Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「しのぶ・あだたらのむかしばなし」から 4

2018年08月15日 17時07分44秒 | 読書


 全体で30の昔話のなかで、25番目にのっているのが「鈴の鳴る石」。他の昔話では他の地方に類型の話があったり、さまざまな○○譚などがあり、楽しい本である。この「鈴の鳴る石」はお話としては、どのような類型になるのかは想定もつかなかった。しかし現在の心性にもつながる印象的な話だと感じた。
 鈴が鳴るような微かな音がするという山の上の大石、それは当然周囲が削られて残った石なのだが、どこからか飛んできた石に思える、というのは普遍的な発想である。誰もが小さい時にそんな石を見たことはありそうだ。
 ここで私が共鳴したのが、微かな音、であること。風が吹いて大きく鳴る石ではなく、それとなく聞こえる微かな音、これが読む人の心をまず惹きつける。大きな音ではいけないのである。かすかな音であるから人々が興味を示す。もともと「タブー」とは些細なことなのだが、それが独り歩きすることでいつの間にか、人びとの意識の上に重くのしかかってくるものである。そして「タブー」はいかにも重要なことのように思われてしまう。
 さらにその石と音のいわれが、奉公娘が苦労の果てに「このまま何も考えないでここにいたい」という心性に基づき、娘が石になる。奉公先にも、郷里にも、家族にも心を寄せることができずに、このままこの世から消えてしまいたいという心持ちは多くの人が現在も持っている。否、実に現代的な心性でもある。
 切羽詰まったとき、迷ったときの心性は「このまま何も考えないでここにいたい」と「ころりと横になって」そのまま動かずに永遠のときを過ごしたい、と私も幾度思ったことであるか。ふとそんな自分を思い出させる。この多くの人にとって共通の心性がいつの間にか、大石の「タブー」への変貌する端緒もここで示される。
 さらに「若者」が石の中に誰かいると思い、この石を石目に沿って割ってしまう。その心性もまた私にはよく理解できる。「何が起こるかわからない」という恐れから、些細なタブーを作り上げてしまう意志に人は興味をひかれ、そしてそれを暴きたくなる。私は「暴きたくなる」心性そのものである自分を心の底から好きである。しかし歳とともに行動には慎重になる。そしてこの若者が羨ましい。好きであるが、行動に移せない自分が常にもどかしい。
 タブーなどというものは暴いてみれば、たいして何もないのだ。だから若者はガッカリして石を見つめ、「いったいなんだったのかなぁ」となり、「それっきり石は音をださなくなった」のである。
 だが、タブーを知りたかったのは若者だけではなく、村人も同じであった。ここでタブーを破った若者が何かに罰せられるか、逆にタブーを破ることに臆病だった村人を復讐するか、の後日談がないのもまた、語り継ぐ人ないし筆記した人の「タブー」になっているのかもしれない。

 なお、このさとうてるえさんの挿し絵、若者にクローズアップしたものではなく、多くの村人が聞き耳をたてているところが、私の上の書き方に即していると感じて、気に入っている。



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