Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームスのピアノ三重奏曲の感想

2014年07月17日 23時25分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 夜になって再びブラームスのピアノ三重奏曲の第1番と第2番を聴いている。

 このふたつの曲を比べると第1番の方が楽器のバランスと3つの楽器が一緒になって響くときの美しさは発揮できていると思う。実質的な3番目のピアノ三重奏曲と云われるだけのことはある。3曲の中でもっとも好きである。特に第1楽章と第2楽章の旋律は覚えやすく美しい。第3楽章のバイオリンとチェロの重奏にからむピアノの伴奏とそれにつづくチェロの朗々とした旋律がこの曲の聴きどころに思える。第4楽章のチェロも美しい。

 第2番の解説では「主題の処理が簡にして要を得ており、全体に引きしまった美しさを持つ」と記されている。「簡にして要」というのは私にはよくわからないが、「引きしまった」感じというのはわかるような気がする。
 主題の変化と処理は結構執拗な繰り返しもあるようで、現代音楽に通じるような処理にも思える。バイオリンで奏せられるすすり泣くような旋律が線が細いもののなかなか美しい。ちょっとチェロの活躍が隠れているようなのがさびしい。

 もう夜も遅くなったので第3番は明日じっくりと聴くことにした。

 ピアノ三重奏というのは、音量からするとピアノが目立ってしまう。バイオリンとピアノのソナタ、あるいはチェロとピアノによるソナタの延長には位置づけられない。何となくバイオリンソナタにチェロの低音が添えらるような印象がないではない。三種の楽器が同時になる響きよりも、同じ旋律を交互に奏でる場面の緊張感が大切な要素にも思える。三種の楽器の調和の美しさをどのように作るのか、作曲家の想定と演奏者の力量も問われるようだ。
 この楽器編成が室内楽の主流になり切れなかった原因もここらへんにあるのかもしれない。


 さて、本日の講座が終了した17時半過ぎのみなとみらい地区のランドマークタワー付近では雷の音がしていた。遠くの方でなっている雷鳴だけが低い音で響いていたが、だれも空を見上げる人はいなかった。空は厚い雲で覆われていたが、それほど低い雲ではなかった。
 そして朝5時位に出た雷注意報がようやく21時過ぎに解除になった。16時間も雷注意報が出続けていたことになる。
 私の部屋で棚から溢れそうであった本が少し減ったので、圧迫感が減少したようだ。まだまだ減らしたいものであるが、明日どのくらい減らすことができるだろうか。明日も本や書類を減らすことで時間を費やしてしまいそうである。それが終わってから並べ直しに着手する予定。どのような分野別にするか、まだ考えていない。
 そこまでエネルギーが持続するか、心配もある。

 この部屋にいて強烈な地震が起きたら多分怪我をしないでいられるのは困難である。ひょっとしたら圧死の危険もある。我が家の中ではもっとも危険な場所である。いち早く逃げ出さなくてはいけないが、震度6を超えたら動けなくなるはずだ。玄関や洗面所への出口が半間しかないので閉じ込められる。パソコンの台は移動できるので、凶器のように部屋を動くことも予想できる。天袋から重いものも飛び出してきそうである。



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