Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

増富温泉行きを計画してみた

2018年05月23日 23時00分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日雨が小降りなので横浜駅まで往復を傘をさしながら歩いてみた。さらに横浜駅の地下街の南北2本の自由通路、それを結ぶ通路、東西の地下街をあるこうとしたが、体力的に疲れているようなので、地下街ウォーキングは断念して喫茶店で1時間半ほど寝てきた。頼んだコーヒーも半分ほどで飲まずに店を出た。
 夜になってまた小雨の中を15分ほど歩いてみたら、それほど疲れた感じはなく、ほっとしている。

 この1年、だいぶ疲れたみたいだということで、温泉と山にでも行ってみようか、と妻と合意。山梨県の増富温泉を起点に金峰山・瑞牆山の地図を購入してきた。来週の日・月・火の3日間の予定を組んだのだが、3日館とも曇りのマークになってしまった。山では雨模様の可能性が高くなる。

 今の季節シャクナゲが見頃と期待しているが、残念。登山は無理でも増富温泉までは行ってみたい。増富温泉には40年前に行った。今も当時も36℃以下の極めてぬるい温泉である。当時行ったのが冬であったし、上がり湯もたくさんはなく、お風呂に入ってかえって冷え切ってしまい、あまり暖かくない部屋の炬燵で震えていたのを鮮明に覚えている。今回はせめて40℃くらいの上がり湯に「体ごと浸かれる上がり湯」のある旅館を選ぼうと思う。
 増富温泉郷でもシャクナゲは見られるのではないかと幾ばくかの期待はしている。

宮崎進「旅芸人の手帖」から(3)

2018年05月23日 18時12分44秒 | 読書
   宮崎進「小屋のある丘」(1969)



「そこにあるのは裸の私
 シベリアも、北の、この風景も、
 私には、泥土と石ころの
 同じ荒れ地なのだ。」

「夢見ながら、時空をさまよう。
 現実なのか、虚構なのか、
 ただ自分の実体に迫りたくて、漂い続ける。」

「私が旅の芸人たちを描いたのは、1960年頃から70年にかけてである。その頃、私は時折、題材を求めて旅をした。とくに灰色の空、褐色の土、群がる黒い鳥など、死を思わせる荒涼とした風景が好きだった。そんな地方で出会った小屋掛けの見世物一座をテーマにしたのが、見世物芸人という作品である。私は長いあいだ、こうした人たちを描いてきた。だが、彼らのことを何も知らない。何処から来て、明日は何処へ行くのか‥。」


 この本を読むたびに思うことがある。私が10代から20代前半にかけての1960年代から70年代にかけて小屋掛けの見世物一座というものが、理解できないところがある。10代後半から20代前半の、1960年代後半から1970年代前半にかけて、首都圏や仙台で暮した私にはこのような見世物小屋の世界を垣間見ることはなかった。
 そのことが私にはとても不思議である。これが1950年代から1960年代前半といわれればまったく記憶がないとはいえない。この10年の差が私にはよくわからない点である。

文書の整理

2018年05月23日 10時22分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から団地の管理組合の書類の整理。昨年度分だけで大きな手提げ袋2つ分の文書がある。日付順にファイルに入れていたが、あまりに大量なので後から探すのが面倒。4種類にファイルを分けてみることにした。機関会議用、対行政関係、その他2つ。今年度が終われば次の人に引き継ぐので、分かりやすい保存を心掛けないと次の人に申し訳ない。
 私は昔から自分の頭の中の整理のために文書は丁寧に作るが、保存がヘタ。といっても散らかし放題ではなく、ただ日付順に文書をしまう。新しい文書をつくるたびにいくどもひっぱり出して繰り返し頭の中に叩き込む。そうすると頭の中で少しずつ整理ができる。
 しかし物理的な整理棚は何回もひっぱり出してくるうちに、ファイルが破損したり、見てくれが悪くなってくる。年度が過ぎるともう見たくもなくなる。仕事での文書は規定に則って保管すればいいだけだが、個人的なファイルはなかなかうまくさばけない。
 電子化すると整理は楽である。フォルダをいくつかつくり、年度や月ごとにまとめて放り込んでいく。頭の中と電子化されたフォルダが一致していて、いつもすぐに電子化したデータは取り出せるのだが、問題は電子化の作業が時々滞ることである。忙しくなるとスムーズな電子化ができない。
 というような愚痴を欠いているうちに、作業に戻らないと文書整理が昼までに終わらない。

 さて、昨日から「語る歴史、聴く歴史」(大門正克、岩波新書)を手にした。「点と線から面へ」(カンディンスキー、ちくま学芸文庫)はちょっとおやすみ。少し頭を切り替えてから再度挑戦の予定。

午後から雨か

2018年05月23日 08時06分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩、夜のウォーキングに出かけたら、上弦の半月が天頂より西の空に傾きかけていた。歩き始めはちょうど月に向かって進んでいくコースで楽しかった。月が明るく、他の星は眼につかなかった。折り返しで今度は月を背中にすると今度は木星が東寄りの南の空にあり、これまた見ごたえがあった。東の空には雲がところどころあり、ウォーキング中には星を探すのは困難。立ちどまる訳にもいかず、星を探すことは諦めた。

 本日は横浜でも午後から明日の朝まで雨が続く予報になっている。気温も最高気温の予報が21℃とさくじつよりも6ども低いとのこと。ウォーキングができないのは淋しい。朝から長袖が欲しいのだが、我慢をして半袖のシャツの上からウィンドブレーカーを来て凌いでいる。

 午後は横浜駅まで出かけて、地下街や東西の自由通路をぐるぐる歩き回って、ウォーキングの代わりをしようかと考えた。人にぶつからないよう、人通りの多くないところを透ってみる予定。しかしその時はウィンドブレーカーを来ていたのでは暑く感じると思われる。何を切ればよいか、悩んでしまう。

 私はどうも服装で悩むということが大の苦手。悩んでいるうちに面倒になって、涼しさなどに対応できないまま服装を変えずに出かけて風邪をひいたりしてしまうのだが、いまだに苦手を克服していない。今さら変わろうとも思わない。