Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「本阿弥光悦の大宇宙」展・「中尊寺金色堂」展

2024年02月21日 20時10分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 雨の降る中を上野の東京国立博物館へ。当初の予定通り「本阿弥光悦の大宇宙」展と「建立900年 「中尊寺金色堂」」展を欲張って見てきた。

 久しぶりの東博の平成館と本館の第5室を続けて見るとくたびれてしまった。10年前は平成館と東洋館、本館を続けて回って「くたびれた」と言っていたが、そのわずか1/3程度の展示で音を上げてしまった。


   

 まずは平成館の「光悦」展は予想通り人は少な目であった。書・刀剣・謡本・蒔絵は一通り見て回った。特に字が読み切れないので、ほとんど印象に残らないのが悲しい。
 しかし「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」や「花卉鳥下絵新古今集和歌巻」「松山花卉摺下絵新古今集和歌巻」の3巻は興味深く見ることができた。
 料紙に合わせた自在な書法は、字が判読できない私にもそのリズム感がとても心地よかった。この独特のリズム感は琳派に色彩と形態のリズム感として継承されたのではないか。
 そして最後の茶碗のコーナーでも長時間楽しむことが出来た。黒楽茶碗「雨雲」と赤鞍茶碗「乙午前」は手に取り、茶を喫してみたいと思った。


   

 次にの本館第5室の「中尊寺金色堂」展はとても多くの人が魅入っていた。8K画像は見ていて眩暈がしたのですぐにパス。あのような画面の動かし方が今ははやりなのかもしれないが、私は眩暈がするので、見るのは苦手である。じっくりとした鑑賞ができるようにしてもらいたいものである。
 金色堂を見るのは、私は3回目。現地で見たが、やはり遠くから見ると一体一体の像をじっくりと見ることが出来ていなかった、と感じた。身近に見るとはまた、豊かである。特に増長天立像と持国天立像は金箔に顔が覆われているにもかかわらず、力を感じた。そして私がいつも天部の像に抱く違和感をあまり感じなかった。私はいつも彼等の膝が伸びきって、腰をぐっと落とし、みなぎる力をため込んだ力強さが抜けていくように見えてしまう。この像も膝が伸びきってはいるが、軽やかな飛翔をしているように見え、違和感が薄かった。過去2回現地で見たときは、欄干に隠れて膝から下を見ることが出来ていなかった。
 そういった意味では、3回目の今回は良い体験が出来た。
 



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