Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

バーン=ジョーンズの「受胎告知」

2017年11月08日 23時10分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「芸術新潮」8月号の「新・仁義なき聖書ものがたり」を気分転換にめくっていたら、エドワード・バーン=ジョーンズの「受胎告知」(1876年)が目に入った。はじめて見る作品である。高さ2.5m✖巾1m余の大作である。
 不思議な感じのする遠近法と縦に引き伸ばされた人物像が目をひく。マリアは9等身、天使ガブリエルに至っては11等身近くもある。しかしエル・グレコのように下から見上げることを想定しているわけではないようだ。しかもガブリエルには動きが無く、静かで音の無い世界のような「告知」である。
 通常の受胎告知が読書中のマリアであるが、ここではマリアは水甕の横にいて、虚ろな瞳は何ものも見ていない、あるいは認識していない眼のようだ。これは今は使われていない福音書(ヤコブ原福音書)の記述に、「水汲みに出かけたマリアにどこからか声が響き、天の祝福が天使より告げられたが、マリアは声の主の天使を見ることが出来ず、恐れて戻った」という記述によるという。だが、ここに描かれているのは怖れの眼ではない。声の主を探す眼なのだろうか。
 マリアの戸惑い・驚き・怖れ・不安・受け入れ等々の感情表現が「受胎告知」の大きなテーマである。このバーン=ジョーンズの表現は公認のキリスト教から一歩引いた場面設定の中に、戸惑いと不安を記しているのかもしれない。
 多くの天使ガブリエルがマリアと同一地平近くまで降りてきて、告知するのとも違い、高い位置からの告知である。神の使いとしての「告知」であれば考えられる位置関係でもある。マリアがごく普通の女性として描かれているといえる。近代的な解釈・表現に見えてくる。
 背景のアーチの上部には、蛇の誘惑で果実を口にする場面と楽園追放の人類創生が描かれている。原罪と無原罪という不思議な歴史・関係が暗示されている。
 天使の衣の不思議に重厚さ、あまりに生々しい羽の模様と身体との関係、大理石と木材の不思議な質感、天使のいる場所の樹木の生々しさ、天使とマリアのリアルな足先の描写‥ひとつひとつに注目すると現実離れしていて、全体としておさまっている不思議な構図にも惹かれる。
 

欠礼葉書

2017年11月08日 19時48分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後からは晴れ間が出るとの予報は見事に外れた。雨は13時過ぎには上がったものの、一日中どんよりとした厚い雲に覆われた。
 友人と14時半から2時間ほど、焼き鳥屋で飲んだ。しかも鳥の皮ばかりを15本。最後はさすがに脂が口の中で幕を作って、くどく感じた。途中で追加注文したキャベツ一山がありがたかった。お酒はホッピーを2本。外で呑むときはだいたいこの程度の量である。
 かなり遠回りをして帰宅。先ほど一寝入りから覚めた。

 昨日、年始の欠礼葉書が1通。現役時代の友人から。11月に入るとは毎年、この欠礼葉書が多数寄せられる。友人たちの親の世代が亡くなっていく。
 そして今年、年賀状を出す相手がひとり減ってしまった。年末とは、寂しさと悲しさが増してくる時節でもある。

秋時雨から冬の雨・時雨へ

2017年11月08日 10時31分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝から雨が止まない。弱い雨の区域が箱根を超えて西から少しずつ迫ってくる。昼までには雨はあがるとの予報であるが、この雨の降り方を見ている限り、そのようには思えない。

 短い時間降るのであれば、秋の冷たい雨を指すという秋時雨から、時雨と称される季節になった。ただし本日は寒くはない。冷たい雨でもない。気温は4時半過ぎには20℃をこえていたらしい。そして風が強い。瞬間最大風速が9時前のデータでは10m。横浜市域には強風注意報が出た。
 気温だけに着目すればそれは季節を押し戻すものである。しかしこの風は、木々を裸にして冬の景色をいっそう進める。やはり時雨というものなのか。

★しぐるるやわれも古人の夜に似たる      与謝蕪村
★天地(あめつち)の間にほろと時雨かな    高浜虚子
★人の世の窓打ちにけり冬の雨         西島あさ子