Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日から始まる講座

2014年05月29日 22時02分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まる講座は「歴史に学ぶベトナム戦争・国家再生そしてポストベトナムのアセアン」と題して、元NHK記者の田中信義氏が講師。私より二回り近く上の世代であろうか。
 取材をとおして見たベトナム戦争、あるいは報道の自由という問題、政治的リーダー論などを本日は語ってくれた。
 二回目以降はベトナム戦争を戦ったベトナムのその後、その戦争の申し子ともいうべきアセアンという組織について言及するとのこと。
 本日の配布された資料に、次のようなベトナム戦争にまつわる年表があった。私は思わずその年表を食い入るように見つめながら、講師の話も耳に入らずしばらく自分の10代の頃の「ベトナム戦争」にまつわる当時の自分を思い出していた。

1954.07   インドシナ休戦協定調停
1962.    アメリカ、南ベトナム援助軍司令部設置
1963.11   南ベトナム、反ゴ・ジンジエムの軍事クーデター
1964.05   アメリカ、北ベトナム爆撃実施計画作成
1964.08   トンキン湾事件
1965.02.07 アメリカ、北爆開始命令
1965.03.08 アメリカ海兵隊ダナン上陸
1968.01.31 テト攻勢
1971.02   南ベトナム軍ラオス侵攻作戦
1973.01.27 パリ和平協定
1975.04.30 サイゴン陥落
1976.06.24 南北ベトナム統一

 1964年のトンキン湾事件の時、私は中学一年生になっていた。その時の新聞のトップ記事を読んだ記憶がある。アメリカという国が自分たちの「正義」のためには何でもしかねない、という不信はすでに私の頭の中に出来上がってはいた。またわざわざベトナムという国の鼻先で軍艦を繰り出すという図々しさが、鼻持ちならなかった。そして北爆が開始され、ベトナムという国に対する肩入れをする新聞の論調に親近感を覚えていた。
 しかしそれ以上の関心はなかった。しかしベトナムで起きていることのニュースは目を通していた。泥沼の戦争という言葉も覚えている。
 高校1年になった1967年頃からのアメリカでのベトナム反戦運動、チェコスロバキアでのドプチェク登場・プラハの春、日本でのベトナム反戦運動などでは自分で率先して新聞に目を通すようになった。1968年のテト攻勢での残忍な死体写真などに衝撃も受け、当時の学生運動、反公害運動、フランス国内の動き、三里塚闘争などに強い関心を持つようになった。
 この頃の自分をしばらく年表に沿って思い出していた。自分の20代を決定的に規定した出来事が並んでいたと思った。
 1973年の相模原補給廠からの戦車輸送に反対運動や、1975年、就職してすぐの研修期間の最終日に聞いた「サイゴン陥落」のニュースと映像は今でも忘れることができない。やっとの思いで就職した自分の人生と重ね合わせて何となく感慨にふけった39年前を、あらためて思い返してみた。

 それから37年の人生もまたそれなりに波乱万丈ではあったが、ベトナム戦争というのは確かに私の人生に大きなインパクトを与えてくれた。
 本日からの講座はジャーナリストという視点からの講座である。私はジャーナリストという立場については気持ちは惹かれることはなかった。そして今のジャーナリズムのあり様には極めて否定的な評価しかないのだが、それでも当時の命がけの取材は人を惹きつける何かがあった。
 センチメンタルとは程遠い、余りにも苦い思いもつのる時代でもあった。だが、自分の出発点を思い出してくれると同時に、すぐさま国家再建に取り組んだベトナムという国の強さをキチンと見つめる視点についても知ることが出来れば嬉しいと思った。




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