本日は神奈川大学の六角橋キャンパスの生協で、渡邊規久雄のピアノによるシベリウスのピアノリサイタルの第5巻と、平福百穂の「日本洋画の曙光」の取り寄せを依頼した。
平福百穂の文章は初めて読むことになる。秋田蘭画を初めて評価した画家という。画家の手になる画論というのはなかなか理解できないものが多く、これまでも購入したはいいが、途中で放り出した本のほうが圧倒的に多い。洋の東西を問わずこのような傾向が強いと思いこんでしまっている。
パウル・クレーの「造形思考」もかなり難解であったし、ヴシリィー・カンディンスキーの「点と線から面へ」などはまるで歯が立たなかった。両者ともに目は通したが、ほとんど記憶にない。理解できていない証拠であろう。
藤田嗣治の文章は自慢話のようで、勉強にはならなかった。宮崎進の「旅芸人の手帖」はとても興味深く読んだが、画論というようなものではなかった。「鳥のように」はどちらかというと絵画作品の横に添えられた「詩」である。優れた作品であることは間違いはないが。坂本繁二郎の「私の絵 私のこころ」も画論というよりも自伝である。画論の出版そのものは、採算が合わないのかもしれない。私の目が行き届いていない可能性は大である。
日本画家である平福百穂が洋画について語るということにも興味を抱いた。
シベリウスのビアノ曲集はこの第5巻で完結する。長い間購入しようとしたまま放置してきた。期待は大きい。