昨日に続いて「定家明月記私抄」(堀田善衛)を読む。
「俄ニ遷都ノ聞エアリ」「仏法王法滅尽」「初学百首」「明月記欠」の4つの節に目をとおした。定家19歳から20歳の頃である。
定家19歳の時に「初学百首」をものにする。たとえば“をしなべてかはる色をば置きながら秋をしらする荻のうは風”(秋二十首から)などを引用している。
堀田善衛はこの年の前半、養和の大飢饉があり改元されているが、鴨長明が仁和寺の隆暁訪印の京の餓死者を四万二千三百かぞえたという記事が残る年である。
堀田善衛は、この京の現実と歌の世界や、兼実などの日記「玉葉」の世界との乖離に言及している。私も同感であるが、それよりも私は以前から思っているのだが、この初学百首は総じて、19歳なりの青年の「情念」などが読み取れないことに興味をひかれていた。単的に言って、若さがどこにも感じられないことが不思議なのである。
堀田善衛は「二十歳の青年のもった教養の度合いというととしては、やはり驚くに足りるであろう。しかもそのほとんどどの歌をとっても、余計なもの、過分なものが手足を突き出していないということも、これも驚くに足りる。また青年の歌としては、このことばづかいの肌合いの冷たさ、ほとんど陶器の触感を連想させるかと思わせる、その冷と静は、やはり一級品としての格をすでに持ちえている」と記述している。
確かに当時の歌の世界には青年の情念などは持ち込むべきものではなかったと思われる。しかし定家の若い頃のかなりの喧嘩速さなどの逸話を聞くにつれ、歌の世界にまったく匂ってこないその「情念」に私はこだわりたい。あるいは「余計なもの、過分なものが手足を突き出し」ていないことが不思議でならない。
この「冷たい陶器の感触」という視点で、これから先を読み進めめてみたい。
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