東京都写真美術館で「写真発祥の地の原風景 幕末明治のはこだて」展を見てきた。
私は小学校3年が終わるまでの6年半を函館で過ごしたので、「はこだて」という文字にすぐに反応してしまった。とてもなつかしいのである。もっとも小学校3年の終わりまでであるから、たいていの人は嫌なことよりも親や周囲の人から温かく接してもらった良い印象が多いはずだ。
私は変わった子だったこともあり、プラスもマイナスもずいぶんいろんなことを記憶している。まだそれを語るわけにはいかない。
ただ木造の長屋風の平屋ばかりの古びた住宅街のくすんだ色、そして漂ってくるどぶの臭いやどこからとも流れてくる潮の香りや魚の饐えたような臭い、イトミミズが漂う泥の感触、馬糞の混じった土の臭いは今でも鮮明に思い出す。
明治時代前半の町並みの写真にも、1950年代の当時の函館にはやはり共通点がある。1960年代から今までの変貌に比べると、変貌の度合いは少ないのかもしれない。
同時にロシア正教会などのペンキの目にも鮮やかな白の反射光、しゃれた駅前の商店や珍しい洋風レストランや市電の軌道と、住宅街の裕福とは言えない落差もまた五感で覚えている。
そんなことを思い出しながら、幕末から明治にかけての、不鮮明ながら世相が立ち上ってくる写真の数々に目が吸い寄せられた。
月岡芳年などの作品は色鮮やかであるが、モノクロの写真の街並みや人物の方が私にとってはその町並みの臭いや大気の感触を伴って迫ってくる。静的な写真の方がより動きを感じてしまう。絵画作品からは私には函館という町の動的で感覚的なものが伝わってこない。函館戦争など事件に題材をとった作品だから、町並みやそこに住む人々の息遣いは聞こえてこない。
これが他の都市の場面であると逆になるかもしれない。例えば現在私の住む横浜では多くの古い写真があり、同時に風刺画や浮世絵がある。絵画作品のほうがより動きを伴ってリアルに感じることが多いものである。
しかし函館の時は違うのだと本日認識した。幼児体験というもの、肌や臭いなど五感で感じとって記憶したもの、これらは絵画作品よりも写真の方がより記憶を覚ましやすいものかもしれない。住んでいる人を思い起こす何かがあるのだ。
そんなことを考えながら、会場内を興味深く見て回った。
幕末から明治にかけて作られた市域の景観が、1950年代までほ基本的にほとんど変化がないというのもまた興味深いものである。