

緑の箒の図が「箒に狗子図」、水墨画の方が「仔犬に箒図」。ともに作品の描かれた年の特定は出来ていないようである。
「若冲と蕪村展」(2015年、サントリー美術館)の図録より。
まず私は水墨画の方を見て、不思議な作品だと思った。ケチをつけるつもりはないが、立体感がおかしい。仔犬の後ろ脚とお尻に注目してほしい。お尻を持ち上げている。そして頭は箒の上に載せている。載せているからには頭は箒の棕梠の先を地面に敷く感じでなければならない。しかし棕梠が折り曲げられて地面に敷かれているようには見えない。箒の棕梠が向かって左だけ異様に長い。
それは彩色画の方の狗子の方の作品についても云える。水墨画よりは姿勢はおかしくないし、立体感も下に敷いている棕梠の部分を除けばそれほど違和感はない。それでも箒の左だけが異様に長い。
若冲の作品にしてはそのような立体感の違和が強すぎると思って、敬遠してきた。今も思いは変わらない。
解説によると、彩色画の棕梠箒と仔犬の取り合わせは、箒=帚(ははき)から「はは=母」に掛けて、母に寄り添う仔犬の安心しきった様をあらわしているとのことである。賛はそれに基づいて「そへさする はゝきなるかや おそはれす いぬの子いぬの子 よくねいりたり」という狂歌であるとのこと。
一方水墨画の方の箒は、同じ棕梠箒であるが、古来の伝統により寒山を連想させるものとして使われ、狗子は「狗子無仏性説」に基づく題材として解説されている。その当否は分らないが、賛はそれに基づくものであるらしい。「狗子無仏性説」はネットでいろいろ調べたが、私の頭では理解できない議論であるし、作品との関連もよく理解できない。
しかしそのようなこととは別に現代の私たちはこの作品からどのような感銘を受けるのだろうか。「可愛い」というだけのものであればそのようなものはいくらでもある。しかも「可愛い」という価値は私にとっては理解できない範疇にある。仔犬の表情は彩色画の方は後ろ向きであり、水墨画の方は現実の犬からは程遠い。ふっくらとした体形は現実感がない。
気にはなるが、それが何に由来するものなのか、このような絵画の感銘の根拠は何なのか、いつもわからないまま、頭から離れない作品であることだけは確かである。このような作品は他の画家にもいくつもあるが、若冲だからこそ、この種の作品を描いたことが気にかかる。
私の感銘や感覚の在り方が多くの方と交わらないところが多々あることに、いつも私は引け目を感じて生きてきた。そのことがいつも私の頭の片隅に消えることなく居座っている。
絵の感じ方は、その人の心の中を表しているなんて言われるから、よけいに・・・ この母の目を怖いと感じてしまう私の心の中って、どういう心理状態? と思ってちょっと落ち込み気味でしたが(笑)、同じように感じる方が、一人増え、二人増えると私だけじゃない!と安心したり・・・・
箒と犬も、若冲を初めて見た中にあり、変な絵。ガウチョパンツの女の子が、「お前邪魔!」と言って蹴とばしている図にしか見えず・・・(笑) 箒と犬に何の意味があるのか・・・と思っていました。
「安心しきった犬」だったという解説を知り、「蹴とばされそうな犬」と感じる私の心は、犬を蹴とばしたい心境だってこと?(笑)
そしてその美術館では、かつて「Kawaii 日本美術」という展示をしていたことを知って、なんでもかんでも「かわいい」としか言えない風潮はいかがなものかと思っていたのですが、美術館もそれに便乗するライトな時代なんだ・・・と思ったことを思い出しました。
わたしも少しホッとしました。
美術館も経営である以上人を惹きつけないといけないのでしょうが、少々悪乗りしすぎの企画や宣伝の仕方もあるように感じます。
水墨画の方、仔犬の目が怖いというか怯えている目に見えないこともない。そうするとご指摘の通り「蹴飛ばされそうな犬」というのは当たっているのかもしれないですね。
怯えて母犬に寄り添うように箒に寄って、身構えている姿勢。
これはなかなか的を射ているのではないでしょうか。
なるほど!
これは勉強になります。
いろいろご指摘ありがとうございます。
これらもご指摘、ご意見をよろしくお願いいたします。
こちらの水墨画は、初めて見るのですが、やはり、この犬、変・・・・(笑) 振り向く体のひねりが不自然。描写力にすぐれたと言われる若冲は、あえてこのように描いたのか・・・ そしてこれまた全然、かわいくないんですけど(笑)
水墨画の犬は、私は怖いと思いました。今にもとびかかってきそうな臨戦態勢。と思ったところで、犬の前足部分の描かれ方から、日光の眠り猫を彷彿とさせらられました。遠くで見ると前足が見えず、眠っているように見えるけど、近づくとと、手が見えて踏ん張っていて、いつでも飛びかかれる状態だと言います。この犬の前足がその状態に見えます。そして後ろ足の踏ん張りも、いつでもとびかかれるスタンバイ状態と考えたら辻褄が合う(笑)
一見、かわいくみせかけて、いつでも、とびかかれるぞ!みたいな・・・・
断片的な知識や解説ではなかなか本質的な理解にはなりそうもなくて、現段階での理解は断念したところです。
猫の仏性譚もあるのですか。それは大変。
わたしのような凡庸な頭ではなかなか。
判らないことはわからない、として取りあえず横に退けておいた方が良さそうです。
「無」の解釈の仕方が論点なのでしょうが、私には難しかったです。