本日は横浜では25.4℃と今年の最高気温を記録したらしい。平年気温よりも4.7℃高いとのことである。本日はさすがに我慢できなくて半袖のポロシャツを押し入れから出してきた。この気温のもと、街中を往復2万歩あまり歩いた。
所用で関内の市役所へ団地の管理組合の関係で書類を提出してきた。徒歩で往復、途中で内科と眼科に出向いて連休中に無くなってしまう薬を処方してもらった。緑内障の点眼薬が相変らず高い。診察と約1か月半の薬で合わせておよそ5700円。金銭的につらいものがある。
久しぶりの市役所であるので、現役時代の所属の局に出向いた。退職後4年を迎えて当然にも、組合との窓口となる交渉担当の管理職もすでに2回目の異動となっていたが、昔の担当職員が管理職として戻ってきていた。向こうから声を掛けてくれるというのも嬉しいもので、名刺交換をさせてもらった。退職者会としては特に交渉をすることはもう無いのだが、現役時代に苦労してくれた担当者が組合の交渉窓口としているというのは何となく心強いものがある。
帰宅後は気分はブラームスの交響曲、ということで第4番をカラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で聴いている。録音は1988年。
第1楽章の3度の下降と上昇を交互に繰り返す主題の出だしは不思議だ。長閑に始まるがいつの間にか緊張感が高まり、神経を少し逆なでするように強奏となっていく。この緊張感が弱奏となっても継続する。ブラームスならでは仕上がりにまずは脱帽してしまう。弦楽器と管楽器が混然となって複雑に音を編んでいく。この最初の楽章の冒頭からメロディーと和声とリズムに身を任せることを強いられてしまう。心地よい強いられ方をさせられる。緊張感がいつの間にか懐かしい音の絨毯になって室内に静かに広がっていく。
そして第2楽章、第3楽章を聞かないことには私の一番好きたい第4楽章に連なっていかないのが不思議である。第4楽章だけ聴くという選択がどうしても出来ない。第4楽章を準備する第3楽章という華やかな楽章もまた聞きごたえがあるが、バイオリンの活躍に比べてチェロの活躍が少ないのが、私のささやかなる不満である。
ブラームスの曲というのは、指揮者や演奏家にとっては冒険の出来る曲ではない、と聞いたことがある。特に指揮者にとっては自分なりの表現と云ったものが出し難いのだそうだ。そのような言い方が妥当なのか、私にはわからないがそんな言葉に囚われながらこの40年、ブラームスの曲を聴き続けてきた。
所用で関内の市役所へ団地の管理組合の関係で書類を提出してきた。徒歩で往復、途中で内科と眼科に出向いて連休中に無くなってしまう薬を処方してもらった。緑内障の点眼薬が相変らず高い。診察と約1か月半の薬で合わせておよそ5700円。金銭的につらいものがある。
久しぶりの市役所であるので、現役時代の所属の局に出向いた。退職後4年を迎えて当然にも、組合との窓口となる交渉担当の管理職もすでに2回目の異動となっていたが、昔の担当職員が管理職として戻ってきていた。向こうから声を掛けてくれるというのも嬉しいもので、名刺交換をさせてもらった。退職者会としては特に交渉をすることはもう無いのだが、現役時代に苦労してくれた担当者が組合の交渉窓口としているというのは何となく心強いものがある。
帰宅後は気分はブラームスの交響曲、ということで第4番をカラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で聴いている。録音は1988年。
第1楽章の3度の下降と上昇を交互に繰り返す主題の出だしは不思議だ。長閑に始まるがいつの間にか緊張感が高まり、神経を少し逆なでするように強奏となっていく。この緊張感が弱奏となっても継続する。ブラームスならでは仕上がりにまずは脱帽してしまう。弦楽器と管楽器が混然となって複雑に音を編んでいく。この最初の楽章の冒頭からメロディーと和声とリズムに身を任せることを強いられてしまう。心地よい強いられ方をさせられる。緊張感がいつの間にか懐かしい音の絨毯になって室内に静かに広がっていく。
そして第2楽章、第3楽章を聞かないことには私の一番好きたい第4楽章に連なっていかないのが不思議である。第4楽章だけ聴くという選択がどうしても出来ない。第4楽章を準備する第3楽章という華やかな楽章もまた聞きごたえがあるが、バイオリンの活躍に比べてチェロの活躍が少ないのが、私のささやかなる不満である。
ブラームスの曲というのは、指揮者や演奏家にとっては冒険の出来る曲ではない、と聞いたことがある。特に指揮者にとっては自分なりの表現と云ったものが出し難いのだそうだ。そのような言い方が妥当なのか、私にはわからないがそんな言葉に囚われながらこの40年、ブラームスの曲を聴き続けてきた。