Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「幕末明治のはこだて」展

2022年04月10日 23時26分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 東京都写真美術館で「写真発祥の地の原風景 幕末明治のはこだて」展を見てきた。

 私は小学校3年が終わるまでの6年半を函館で過ごしたので、「はこだて」という文字にすぐに反応してしまった。とてもなつかしいのである。もっとも小学校3年の終わりまでであるから、たいていの人は嫌なことよりも親や周囲の人から温かく接してもらった良い印象が多いはずだ。
 私は変わった子だったこともあり、プラスもマイナスもずいぶんいろんなことを記憶している。まだそれを語るわけにはいかない。
 ただ木造の長屋風の平屋ばかりの古びた住宅街のくすんだ色、そして漂ってくるどぶの臭いやどこからとも流れてくる潮の香りや魚の饐えたような臭い、イトミミズが漂う泥の感触、馬糞の混じった土の臭いは今でも鮮明に思い出す。
 明治時代前半の町並みの写真にも、1950年代の当時の函館にはやはり共通点がある。1960年代から今までの変貌に比べると、変貌の度合いは少ないのかもしれない。
 同時にロシア正教会などのペンキの目にも鮮やかな白の反射光、しゃれた駅前の商店や珍しい洋風レストランや市電の軌道と、住宅街の裕福とは言えない落差もまた五感で覚えている。

 そんなことを思い出しながら、幕末から明治にかけての、不鮮明ながら世相が立ち上ってくる写真の数々に目が吸い寄せられた。
 月岡芳年などの作品は色鮮やかであるが、モノクロの写真の街並みや人物の方が私にとってはその町並みの臭いや大気の感触を伴って迫ってくる。静的な写真の方がより動きを感じてしまう。絵画作品からは私には函館という町の動的で感覚的なものが伝わってこない。函館戦争など事件に題材をとった作品だから、町並みやそこに住む人々の息遣いは聞こえてこない。
 これが他の都市の場面であると逆になるかもしれない。例えば現在私の住む横浜では多くの古い写真があり、同時に風刺画や浮世絵がある。絵画作品のほうがより動きを伴ってリアルに感じることが多いものである。
 しかし函館の時は違うのだと本日認識した。幼児体験というもの、肌や臭いなど五感で感じとって記憶したもの、これらは絵画作品よりも写真の方がより記憶を覚ましやすいものかもしれない。住んでいる人を思い起こす何かがあるのだ。
 そんなことを考えながら、会場内を興味深く見て回った。

 幕末から明治にかけて作られた市域の景観が、1950年代までほ基本的にほとんど変化がないというのもまた興味深いものである。


「TOPコレクション 光のメディア」展

2022年04月10日 21時41分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 東京都写真美術館で開催されている「TOPコレクション 光のメディア」展を見てきた。写真芸術については詳しくはないが、それでもそれなりに展覧会は見ている。大昔、まだ30代半ばの頃に横浜市の市民向け講座を受講したことがある。ごく初歩的な講座であったが、モノクロの造形写真家が講師であった。初めてモノクロ写真の美しさに触れることができた。一般的なカラーの風景写真やスナップ写真などとは違うその魅力を知ったことはとても幸運だと思った。以来ジャンルにとらわれずに写真作品を見るのを楽しんでいる。なお、土門拳はもっとも好きである。

 アンセル・アダムス、マン・レイそして瑛九などの名と作品は一応は知っていた。見たことのある作品も展示されていた。
 今回特に惹かれた作品は、マイナー・ホワイト「窓枠の白昼夢、ロチェスター、ニューヨーク州」(1958)、チラシに掲載されたバーバラ・モーガン「ピュアなエネルギーと神経過敏な人」(1941)などが挙げられる。
 マイナー・ホワイトは身の回りにある微細な風景の視点を少し変えることで現れる美的空間を執拗に追っていることに好感をもった。特に「窓枠の白昼夢」は直線と曲線が組み合わされる瞬間を時間をかけてとらえたように思われた。静かな動きが実は劇的な変化を含んでいることを暗示させ、時間をも写しこんでいる。

 私は初期の多重露光による作品はあまり好みではない。ふたつのものを重ねて写しこむことで、生まれる不思議な効果を狙っているのは理解できるが、ふたつのものの関係があまりに偶然で、鑑賞者に撮影者の感動が伝わってこない作品が多い。少ない鑑賞経験しかない私だが、悪く言えば撮影者の独りよがりに陥っているように感じるものが多いと思っている。もっと数多くの作品を見る機会があれば、また違うことも考えるかもしれないという留保は持たせてほしいが。
 撮影者の意図はやはり前面に出すべきであり、鑑賞者に100%お任せというのは私の好みとはならない。「私はここに感動したけれども、鑑賞者はどこに感動しますか」という提起が微かでも読み取れる作品が私はいい作品だと思う。
 その点でエドムンド・テスケの「フランクリン・モントローズ夫妻の3人の子ども(1890年代頃)、モノ湖との合成」というのは抒情的で面白いと思った。モノ湖というのは三人の子どもとゆかりのある土地と解釈すれば、通俗的過ぎるかもしれない。しかしその他にもいろいろと想像させてくれる。想像のきっかけを提出してくれている。多重露光でこのような試みは面白いと思った。ただし造形的に果たして先駆的かどうかは、自信もないので保留したい。


東京都写真美術館

2022年04月10日 19時42分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 予定通りに午後から恵比寿にある東京都写真美術館で開催している写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」展と、「TОPコレクション 光のメディア」展を見てきた。さいわいにも招待券をもらっていた。久しぶりに恵比寿駅で降りた。都写真美術館は改装なってからでも初めてである。
 膝が痛くなければ気にならなかった「動く通路」やその先の美術館までの距離も、本日は実に長く感じた。「動く通路」ではゆっくりと歩いたのだが、その先は強い日差しにびっくり。少し遠回りになったが地下に入って歩いた。
 それほど館内の造作が変わったとは思えなかったが、ショップが見当たらず、図録を購入するゆとりもなかったので、そのまま帰ってきた。

 ふたつ目の展示である「はこだて」で、半分くらいの展示を見終わったときには、両足がくたびれてしまい、椅子に座りたくなった。しかしそのような場所がなく、踏ん張って最後まで見たものの、展示室の外のソファーに座り込んでしまった。筋肉の衰えを実感しながら10分ほど座り込んで、ペットボトルのお茶で一服。
 落ち着いてから、杖を突いて恵比寿駅に向かった。駅の外の喫茶店でコーヒータイムで休息。来るときは東横線を利用し、帰路は湘南新宿ラインを利用しようとホームに降り立ったら13分の遅れ、とのことでがっかり。帰路も東横線の方が早かったようだ。

 それぞれの展覧会の感想は別途アップ予定。