月齢11の寝待月を見ながら夜のウォーキング。月の右(西側)にはおうし座のアルデバランが月の光に負けじとかろうじて輝いている。距離65光年ほどの赤色巨星で、肉眼では橙色に見える美しい星である。
星や月を眺めながらのウォーキングはつまずきのもとであるが、どうしてもやめられない。
現役時代は道路管理の仕事なので、年に一度は歩いての道路パトロールをするだけでなく、常に路面の状態ばかりを見て歩いた。
しかし今は、それも気になるが同時に昔のように空が気になる。昼間は雲を見るのが面白い。夜は月と星と、そしてやはり雲の動きや色合いもまた楽しみのひとつである。
人の目には無秩序に見え、非周期性のように見えるのがいい。人間の目にすぐに周期性がわかってしまえばそれはとてもつまらない。振り子時計の振り子や、二重振り子を見ていてすぐに飽きてしまうのと同じである。予想からずれる運動、予測できない動きというのが、人にいろいろなインパクトを与えてくれる。感情の入り込む隙も余地もある。
周期性が力学的に解明されてしまうと、それはつまらなくなり、新たな動きの解明に向かおうとするのが、知識欲・探求欲なのだろう。
こんなことを考えながら上を見て歩いていると、間違いなく石や段差や階段でつまずいたり、よろけてしまう。まして深夜の暗い道は当たり前である。
本日も歩道と車道の段差に足をとられそうになった。自動車がその時にそばを通っていなくてよかった。だが、年寄りの私はスマホ歩きをしている人よりは、周囲を気にしていると自負はしている。この自負が怪我の原因になるかもしれないが‥。