マックス・エルンストは3点が展示されている。
富山県美術館の「森と太陽」(1927)はエルンスト独自の技法(グラッタージュ)の作品として有名でいくつかの同様の作品があり国立西洋美術館でも見ることができる。
とても硬質な感じのする作品で、太陽の白い形象にもかかわらず暗い感じに惹かれる。
横浜美術館所蔵の「少女が見た湖の夢」(1940)はコレクション展でいつも見かける作品で、とても惹かれていた。空と思われる明るい色彩の下の不気味な形象の対比が1940年のヨーロッパの不安を表現していることまでは理解していた。そこに描かれている牛や猿などのおどろおどろしい姿は、ペストと不条理な神の支配する中世のヨーロッパからよみがえってきた魔物にも似ている。人間らしき造形もあるが、何かから逃れようとしている。
シュールレアリズムの画家たちが、第一次世界大戦からドイツ革命の不発、ナチズムの胎動という不気味な時代に翻弄され、政治亡命を繰り返していた。そんな時代状況は理解していたつもりだが、それ以降の展開についてはほとんど無知であった。
愛知県美術館の作品は明るく、また隠れるように描かれている鳥が先の2作品とは違い、明るくほほえましく描かれている。この変化に注目してみたいとも思った。
解説で福田一穂(愛知県美術館)は、3点の作品について次のように指摘している。
「自らの理性の埒外から不意に到来するイメージを救い上げるエルンストの方法論は、その後のシュルレアリスムの造形論の根幹をなすことになる」(「森と太陽」)
「第二次世界大戦が勃発、(フランス在住でドイツ国籍のため)敵性外国人となったエルンストは、収容と釈放や脱走を繰り返す生活を余儀なくされる。‥1939年からレ・ミル収容所で‥不均一な模様を生み出す技法の実験を始める。画家の制御から外れた絵具が偶然を生み出す形のなかに、エルンストは怪しげな生き物たちを見出した。‥湖畔の風景に潜む、ギリシア神話のゼウスを思わせる牛から逃れようとする少女エウロパ(ヨーロッパの語源)の姿に、ヨーロッパの当時の状況を重ねないわけにはいかない」(「少女が見た湖の夢」)
「ナチス政権下のドイツで、退廃芸術家とみなされてゲシュタポに追われていたエルンストは、1941年アメリカへ亡命する。イメージの源泉となったのは‥バロックを代表する画家レンブラントの《ポーランドの騎手》であるが、画面にもとの絵の面影はほとんどない。騎手の姿はどこかへ消えて、代わりに白馬が仲睦まじい2羽の鳥を抱きかかえ、その肩にはもう一羽の鳥がとどまっている。そこには自らを鳥になぞらえていたエルンストと、アメリカで出会いその後生活をともにした画家ドロテア・タニング、そしてもう1羽、エルンストに生涯つきまといつづけた怪鳥ロプロプの影がちらついている。」(「ポーランドの騎士」)
シュールレアリスムの芸術家については、その当時のヨーロッパの政治・社会状況と切っても切り離せない強いられている。日本も第二次世界大戦の当事者であるが、この時のヨーロッパの芸術家や文化人の動向についてはわからないことが多い。多分、日本におけるシュールレアリスムの運動の受容の仕方と関係があるのかもしれない。
今回の「トライアローグ展」を見て、日本におけるシュルレアリスムの受容について踏まえるべき視点が少し見えてきた気がする。
実は1977年に西部美術館(セゾン美術館を経て閉館、収蔵品は軽井沢のセゾン現代美術館へ)で開催されている。私は見に行った上に図録も購入したが、よく理解できないまま図録もそして展示内容もすっかり忘却していた。
この図録はカラー印刷は少ない。しかし収録文書が凝っている。エルンスト理解のためにはこの図録を読み込むことが必要だと感じた。
冒頭にエルンスト自身の「シュルレアリスムとは何か」、「ダダ」、「自伝メモ」が掲載されていた。巻末には、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、ホール・エリュアール、ヘンリー・ミラー、ロベルト・マッタ、ジョルジュ・バタイユなとのエルンスト論を巖谷國士などの訳で収録している。
作品を多く見る機会も欲しいが、今回の「トライアローグ展」の図録を読み終わったら、1977年に購入した図録をきちんと読みたいと思う。同時にアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」もやはり読んでおかなければならないと思った。