな、とよく怒られた。急いで出ると「どこを洗ってきた」と怒られ、いつもオロオロしていたこともある。
しかしどちらかというと、湯船につかって外の様子を、音で探っているときのほうが多かったと記憶している。近所の人の歩く音、雨の音、近くの水路を流れる水の音、近所の犬の鳴き声‥どれもが想像をたくましくしてくれた。
子どもというのは大人が考えているよりも、外界刺激をきちんと自分なりに受け止めて、さまざまな思いや想像を豊かに育んでいるものである。その芽を大切にしなくてはいけないと思う。自分の子どもに対して、そのようにふるまえたか、まったく自信はない。
お風呂は感受性を育む。お風呂は沈思黙考に適している。
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