Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

白隠がらみで‥

2013年01月24日 21時16分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜、気分転換にネットで「白隠」を検索してみた。私のこのブログも検索で出てきたのだが、それよりも「白隠正宗」という言葉がヒットした。そして「高嶋酒造株式会社、清酒白隠正宗の製造をしております」というホームページが出てきた。白隠の生れた東海道の原宿(現在の静岡県沼津市原)にある酒造メーカーとのこと。ホームページを見てみると、白隠の「半身達磨」の絵をラベルに印刷してあるようだ。
 開いてみるとなかなかこだわりの酒蔵のようだ。酒蔵としては文化元年というから1804年に創業とのこと。山岡鉄舟が1884(M17)年に命名したお酒という。
 決して大きな酒造会社ではないようで、直接販売もしていない。取り扱いの店を探してさらにネット検索をしていたら、横浜の中華街の傍の酒屋がヒットした。また、我が家から歩いて30分とかからない場所の海鮮居酒屋がヒットし、そこではこのお酒を供しているらしい。
 ということで日曜日にでも県立歴史博物館を訪れて4合瓶を購入してみようかと考えた。また明日にでもこの海鮮居酒屋によってみようかと思う。
 白隠がお酒になったらどんな味になるのであろう。かなり辛らつな味なのかもしれない。そう、決して安易に飲みすぎたり、酔いつぶれてはいけないお酒のような気がする。心して、背筋を伸ばして飲まなくてはいけないのであれば、どうしよう。そんな堅苦しいお酒ならば、さっさと帰ってこなければならないが‥。
 私の予想では販売している酒屋さん、居酒屋さんは、心優しくて機知に富んでいるような気もするがどうであろうか。
 明日のブログに感想が載せられるだろうか。

「いつか見た風景-北井一夫-」展

2013年01月24日 12時05分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   
 モノクロの写真の時間の深度は深い、カラーの写真ではマクロ写真のように時間は近くに寄って来る。そして何よりモノクロの写真は見る側のイメージが膨らむ。
 こんな感じが北井一夫の写真展を見て感じた。1944年生まれだから私よりは7歳年長。だが、私の経験と重ねると同時代の方のようにも感じることがある。


 そして、この人は定点観測のように地に足をつけた生活者の視点をいつも探している人だな、と思った。そして定点観測のように一つの地域に腰を据えてとった写真が私の心を惹きつけるようだ。
 神戸の港湾作業を撮った写真、日大闘争を内側から撮った写真、三里塚の現地の視点からの写真、そして東北に目を据えた写真、船橋という都市の生き生きとした描写、どれもが腰が据わっている。メッセージ性など寄せ付けない視点の確かさがあると感じた。
 1970年代の農村の解体を観察し続け、そしてその農村の解体の結果生れた船橋という新しい都市の大きな変貌を浮遊する都市民の視点で捉えている。むろん解体する古い都市の面も忘れてはいない。
 1970年から80年代にかけて、ちょうど戦後の社会的な価値や理念が解体していく時代を農村と都市という両側面から見事に捉えていると感じた。
 私が職を得た1975年から、1980年末にかけて職場は大きく変わり、職場を律する価値観も大きく変容してきた。そこをかなり意識的に関わってきたと私は思っているが、その時間の体験と北井一夫の視点の変遷は重ね合わせて見ることができた。
 私の妻も、1970年代前半からの東北の農村のモノクロの写真を食い入るように見ていた。モノクロは時間の深度が深いといったが、それは私たちの経験した40数年の時間がとても昔のように感じられるという意味だ。これがカラーだと、いくら古ぼけて粒子の荒れた画面であっても最近の事象のように感じられるのだ。
 決して懐古趣味ではないつもりだ。雪に埋もれた新潟の家の中から外のカメラマンを見る子供の視線に、新潟に限らずこの列島全体の1970年代に解体していく農村の普遍的な風景を、見る人は見出すことができる。

 そして私はこの展示を見て、視点の定まったものの見方の大切さを教えてもらった。今この歳になって知ったからといって、私の人生が変わるものでもないが、ただし、私はいつも少なくともこの40年間の視点は変えていないと思っている。
 なかなかいい写真展を見ることができた。